第27話 マリア・グリーンの成長
9月下旬。夕暮れからは虫の音が風にのって心地よく耳に響く。
午後の日差しとともに、メリルとマリアがチーズタルトを手土産にやってきた。私は、ハーブティを淹れるわねとキッチンに立った。ローズとマーガレットをブレンドしたほんのり甘いハーブティならチーズタルトにぴったりだろう。砂時計のさらさらと滑り落ちる様を眺めながら、ハーブの葉が微妙な色あいで溶け出し薫る瞬間に心躍らせる。黒猫は窓際で気持ちよさそうに伸びをし、煙草に火を点けた。いかにも穏やかな午後だった。
砂時計が落ち切った頃合いで、さあ、いただきましょうと私は促して、メリルとマリアと黒猫はテーブルを囲んだ。ほんのりと酸味のある濃厚なチーズが口のなかで溶ける。美味しい!と、マリアが満面の笑みで言った。
「間借りのジミーは、その後どんな様子でしょうか?キッシュさんにご迷惑をお掛けしていませんか?」
と、メリルが黒猫に訊いた。
「ジミーは相変わらずお行儀が良いわよ。居るのか居ないのかわからないくらいね。だけど、メリルやマリアが来ると嬉しいみたい。右腕の辺りがビンビン感じるから」
と、黒猫が言った。
「そうですか、私とマリアが来ると喜んでくれるのですね」
と、メリルが安心したように言った。
「でも、つくづく変な話よね。ジミーのことはママも知らないんでしょ。会ったこともないのに、今頃になって幽霊のジミーとこうして話ができるなんて」
と、マリアが言った。
「ほんと、こんな事ってあるんですね」
と、メリルが感慨深げに言った。
「だけど、どうしてジミーはここに居るの?普通なら自分の家族に会いたいはずよね?」
と、マリアがさも不思議そうに言った。
「当然、家族のところにだって会いに行っていると思うわ。だけど、誰もジミーに気づかないのよ、きっと」
と、メリルが言った。
「まっ、ここには間借りさせてくれるキッシュがいるもんね!」
と、マリアが言った。
「キッシュの間借りのせいばかりとは言えないわ。やっぱりメリルを頼って、ハリスもロイもジミーもやってきたのよ、勿論トムだって」
と、私はマリアに言った。
「それはどうして?」
と、マリアが訊いた。
「メリルにはハリスやロイやジミー、そしてトムの声が聞こえるからよ。メリルはちゃんとハリスの思いを受け取っていた。それに、ロイやトムが苦しんでいることも。そして、次はエイドだってこともね」
と、私は言った。
「ねえ、それってママには霊感があるってこと?」
と、マリアが素直な疑問を投げてきた。こういう率直なところがマリアの長所だ、と私は思った。
「霊感なんていうものではないと思うわ。ママは幽霊が見えないし、はっきりと肉声で聞き取れるわけじゃないし。キッシュさん程になれば、そう世間の人は呼ぶでしょうけど」
と、メリルが言った。
「きっと、メリルの、ハリスやロイやジミー、トムに対する思いの強さだと思うわ。相手を思う気持ち、寄り添う気持ちが強ければ伝わるものだし、通じ合うものじゃないかしら。多分それは相手が生きていようが、死んでしまっていようが同じじゃないかしら」
と、私はマリアに言った。
「見ないといけない、ってジミーが言った通りよ」
と、黒猫が言った。
「そう、ハリスやロイ、ジミーやトムを見ないといけないの。だけど、親族の誰もが見ていないの。だから聞こえないし、感じとることができないのよ」
と、メリルが言った。
「私も、ハリスやロイ、ジミーやトムの声を感じ取れるようになりたい。大事なものに気づくためにはどうしたらいいの?」
と、マリアが真剣な瞳で訊いた。
「祈ることよ。祈りながら、ハリスやロイやジミー、トムに話しかけるの。そうすれば感じ取れるわ」
と、メリルが言った。
「何だかいまいちわからないのよね、祈るってことの意味が。神頼みみたいで薄っぺらく感じちゃう」
と、マリアが言った。
「じゃ、マリア、試してみるわね。例えば、もしメリルが余命一ヶ月だとドクターに宣告されたら?」
と、私はマリアに質問した。
「どんなことをしてでもママを助けてください!って、世界中のドクターに頼んでまわるわ」
と、マリアが答えた。
「じゃ、世界中のドクターが束になって治療をしても、メリルの命が助からないとわかったら?」
と、マリアに繰り返した。
「神様に祈るわ!ママを助けてって!」
と、マリアが即座に答えた。
「ほらね、マリアも祈るんでしょ。そのママを助けてって祈りが薄っぺらいの?」
と、私はマリアに訊いた。
「ほんとね、薄っぺらくなんかないわ!」
と、マリアが感嘆の声をあげた。
「嫌いな人のことを祈るなんてことは人間出来るもんじゃないわ、愛情がなくちゃね。祈るって行為は、究極の愛の形だとママは思っているの」
と、メリルが言った。
「でも嫌いな人に、死ねーって祈るのは?」
と、マリアが訊いた。
「それは、祈るじゃなくて、呪うっていうんじゃない」
と、黒猫が言った。
あっ、そっか!と、マリアは心底合点がいったようで、いかにも満足そうに残りのチーズタルトを平らげた。
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