第23話 ジョージ・グリーンの分身
虹いろ探偵団に引き揚げてきた私たちはソファに向かい合った。メリルと私とマリアは居住まいを正して黒猫の説明を待った。
「ジョージのなかにいるもう一人のジョージよ、あれは」
と、黒猫が言った。
「それはどういうことなの?もう少しわかりやすく説明してちょうだい」
と、私は言った。
「まあ、私もよくわからないんだけど」
と、前置きをして黒猫が話し出した。
ドスンという音とともに廊下を歩いてきたのは、ヘドロのようにぬるぬるした真っ黒い塊りだった。それは、ハリスやロイやトムのように幽霊、いわば死んだ者の魂ではなく、生きた者の魂だという。今まさに腹の底から、まるで腸のように抜け落ちた生々しさをもって、メリルの家のなかを動き回っているというのだ。
「ヘドロのような塊りなのに、どうしてジョージだってわかるの?」
と、私が訊いた。
「その塊りには体も顔もない。だけど、ジョージであることに間違いはないわ。雰囲気というか気配が間違いなくジョージなのよ」
と、黒猫は言った。
「確かに。玄関から二階に上がっていく足音も気配もジョージパパそのものだったわ!」
と、マリアが言った。
黒猫が続けた。
その真っ黒いヘドロは、ひそひそというか、ぶつぶつというか、文句を言いながらうごめいている。その声はまさしくジョージだったという。そして、そのヘドロがリビングにみんなの様子を窺いにきた時は、やめろ、やめろと言い続けていたという。
やめろってどういうことかしら?と、私は呟いて、はっとした。
「ジョージの様子がおかしくなったのと、家の様子がおかしくなったのは同じ頃?」
と、私はメリルに訊いた。
「はい、どちらも数日前からです」
と、メリルが答えた。
そして、
「メリル、ジョージが在宅の日に私とキッシュが伺ってからどれくらい経つかしら?」
と、訊いた。
「一週間、いえ、10日程でしょうか」
と、メリルが答えた。
「あの日、明らかにジョージはトムのことを聞かれるのも、養護施設での生活も、自分の生い立ちについては語りたくなかったはずね。だけどあの日、私たちがジョージの思い出したくなかった過去を掘り出してしまったのよ。心の奥底に蓋をして見ないようにしてきた気持ちや、過去の辛かった出来事の蓋を開けてしまったんじゃないかしら?」
と、私は言った。
「あの真っ黒いヘドロ、ここ数年であそこまで黒くなるとは思えないから、数十年ってことを考えると頷けるわね」
と、黒猫が言った。
「やめろ、とそのヘドロが言っていたというのは、過去を掘り返してほしくない、そっとしておいて欲しいという、ジョージの偽らざる気持ちだと思います」
と、メリルが言った。
「過去や自分の気持ちに蓋をしていると、みんなヘドロの塊りになっちゃうの?もしそうなら、私も親族に対して見ないように蓋をしてきたから、ヘドロの塊りになっちゃっているの?」
と、マリアが心配そうに訊いた。
「いいえ、そうとは限らないわ。人間だもの、誰だってひとつやふたつ思い出したくない過去や、人に言えないネガティブな感情くらいあるものよ。それを人には見せないようにして生きている。だからって、みんながジョージのようになるとは思えないわ」
と、私が言った。
「ジョージ自身も知らないところで、いつの間にか別人格が生まれてしまったんだよ」
と、黒猫が言った。
「別人格って、二重人格とかいうのと同じなの?」
と、マリアが訊いた。
「さあ、私は心理学者じゃないからよくわからないけれど、本来ならひとつの体にひとつの心が収まっているはずなのよ。だけど、ジョージのように別人格が生まれてしまうってことは、ひとつの体の中に相容れないふたつの心が生まれるってことだと思うの。そうじゃなきゃ、ジョージ本体からもうひとつの魂が抜け落ちて独り歩きをしていることの説明がつかないもの」
と、私は言った。
「そう言えば」
と、メリルが言った。
メリルは、そのジョージの別人格に心当たりがあると話し出した。
ジョージと結婚した当時のことだ。仕事の付き合いでジョージが珍しく飲み過ぎて帰ってきた。ジョージは玄関先で迎えたメリルに向かっていきなり、俺のことは放っておけ!と怒鳴りつけたという。メリルは意味がわからず、ジョージに何か嫌なことがあったのかと問いただしたが、ジョージは介抱しようとするメリルの腕をふりほどいて、俺のことは放っておけ!と繰り返し、手のつけようもない荒れ様だったという。翌朝ジョージに、昨夜の帰宅した様を語って聞かせたが、ジョージ本人は全く記憶にないという。メリルは、ジョージにとって余程嫌なことがあったのだろうと、その日のことを解釈した。しかし、その後も度々同じようなことが起こった。それは決まってアルコールが入った時だ。
「それで、ジョージはお酒を止めたんです。お酒を止めてからそんなことはなくなったのですが」
と、メリルは言った。
「アルコールが入るとまるで人が変わったようになるっていうのはよく聞く話ね」
と、私が相槌をうった。
「お酒さえ飲まなければいい人なんですが…ってやつね」
と、マリアが言った。
「アルコールが入ると自制がきかなくなって、うっかり本性を出しちまうんだよ」
と、黒猫が煙草をふかしながら言った。
「確かに、キッシュさんのおっしゃる通りだと思います」
と、メリルが続けた。
ジョージの豹変する姿を何度か体験してメリルは思った。いつも優しくて温厚なジョージ。他人に対しても恨み言は勿論、悪くいうのを聞いたことがない。しかし、ジョージの中に日頃見せないもうひとりのジョージが居るのだと。自己卑下が強く自暴自棄なジョージが。
「えーっ、それがジョージパパの正体なら幻滅。格好悪くて嫌な奴じゃない。良い人だと思っていたのに。優しくて良い男性だと思ったからママとの再婚を許してあげたのに!」
と、マリアが失望を露わにして言った。そして、
「ママ、ジョージパパの正体を知って嫌いにならないの?」
と、メリルに詰め寄った。
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