第24話 ジョージ・グリーンの分身(続)
メリルは、ゆっくりと首を横に振って言った。
「嫌いになるどころか、余計にジョージを愛おしく思ったわ。ジョージがそうなるにはそうなる理由がある。それだけ辛い人生、痛みを背負って生きてきたんだろうってね。だからこそ、これからの人生はジョージを幸せにしてあげたいって思ったの。この人と二人で絶対幸せにならなくちゃって」
と、メリルが言った。
「ふうーん、ママみたいなそんな境地にはなれませんっ!」
と、マリアが怒ったように言った。
「でも、今回はアルコールが原因じゃないわね」
と、私が言った。
「本体から抜け落ちても独り歩きをしてるなんて、まるで生霊だよ」
と、黒猫が言った。
生霊ですか……。
昔、それとよく似た話を聞いたことがあります、とメリルも頷いた。
「メリルだって、辛い過去や痛みってことでは、背負っているものはジョージと同じだと思うの。だけど、メリルが別人格をもっているとは思えないのよね。だから、辛い過去や痛みが必ずしも別人格をつくるって訳じゃないと思うわ。そんな単純なことではないと思うの」
と、私が言った。
「うん、それは私も同感。ママほど裏表のない正直な人間を見たことがないくらいよ」
と、マリアが言った。
「そう!そうなのよ、マリア。あなた、良いことを言ったわ!」
と、私は声をあげ、今まさに頭のなかでそこに至った仮説について語った。
同じ境遇でも、みんなが別人格を生むわけではない。それは自分に正直であるかどうかの違いではないか。自分に嘘をつくようになると、自分自身にさえ見放されて行き場のなくなったその魂が別人格を生むのではないか、と。
「さっきマリアが、自分も親族のことに蓋をして見ないようにしてきたからヘドロになっちゃっているんじゃないかって訊いたわよね。でもマリアはそんな自分を自覚していたわよね?」
と、私はマリアに質問した。
マリアは、大きく頷いて答えた。
「ちゃんと自覚していたわ、って言うより、ママを苦しめ続けてきた親族を一生許さないって決めていたの」
と、自信満々にマリアは言った。
そこなのよ、違いは!と私は続けた。
思い出したくない出来事や言いたくない感情があったにせよ、いや誰しもあるのだが、そのことを自覚しているなら別人格にはならないのではないか。人間には、自分でも説明のつかない相反する気持ちや矛盾する感情というものは往々にしてあるものだと思う。
「例えば、好きだけど嫌いとか、許したいけど許せない、みたいな?」
と、マリアが言った。
そう!そんな感じね、と私は続けた。
相反する気持ちや矛盾があったとしても、その両方の気持ちを自覚している、自分のかなに矛盾が生じていることも自覚している、認めているなら、その両方ともがその人の感情として体のなかに存在を許されるのではないか。しかし、当の本人がその相反する気持ちを受け入れず、矛盾に気づかず、どちらか片方の感情をなかったことにして封印してしまったとしたら……。
「その感情は行き場を失ってしまわない?」
と、私は問いかけた。
「行き場を失って、体という器からはみ出した魂があの真っ黒いヘドロだよ」
と、黒猫が言った。
「今まではアルコールさえ飲まなければ封じ込めることができた魂を起こしちゃったんでしょうね、この間のトムの件や、メリルや私たちが」
と、私が言った。
メリルも黒猫もマリアも黙っていた。私は重い空気を破るように、お茶にしましょうと言った。
淹れたての珈琲の薫りが重く沈んだ空気を包む。深味のある芳ばしさに過去の痛みごと溶け込んでいくようだ。どれだけの人間がこの包容力のある薫りに癒されてきたのだろう、と私は思った。
「実は、リンダとキッシュさんに来ていただいた日、ジョージの話を聞いて私びっくりしたんです」
と、珈琲カップを両手で包んでメリルが話しだした。
実はメリルは、トムの写真を手に入れるために初めて養護施設を訪れたという訳ではない。それまでにジョージとは何度も養護施設を訪れているという。その度に、施設でのかつての恩師ともジョージは笑顔で屈託なく交わしていた。
「それで私はてっきり、養護施設での生活はさぞかし楽しかったのだろうと思っていました。まさか、いじめられていたなんて」
と、メリルは言った。
「いじめられたような場所に私だったら絶対帰りたくない」
と、マリアが言った。
「そう、普通ならそれが自然だと思うんです。現にトムは退所して以来、一度も施設を訪れることはなかったそうですから。だから、あの真っ黒いヘドロは、ジョージの痛みというか、影の部分だと思うんです。封印して感じないようにしている痛みというか。だから平気な顔をして、笑っていられるんじゃないかと」
と、マリアの言葉を受けるようにメリルは言った。
「自分の痛みや感情を封印しているから、過去の事実さえ捻じ曲がってしまったんだよ」
と、黒猫が言った。
「そうね、写真もすべて捨てたというジョージの行動が、施設での生活を思い出さないためにって解釈するのが自然だわね。それなのに今も施設に通っているのね、それも笑顔で」
と、私が言った。
「はい。苦い思い出や感情を全部封印して、辛いことがなかった過去にすり替えて生きているんじゃないかって思うんです、ジョージを見ていると…」
と、メリルが言った。
「そんなに都合よくすり替えられるもんじゃない、過去なんて。だからその皺寄せがあの真っ黒いヘドロだろ」
と、黒猫が吐き捨てるように言った。
「ジョージはそうでもしないと生きられなかったんじゃないかしら」
と、私が言った。
「だから、すり替えられなかったトムは死んだんだよ」
と、黒猫が言った。
「そうかも知れないですね。だとしたら、トムがあんなに寂しくて孤独だったことも頷ける気がします」
と、メリルが言った。
「ジョージパパったら、いつも笑ってて悩みなんてない人だと思っていたけど、本当は心が病んでたんだね。てっきり重い過去を背負っているのはママだけだと思っていたけど、ジョージパパも相当ね。別人格の分身まで作っちゃって、完全に心の闇じゃない」
と、マリアが言った。
「今回のこの件で、ジョージの心の闇が明らかになったことは良かったと思っています。ジョージにとってそれは辛いことだと思いますが、すり替えた現実と向き合って、痛みや傷を受け入れていく以外に、ふたつの分離した魂がひとつの人格として重なることはないと思うんです。本当のジョージの姿になることは」
と、メリルが言った。
「あの真っ黒いヘドロが自分だってことをまず受け入れるところからだね」
と、黒猫が言った。
「私、ジョージを支えます」
と、メリルが言った。
「えーっ、ジョージパパの心の闇を晴らして、エイドの命を救わなきゃならないって、我が家は大変じゃん!ついこの間までの平穏な幸せはどこに行ったの?」
と、マリアが頭をかかえて言った。
「家族で団結すれば乗り越えられる、ですって」
と、黒猫が言った。
すかさず、マリアが黒猫のほうに向いて言った。
「他人事だと思って簡単に言わないでよね、間借りのジミー」
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