第49話 エイドの成長

“黒い訳”に辿り着いたところで、一息いれましょうか、と私はキッチンに立った。

さっきまで真上にあった太陽が傾きだし、少し風が出てきたようだ。

「温かいハーブティーを淹れたわ」

と、それぞれに鮮やかな花の模様が描かれたホットグラスを差し出した。

ゆっくりと湯気が躍るグラスを両手で包み込むようにして、いい香りですね、とメリルが言った。

「冷えてきたようだから、ジンジャーとレモングラスにしてみたわ」

と、私は答えた。

その時、あっ、と思い出したように小さく声をあげて、

「実は、みんなにこれを見せたかったの」

と、マリアがバッグから差し出した。

それは、ハリス、ロイ、トム、ジミーの写真だった。暖か味のある木製フォトフレームの中に、長男たち四人が仲良くすっきりと納まっていた。

あらためて長男たちの写真を眺めながら、あの夏の思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。何ともいえない優しく柔らかいものが胸いっぱいに広がるのを感じながら、それを言葉にするにはあまりに難しく

「素敵な写真ね」

とだけ、私は言った。

キッシュも、長男たちの写真に微笑んでいる、とても満足そうに。

ローリーは、

「こうして四人が並んでいると、感動すら覚えるね」

と、言った。

「今は、エイドもこの写真を持っています」

と、メリルが言った。

エイドが春に就職を果たし、精神的にも落ち着いてきた頃、メリルは思い切ってエイドに切り出した。ハリスの最後の場所、そうあのレンタルボックス跡地に一緒に行ってみたいのだ、と。意外にも、答えはあっさりとイエスだった。

「初夏の日差しが眩しいなかを、エイドと歩きました。ゆっくりと二人きりで過ごしたのは久しぶりでした。何年か振りに、やっとエイドと向き合えた気がします」

と、メリルは続けた。

そして、メリルはエイドに、あらためてハリスの死を語った。アルペンタに向かう登山電車のなかで、また、跡地に伸びる寂れた一本道で、そして、忘れ去られたように雑草と雑木林のなかにひっそりと佇むレンタルボックス跡地で。ハリスの思い出だけでなく、ロイやトムやジミーのことを。勿論、あの2018年の奇蹟のような体験も。

「そう、それでエイドはなんて?」

と、私は訊いた。

「エイドは、言っていました。その四人のなかで、自分が僅かにでも認識できるのはハリス叔父さんぐらいで、あとの三人は誰?って感じだ、って」

と言って、エイドの言葉を続けた。

だから、正直、今までは関係ないって思っていた。実際、俺が今まで生きてきたなかで会ったことも、喋ったこともないのに、親戚だの、家族だの、血だの言われたって訳わかんねーよって。挙句の果てに、次に死ぬのはお前の番だって言われて、俺、ほんと参ったよ。でも、これでも俺は俺なりに、受けとめようと必死だったんだ。自分なりに、生きる意味とかを考えたよ。ハリス叔父さんはどんな気持ちで死んでいったんだろう、とか。だから、自分もしっかり地に足をつけて生きていかなきゃいけないんじゃないかって思って、学校にも行きだして、猛勉強したんだ。今でも、ロイやトム、それにジミーの死がなんで俺に関係があるのか、よく分かんねーよ。でも、“関係ない”では済まされない、って言うより、済ませちゃいけないんだろうって、今は思うよ。目を背けちゃいけないって思ったんだ。

「だから、今日は来たんだ、ってエイドが言っていました」

とメリルが、一旦話し終えた。

「やっぱり、ママやジョージパパが言ったように、エイドも必死だったみたい」

と、マリアが言った。

エイドもなかなか利口ね、さすがメリルの子だわ、と私は感心した。

そして、メリルが続けた。

「エイドと向き合えたせいでしょうか、次はエイドの番だっていう焦燥感が今ではすっかり消えて、安心してエイドを見ていられるようになりました。とはいえ、家族の団結にはまだ程遠いのですが…」

と、言った。

その瞬間、私は、キッシュが見たというエイドのろくろっ首を思い出し、キッシュを振り返った。私の投げた視線の意味をすぐに理解したらしいキッシュは、微笑みながら瞳で頷いた。その瞳は、エイドの命のカウントダウンはもう消えたよ、と言っていた。

「今は、家族みんながこの写真を部屋に飾っているの。そして、写真に向かって朝晩祈っているのよ。勿論、エイドもね」

と、マリアが言った。

「そう、それは凄いことね。家族の団結に向けて大きな前進じゃない」

と、私は言った。

「本当に!素晴らしいことだね」

と、ローリーも感嘆の言葉を漏らした。

マリアの部屋の写真の前には、季節の花やら、長男たちの大好物と思われるお菓子やら果物、長男たちに宛てた手紙、更には、見て!見て!と買ってきたばかりのお気に入りのワンピースまで飾り、目を見張るほど賑やかな祭壇さながらになっているのだと、はしゃぐようにマリアが言った。

そして、

「こうして毎日四人の顔を見ることが出来れば、長男たちのことを忘れなくてすむでしょ」

と、マリアが言った。

部屋には、安堵のため息と、ジンジャーとレモングラスの香りが揺れていた。

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