第13話 ハリスの置き土産
「みんな、無事ね」
私は、あらためて声をかけた。
「殺されるかと思った」
と、安堵の色を滲ませて黒猫が言った。
メリルとジョージは何も言わなかったが、その表情から、この夫婦にとってかけがえのない絆、“トム”という絆が、新たに結ばれたことを私は感じた。
私は、咄嗟に提案をした。
「みんなで揃って、感謝の祈りを捧げない?」
「ロイに!トムに!そして、この奇蹟のような体験に!」
賛成!と、いち早く手を挙げたのはメリル。ジョージは、微笑んで頷いた。
黒猫キッシュだけは、
「いろいろ微妙だけど、一応…賛成」
と、往生際が悪い。
「私、殺されかけたのに、感謝するの?納得いかなーいっ!」
などと、ぶつくさ言い続ける黒猫をよそに、私は、
「じゃ、いくわよ!」
と、号令をかけた。
と、その時、
「あのう…」
と、黒猫の声がした。
「キッシュ!いい加減にしなさい。まだ、ぶつくさ言ってんの!」
私は、祈るために一旦閉じた目を開けて言った。
さっきまでの太々しさはすっかり鳴りを潜めて、泣き顔なのか、しかめっ面なのかよくわからない、なんとも表現し難い、そう、それこそ“妙”に引きつって強張った顔の黒猫がいた。
私は異変を感じ取ると同時に、今、黒猫を叱りつけた言葉に“前言撤回”と、心のなかで呟きながら、
「キッシュ、どうしたの?」
と、訊いた。
黒猫が、強張った表情と固まった姿勢のままで、目の玉だけを動かしている。
「キッシュ?! 一体、どうしたっていうの?」
黒猫は、引きつった筋肉のせいで言葉が出ないのか、尚も、目の玉だけをせわしなく動かしている。
ん?よく見ると黒猫は、自分の左横、左横、と合図しているようだ。
私は、黒猫の合図らしいものが何を伝えているものなのかさっぱり理解できないまま、ソファに座る黒猫と黒猫の左横を見比べた。
私は助けを求めるようにメリルを見たが、メリルも私同様に、意味がわからないといった表情で首を横にふった。
「キッシュ、左横がどうしたっていうの?なにが言いたいの?」
尚も訊く私に、やっと黒猫が言葉を発した。
「生首…」
確かに、黒猫はそう言った。
生首?……生首ってなに?どういうこと?
さすがに業を煮やした私は、言った。
「キッシュっ!さっぱりわからないわっ!はっきり言ってちょうだいっ!」
黒猫が、意を決したように叫んだ。
「ハリスが、生首を下げて来たのっ!ハリスとジミーの生首が、横に座っているのよっ!」
それを聞いて、メリルが叫んだ。
「えっ!ハリスがいるの?!ここにいるの?!」
黒猫は、生首の座っているらしい左横が視界に入らないように私の正面に向き直って、こう話した。
リンダの号令で感謝の祈りに入ろうとした時、すーっと左上空から人が降り立った。それが、写真で見たままのハリス・ロンドだと気づき、リンダに知らせようとした。だが、次の瞬間、黒猫の目が釘付けになった。なんと、ハリス・ロンドが片手に下げていたのは、ジミー・カーチスの生首だった。黒猫は、
ぎゃーーーっ!なんで、生首ーーっ!
と叫びたかったが、驚愕のあまり声も出なかった。そして、ハリスは平然と黒猫の横に腰かけた。なんと、黒猫との間に、ジミーの生首を置いて。
「よりによって、なんで、そこーーーっ!て、感じよね」
そう言って黒猫は、体は私に向いたままで、腕だけをのばして自分の左横を指さした。
メリルもジョージも私も、信じられないような思いで黒猫の左横の空席を眺めた。
「今もいるの?」
私は訊いた。
黒猫は、恐る恐る左横を確かめて、
「何食わぬ顔で、いらっしゃるわよーーっ」
と、今にも泣き出しそうだった。
「この際ハリスはいいとして、何故、ジミーは生首なの?胴体はどうしたの?」
私は、黒猫に訊いた。
「知らないわよ、そんなこと!」
「私のほうが知りたいくらいよ、何せ、生首で困ってるのは私ですから。あんたたちは、見えないから平気でしょうけどねっ!」
もはや、黒猫は手のつけられない、あばれ猫と化していた。
「生首……。ジミー・カーチスの死因は何だったのかしら?」
私は、今度はメリルに訊いた。
「いえ、自殺と聞いただけで。原因は、なにも……」
と、メリルが申し訳なさそうに答えた。
「そうだったわね」
と、私は頷いて
「発見時、首と胴が切り離されていたのかしら?いや、それじゃまるで殺人事件よね。そんな筈はないわね」
と、言った。
メリルも、困惑顔で頷いた。
「ん……そうなると、全くわからないわね」
私は腕組みをして、ちらっと黒猫を見た。
「ねえ、キッシュ。ハリスに訊くことは出来ないの?」
ぷいとふくれっ面だった黒猫が、私を見て
「聞いてあげてもいいけど」
そう言って、ハリスと生首に背中を向けていた黒猫が、再び恐る恐る振り返った。
と、その瞬間、黒猫が叫んだ。
「ハリスがいないっ!」
みんな、途方に暮れた。ジミー・カーチスの生首を前にして。
「ハリスったら、一体全体どういうつもりなのよっ!ジミーだけを残して。それも、生首よ、生首ーっ」
黒猫は、鼻息が荒い。
深夜2時のトムの奇蹟の余韻に浸る間もなく、すったもんだのなか、窓の外が白々と明らんできていた。チュン、チュン、と鳥のさえずりがする。
ジョージが、妻のメリルに何事か囁いている。
「あのう、すいません。夫のジョージだけ、取りあえず帰ってもいいでしょうか?」
メリルが、申し訳なさそうに訊いた。
「仕事が…」
と、ジョージが言った。
ここにも、生首どころで仕事を休めない男がひとり。
さすがに襲ってきつつある眠気と、昨日からの疲れを感じながら、私は
「ジョージ、助かったわ。来てくれて本当にありがとう」
と、メリルにも一緒に帰るよう促した。
「でも、ジミーの首は…どうしましょう?」
と、メリルが訊いた。
「ジミーには申し訳ないけれど、私たちには今、なんのおもてなしの手段も見つからないわ。それをじっくり考えるだけの思考力も残っていない」
取りあえず、それぞれが一旦帰って休みましょう。しっかり休息をとって出直しましょう、と私は提案した。
「そうしましょう、そうしましょう。このままじゃ、やってられないわ。私たちがいなくなったらジミーもあきらめて、いなくなっていてくれることを望むわ」
と、黒猫が言って、帰って行った。
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