第19話 8月24日、ジョージ・グリーンの痛み
その日は、メリルの夫であるジョージが在宅だからという理由で、私と黒猫はメリルの家に呼ばれた。ジョージと会うのは、兄のトム・グリーンが黒猫の声を盗ろうとした末に、最後は母の胎内、いや、命の小宇宙へかえっていく、という思いもかけない結末を迎えて以来だった。
「あの後、私、ジョージに言ったんです。トムのことを、お兄さんのことをもっと知りたいって」
と、メリルは話し出した。
メリルは、朝に晩にハリスやロイ、ジミーそしてトムのこともずっと祈っていたとジョージに打ち明けた。
そして祈る度に、ロイとトムの苦しそうな顔が浮かんでいた。ロイとトムが安らかに眠っていないことに気づいていたのだと。
「だけど、ジョージがトムのことになると口が重くなることに気づいていましたから、私もずっとトムのことには触れないようにしてきました」
でも、あの日、あんな姿の義兄トム・グリーンにはじめて会ったのだ。
「私、ジミーが言ったように、トムのことを見ないといけないって思ったんです。なぜ、トムがあんなにも寂しい思いを抱いていたのか、孤独だったのかを」
と、メリルは言った。そして、続けた。
「それで、リンダやキッシュさんは勿論、ジミー、というと変ですが、キッシュさんが体を貸してくださって、キッシュさんのなかにいる…」
「まどろっこしいわね、間借りのジミーでいいんじゃない」
と、キッシュが言った。
「はい、間借りのジミーのためにも、全部見てもらわなくちゃって…。それで間借りのジミーは、あれから、どうでしょう?」
と、メリルは訊いた。
「ジミーは随分とお行儀が良くて助かってるわ。私のスペースを邪魔しないよう、出来るだけ隅で小さくなってくれているみたい。居るのか居ないのかもわからない時があるくらいよ」
そうですか、とメリルは安心したように頷いた。
「ちなみに、今は私の右腕のあたりに居るわ。時々、右腕に痛みや痺れを感じるから、ジミーの反応がわかるの。一昨日、ハリスのレンタルボックス探しの時は傑作だったわ」
と、黒猫は話し出した。
あの日は、間借りのジミーもそわそわしているのか、黒猫の体のなかをあちこちと移動していた。あの空き地、レンタルボックス跡地でみんなで手を合わせた時、ジミーはいきなり黒猫本体を押し退けるように黒猫の体全面に現れ、黒猫の瞳を借りて、メリルがハリーのために手を合わせる姿を見つめた、というのだ。そして、その後ボックスの移動先で、黒猫がメリルに一喝した時にも、その一部始終をジミーは黒猫の瞳を借りて見つめていた。
「メリルの、ハリスへのわだかまりが解けたことを喜ぶようにね」
と、黒猫が言った。
「じゃ、ジミーとキッシュの同居が上手くいっていることがわかったところで、今日の本題といきますか」
と、私は先をすすめた。
メリルは、本題をトムに戻すため、夫ジョージとその兄トムとの生い立ちを掻い摘んで話した。
両親が離婚したため、ジョージは二歳の時から、ひとつ上の兄であるトムと一緒に児童養護施設で育った。その時に別れた母親とはそれっきりで、ジョージは母親の顔さえ知らずに育った。父親は時々、二人の息子に会いに施設を訪れた。18歳で退所してからは、トムは紡績会社に、ジョージは食品製造会社にそれぞれ就職した。そして、2011年に父親が亡くなる。そのわずか数か月後の2012年、2月にトムは首吊り自殺をした。その年の夏、ジョージはメリルと知り合い、翌年二人は結婚した。その数か月後、生き別れたままの母親から、突然、ジョージに連絡がきた。兄トムの残した負債請求の件で裁判所から手続き要請の知らせを受け、はじめて母親は、別れた長男の死を知った。そして、35年ぶりにジョージは母親と再会した。
「私が知っていることは、ここまでです」
と、メリルは一旦間をおいて、続けた。
メリルは、ジョージからトムの話を聞いた時、互いに不遇な子供時代、そして兄弟との別れまでも似ていることに運命的なものを感じたという。
「同じ痛みを共有し、いたわり合いながら、この人と生きていくんだなって思いました」
と、メリルは言った。
黙ってメリルの話を横で聞いているジョージに、私は訊いた。
「トムに関するもの、そうねえ、トムの写真はあるかしら?」
「施設を出た時に、自分の写真も、兄の写真も全部捨てました」
と、ジョージが答えた。
それを聞いていたメリルが、ジョージに言った。
「お母さんに会いに行くために、施設から貰ったトムの写真はどうしたの?」
生き別れた母親と再会すると決まった時、兄であるトムの写真を母親に見せてやりたいとジョージは思った。しかし、写真がなくて困ったジョージは養護施設を訪れ、わずかに残っていた幼少時代のトムの写真を譲ってもらった。
ああ、とジョージは思い出したようだが、
「どこにやったかわからない。失くしてしまったと思う」
と、小さく答えた。
と、その時、黒猫の耳がぴんと立って
「トムの写真は、この家のなかにあるわ」
と、言った。
一瞬驚いたようにジョージは黒猫を見て、気乗りがしない様子で、探してくる、と席を立った。
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