第22話 姿なき訪問者
9月に入った。昼間の熱気はまだ夏の様相を呈しているものの、朝夕の風は微かに秋の気配を感じさせる。
メリルとマリア母娘がやって来た。部屋に入ってくるなり、メリルの険しい表情を見て私は言った。
「メリル、どうしたの?マリアが問題児だってことなら、こっちだってお手上げよ」
「失礼ね!私は問題児じゃなくて感情のコントロールが効かないだけです」
と、ぷいと口を尖がらせてマリアが言った。
「減らず口がお上手ね」
と、私が言い返す。
そんな軽口など耳に入らないといった風なメリルを見て、
「メリル、どうしたの?」
と、私はあらためて訊いた。
「ジョージの様子がおかしくて。それに…家の中の様子も…不気味としかいいようがなくて」
と、メリルが言った。
「ジョージの様子がおかしいってどういうこと?」
と、私が訊く。
「なんだか、ジョージじゃない気がして…」
と、メリルが言った。
そうなの?と、私はマリアに訊いてみた。
「私は、ジョージパパの様子がおかしいとはわからないんだけど…」
と、言いながら、自分にはわからないが、ジョージの妻である母が言うのだから、やはりジョージはおかしいのではないか。
「だって、夫婦じゃん。ママが一番ジョージパパのことはわかっているはずだから。だけど、ジョージパパの変化はわからなくても、家の様子がおかしいことだけは、私でもはっきりわかるわ」
と、マリアは続けた。
先日、母のメリルに連れられ、はじめて虹いろ探偵団を訪れた日から、親族の一部始終を知るために、マリアはほぼ毎日のように実家であるメリルの家に顔を出しているという。
「だって、知らなきゃエイドを助けられないじゃない。だから、今まで聞こうともしなかった、見たくもない、と思っていた親族のことをママに教えてもらっているの」
と、マリアは言った。
昨日もマリアは実家を訪れ、メリルから親族の話、メリルの幼少時代の話を聞いていた。
と、その時、玄関のカギが開く音がし、すたすたと階段を上り寝室に入っていく人の気配がした。えっ、ジョージパパ?こんな昼間にどうしたのかしら?会社で何かあって帰って来たのかしら?と、マリアとメリルは、ジョージの後を追って二階の寝室のドアを開けた。
「でも開けてびっくり。ジョージパパも誰もいなかったの。確かに、人が玄関から入ってきたのよ。それも鍵を開けて。気のせいなんかじゃないわ。だから、ママと怖くなっちゃって…」
と、身震いをするしぐさでマリアが続けた。
「でもママに聞いたら、数日前からずっとそんなことが続いているって言うのよ。廊下を歩く音や、そう、リビングでテレビのリモコンを触る音までするって!ママったら、よくそんな怖い状態なのに、ひとりで家に居られるわねって言ったんだけど」
と、マリアが言った。
そうなの?と、私はメリルに確かめた。
「ええ。ジョージを会社に送りだした後は、私以外は誰もいないはずなんですが、どういう訳かここ数日、ずっと家のなかに人の気配がして…」
と、メリルが言った。
それに、とメリルが続けた。
「ジョージの様子が変なんです。いつもは優しくて温厚そのもののジョージが、なんだか人が変わったみたいに荒々しい気がして。顔つきも険しいというか、怒っているのかしらっていうような…」
と、言った。
「まさか、この間みたいにトムが乗り移っているって訳じゃないでしょうね」
と、私が冗談めかして言うと
「もしかしたら、そうかも知れません」
と、真剣なメリルの声が返ってきた。
思いがけず真顔のメリルに、
「メリル、そこは、まさかって答えてくれなくちゃ洒落にならないじゃない」
と、私はどぎまぎして言った。
まさか、ほんとにトムが乗り移っているの?と、隣で煙草をふかしている黒猫に視線で訊いてみた。
「さあ、行ってみなくちゃわからない」
と、黒猫は言った。
次の日、私と黒猫はメリルの家を訪れた。風通し良く開けられた窓、戸棚にきちんと整列したカップたち、磨き上げられたシンク、いかにもメリルらしいキッチンとリビングに通された。
「だいたい昼間はこのキッチンかリビングで過ごしているのですが、ここ数日はずっと誰かに見られているような気がして…」
と、メリルが言った。
「ねえ、正体はわかった?何かいる?」
と、今日は自分も同席すると言って、仕事を早上がりしてきたマリアがせっかちに訊いた。
黒猫はキッチンとリビングを見渡したが、さあね、と素っ気なく返しただけだった。
取りあえず、私と黒猫はメリルの用意してくれたシナモンパイとアールグレイティーをいただくことにした。マリアが満面の笑みで、ホイップ仕立てのクリームをパイに載せて頬張った。
「それで、ジョージの様子はどうなの?やっぱり変なの?」
と、私はメリルに訊いた。
「ええ。なんだか日に日にイライラが増しているみたいで」
と、メリルが言った。
と、その時、ドスンと玄関先で音がした。私たちは、互いに顔を見合わせた。
「しっ!そのままじっとして、おしゃべりを続けて」
と、黒猫が言った。
私とメリルとマリアは出来るだけ平静を装ってシナモンパイを口に運び、“美味しい”を連発し、アールグレイティーを喉に流し込んだ。
「いらっしゃったわよ、ヘドロみたいに真っ黒い奴が。ぬるぬると廊下を這っていらっしゃるわ」
と、黒猫が言った。
「真っ黒いってことはやっぱりトムなの?」
と、私は声を潜めて黒猫に訊いた。
「いや、あれはトムじゃなくてジョージね」
と、黒猫が言った。
私とメリルとマリアは事態を吞み込めず、取りあえず沈黙するしかなかった。
「ほうら、こっちを窺っているわ。そわそわしながら」
と、黒猫が言った。
そして、真っ黒いヘドロにわざと聞かせるように
「トムとジョージの写真が欲しいわ。寝室だったかしら?」
と、黒猫が大声で言った。
すると、慌てたように寝室に向かって廊下をバタバタと歩く音がして、寝室のドアがバタンと閉まった。
「キッシュ、真っ黒いヘドロがジョージってどういうことなの?」
と、私は訊いたが、
「取りあえず正体がわかったから、一旦引き揚げるわよ。話はそれから」
と、黒猫が言った。
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