No.2 「少年は尋ねた。そして僕は答えた。」
パンが消えた日の昼は、サンドウィッチを食べた。近頃では珍しく、しっかりと晴れていて、それでいて暑くない気候だったから、校庭のベンチで小さな風呂敷を開けた。
そのなかには、もっと小さいお弁当箱と、ラップに包まれたサンドウィッチが二つ入っていた。片方は卵で、もう片方はハムだった。先に卵の方を食べた。
ちょうどその時、僕の座るベンチの近くに一人の少年がやってきて、うろうろと手に持った弁当を食べる場所を探していそうだったので、ベンチの半分を開けて、ここどうぞ、と言った。少年は嬉しそうに頬を持ち上げて、ありがとう、と言った。
「パンが消えたこと、どう思います?」と、少年は弁当箱を開けて、唐揚げを口に放り込みながら言った。
パンが消えたことについてどう思うか。
果たして僕は、パンが消えたことを、どう思っているのだろうか。
とても大変なことだとも思っているし、どうでもよいと思っているようにも感じた。
でも、そのことをそのまま話してしまうのは憚られたので、僕は「悲しいですね」と答えた。
その言葉は、とても中身のない、トイレットペーパーの芯みたいな印象を覚えるものだった。僕はパンが消えたことをどう思っているのだろう。
「僕も同じです。こんなひどい事、一体誰がやったんでしょうね」と、少年は熱を感じさせる声で言う。
一体誰がパンを消したのだろう。誰がパンを消した? パンが誰を消した?
「ええ、とても」僕は適当に相槌を打つ。
卵のサンドウィッチは食べきったので、ハムのサンドウィッチに手を付ける。ハムは、少し塩気が強いような気がしたけれど、悪くない。きゅうりとレタスが、哀れにも耳を切り落とされた食パンによって乾いた口を潤してくれる。
きっとサンドウィッチと言う食べ物を考えた人は、よほどの天才だろうと思った。
「パンが消えたら、これから一体どうやって生きれば良いんだろう」少年は、先ほどよりもずっと小さな声でそう言った。
その声は酷く悲しそうだったけれど、その表情は、これから一体どうやって生きれば良いんだろうなんて言うほど、悲壮感に溢れているようなものでもなかった。
パンが消えてしまったというのに? そういう自分も、ほとんど悲壮感なんて感じていないのだけれども、多くの人々が嘆くこの問題に対して、それほど悲しく思っていないというのは、僕自身にとってひどく恐ろしく思えたし、それ以上に不思議にも感じられた。もしかすると、自分には心と言う心がないのではないかとすら思えた。
手元を見ると、卵のサンドウィッチと同じように、ハムのサンドウィッチも消えていて、その何もなくなってしまった空間に、遺物の名残を求めるかのようにして添えられた両手が、どうしてかとても無責任なもののように思えた。突き付けたままで撃たない銃口のようにも感じられた。
僕は取り乱して、焦ったようにサンドウィッチを包んでいたラップを丸めて、空の弁当箱に入れて、風呂敷を包んで、立った。
その一連の行為は、力によって曲げられたゴムが、元のあるべき形に戻ろうとして行う、一連の反逆にも似ていた。
卵焼きを食べていた少年は、すこし驚いたように僕を見て、それからすぐに弁当箱の中に視線を戻した。去り際、背後から少年が声を掛けてきた。
「誰が、パンを消したんですか」
「違うよ。パンが、誰を消したんだよ」と、僕は答える。
風が吹いてきた。校庭の砂が小さく舞い始めている。
ちょうど良いタイミングだったと僕は思った。そして、僕は振り返らずに校舎の中に入っていった。少年は、それっきり僕の背中に声を掛けることを止めた。
それで良いのだ、と僕は思った。
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