第12話 トム・グリーンの嘆き
と、その時、玄関のチャイムが鳴った。
「ジョージだわ!」
と、メリルが声をあげた。
私は、いよいよトムが現れるという寸前に、ジョージが間に合ったことに思わず歓喜した。また、この一刻を争う緊迫した状況に、ジョージという加勢を得たことに感謝せずにはいられなかった。
「ジョージ、はじめまして。私はリンダ。間に合ってよかったわ!」
と、私はジョージ・グリーンに短く挨拶をした。
妻のメリルから、掻い摘んで事情は聞かされたであろうものの、状況を把握しきれていないらしいジョージは、はあ、とだけ小さく答えた。
私は、メリルの横に腰かけるようジョージを促した。
ジョージは黙ったまま妻の横に座った。
「もう間もなく、あなたのお兄さん、トム・グリーンが現れるはずです。トムが何を望んでいるのか、どうしたいのかを聞き出して欲しいのです」
「それは、トムにとってたった一人の肉親である、弟のあなたにしか出来ないことだと思います」
と、私はジョージに話しかけた。
今度も、はあ、とだけジョージは頷いた。
「ジョージ、しっかりして!」
妻のメリルは、夫のジョージがこの思いもかけない事態に、気が動転しているとでも思ったのであろう、ジョージに向き直って言った。
しかし、妻のメリルの言葉も、ジョージの意識の外をかすめただけだった。
ジョージは、一点を見つめたまま黙っていた。
メリルは、なす術なく心配そうに夫のジョージを見つめた。
私も、ジョージが極度の緊張状態に陥っているのだとしても無理はないと思い、なんとかジョージの落ち着きを取り戻そうと声をかけた。
「ジョージ、トムとは仲がよかった?トムは、どんなお兄さんだったの?」
ジョージは、身じろぎもしない。しかし、宙を浮いたようだった視線がゆっくりと定まっていくのがわった。私は、続けた。
「ジョージ、トムはどうして死んだのかしら?」
その問いに、ジョージの目はみるみる間に意思をとり戻していくようだった。
「ジョージ、トムのことを教えてちょうだい」
ジョージは黙っていた。さっきまでの表情とは違い、眉も目も吊り上がり、まるで人相ががらっと変わってしまったようにさえ見える。そして、その目は怒りを滲ませていた。
「ジョージ!?何か言いたいことがあるの?」
すると、ジョージの唇が僅かに震えて、そしてこう言った。
「誰も…聞いてくれなかった」
その言葉を聞いた途端、メリルはぎょっとしたように目を見開いて、ジョージを見た。そして、叫んだ。
「ジョージの声じゃないわ!ジョージじゃない!」
「メリル!どういうことなの?」
と、私が訊いたその時、黒猫キッシュが私に目配せをした。
それは、ジョージを見ろ、と言っているようだ。
私は、その意味が理解できないまま、しかし黙ってジョージに視線を向けた。
そして黒猫キッシュは、ジョージにこう言った。
「あなたは……ジョージじゃないわね。トムね、トムでしょ!」
えーーーーっ!またもや、憑依ーっ!?
メリルと私は驚いてお互いに顔を見合わせ、そして再び、ジョージに、いや、トムに目を向けた。
「トム…ジョージに乗り移って…どうしようというの?」
キッシュは、かすれた声を絞り出すように、しかし強い口調でトムに訊いた。
トムの目がゆっくりと動き、キッシュを捕らえた。
「リンダっ!……あとは…」
キッシュの声はもう切れ切れで、息づかいさえ苦しそうだった。
私は、キッシュを救うには予断を許さないことを覚った。
「トム、どうしてここに来たの?ジョージに乗り移ってどうしようというの?」
私は、キッシュの言葉を繰り返した。
今度はトムの視線が、私を捕らえた。
と、その途端、トムはこぶしを震わせて怒鳴りつけるように言った。
「誰も、聞いてくれなかったーっ!」
怒りの炎が燃え盛り、ぎらぎらと光る目が敵意をあらわしていた。
私は咄嗟に危険を感じ、メリルに叫んだ。
「メリルっ、祈るのよ!トムの怒りが鎮まりますように、って!」
「わかったわ!」
とメリルは頷き、すぐさま胸の前で手を組んだ。
私も目の前のトムに、言葉ではなく、心で繋がるために目を閉じた。
外で急に風が吹きはじめた。まるで地鳴りのように、床をつたって足に響いてくる振動。ガシャーン!と、何かが割れたような音がする。どこからか、竹笛のような低い音が辺りを包んでいる。耳の奥で金属音がする。地鳴りのせいなのか、恐怖で震えているのか、自分の体の内部が小刻みに揺れているのがわかった。止めようとして止められない震えが全身を走る。カタカタと自分の顎が鳴るのを聞いた。
私は、うろたえていることを自覚しながら、それでも、一歩も退くわけにはいかないことを同時に覚った。なぜなら、黒猫キッシュを救うため。そして、メリルを救うため、トムに乗り移られたジョージを救うため。そして何よりも、トム・グリーンを救うためにだーーーっ!
私は祈った。がむしゃらに祈った。この吹き荒れる風に、この地を這う轟に、この鳴り響くようにうごめく異様な大気の流れにむかって、すべてを包み込んでしまえとばかりに。そして、この思いがトムに届けとばかりに。
カーッン!カーッン!カーッン!頭の上で、まるで踏切りの遮断機のような大きな音が鳴り響く。その轟音とともに、暗闇の中でチカチカと点滅する赤や黄色の光。ピーッ!という警告音のような高い音が鳴っている。
トムーッ!
私が闇のなかで叫んだ時、トムの姿が見えた。上半分が真っ黒になった顔、ぎらぎらと怒りで煮えたぎったような目。トムは正面から私を見据えていた。私はトムに話しかけようとした。すると、トムが言った。
「誰も、聞いてくれなかった」
私は、訊いた。
「誰に、聞いてほしかったの?」
トムは黙っていた。
「トムは、聞いてほしかったのね」
「なら、私がきくわ。きかせてちょうだい」
私は、トムに優しく話しかけた。
トムは、
「さみしかった」
と呟いた。
トムは泣いていた。
そして、
「怖かった」
とも、トムは言った。
真っ黒だったトムの顔は、いつしか心許ない表情の男性の顔になって、泣いていた。
私も泣いた。いく筋もの涙が頬をつたっていくのがわかった。
私は、トムに言った。
「トム、もう怖がらないで。さみしがらないで」
「私たちがいるわ」
すると、私の目の前で、大人のトムが少年の姿になった。少年のトムは三角座りをして、半分泣きべそをかいたような表情で私をみていた。
私は、三角座りをした少年のトムに
「大丈夫よ」
と、微笑みながら優しく声をかけた。
すると、少年のトムが、三角座りをした格好のままで、みるみる間にひざを曲げた赤ちゃんに、いや、もっともっと小さく、お母さんのお腹のなかに包まれた胎児に戻っていった。
私は、トムがお母さんのお腹のなかに、命を包み込む小宇宙のなかに戻っていったことを確信した。
風がやみ、穏やかな静寂をとり戻していることを肌で感じて、私はゆっくりと目を開けた。
メリルとジョージが互いの手を握り、泣いていた。苦しそうに歪んでいたキッシュの顔は、いつもの不敵さを帯びた黒猫の顔にもどっていた。
とうに日付が、8月19日に変わってしまっていることに気づいた。
時計の針は、午前2時を指していた。
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