腐れ剣客、己の死因に再び相まみえる


 

 鴎垓とレベッカ、二人以外には誰もいなかったはずの空間に突如現れた人物。

 それは刀を携え鴎垓へと斬りかかった老年の剣士だった。


 落ち窪んだ目元、口元の皺や額に浮き出たしみ。

 齢の積み重ねを感じさせる相貌でありながらかくしゃくとしたその姿は日頃の鍛練の成果を物語っている。

 その正体はかつて鴎垓が師事し、剣の基礎を学んだ道場の主にして――彼の首を断ちその短い生涯に幕を下ろした張本人であった。






「いや、違うな」


 と、言いたいところだったがんなわけがない。

 あまりに精巧で騙されそうになったがよく見ればこの人形ひとがた――である。

 その証拠にに光がない。

 立ち振舞いからして感情というものを全く感じられないのだ。


 これが本当に師匠であったならば、その瞳は殺意の光で満ち満ちているはずである。

 世間が厭戦えいせん、血生臭い戦いを忌み嫌うようになったにも関わらずかなり実戦寄りの剣術を教えていた御仁だ、都落ちしてもその考えを変えなかった人があんな虚無的に、あんな適当に刀を振るうなどあり得ないと鴎垓は鼻を鳴らす。

 随分と見くびられたものだ。


『鴎垓よ、お前の罪はその命でもって償わねばならん』


「はっ、白々しい。科白せりふまでそっくりとは、儂の記憶でも読んだのか?」


 次々と斬りかかってくる偽物の斬撃を避け続ける鴎垓。

 その技自体は本物と遜色ないが使い手に感情がない時点で脅威足り得ない、これではまるで魂の抜けた人形にんぎょうと戦っているようだ。

 それでもこの再現度は驚異の一言。

 頭の中を覗かれでもしない限りこうは出来まい。


「レベッカが目覚めぬのもそれが理由か?」


『せめてこの師の手でお前を送ってやろう』


 意識がないのは何かしらその影響があるのかもしれない。

 まるで感情の込もっていない言葉を垂れ流し、刀を振りかぶる偽物。再び首を狙った一撃を体を反らして避け、技の繋ぎ目に合わせて距離を詰める。

 柄を使った殴打を腕を交差させて受け、そのまま流れるように刀を奪う。


『貴様――』


「御免」


 横一文字。

 躊躇なく放たれた一閃

 軌道の上に挟み込まれた腕ごと偽物の首を斬り飛ばす。


『――』


 胴より断たれ遠くに飛んでいく首には目もくれず、倒れ伏す体から鞘も奪い取り刀を納め腰に差す。

 実にしっくりとくる重さだ。

 やはりこれでなくてはとしみじみ思う鴎垓。

 その周囲の湖より、幾つもの波紋が生まれる。


「だったら出てくる奴らを倒し続ければいいのかのう。

 いや、それよりあの塊を直接……。


 ――ってなんじゃ、今度はお前らか」


 その波紋の中心より現れ出でるは――刀を携えた剣士たち。

 揃えたように羽織に袴、腰には見事な打刀。

 次々に腰のものを抜き放ち、刃を露出させていく。

 剣呑さを隠しもしない厳めしい表情。

 怒りや憎しみがそのまま形になったかのようだ。

 その一人一人全てに、見覚えがある。

 そしてこの状況もまた。




「はぁ……全く、嫌な記憶を思い出させてくれる――これではあの日の通りではないか」




 それは鴎垓は死んだ日。

 師匠に殺される、のこと。

 時間にして数十分。

 その間に起きたが――結果として彼に死を選ばせたのである。




「こんなところにまで出てきおって、そんなに儂のことが嫌いかお前ら。いやまあそうだわな、自分らは日頃必死に鍛練しとるのに新参者の儂はその横で好き勝手しとったんじゃから。

 しかもそんな不真面目にしか見えん奴に全員がかりでも勝てんというんだからそりゃあ憎いと、恨み骨髄というもんじゃ」


 合図もなしに一斉に斬り掛かってくるかつての道場仲間たち、その剣撃を紙一重で避けながら抜刀。

 これも偽物。

 だが数は脅威だ。

 抜き打ちで一人の胴を断ち続く一撃でもう一人の面を切り裂く。


「あの頃は本当にそう、どうすれば【鬼】を斬れるかただそれだけを追い求める日々であったからのう。

 寝ても覚めても、頭の中はそれだけに集中していて正直お前らのことはどうでもよかった

 そんな奴が同じ道場におったらそりゃ酷く目障りであったことだろうよ」


 包囲。

 突き出される切っ先。

 五人がかりの剣衾けんぶすま、屈み避け一閃二閃。

 両の足を人数分。

 斬り離す。

 崩れ落ちる背中トンと一刺し、これまた人数分。

 動きが止まる。


「全員の堪忍袋の緒が切れて道場で勝負を挑まれたこともあったのう、確かその時も容赦なく叩きのめしたんだったか。

 人間相手に必要以上の時間を掛けたくないとかその時は本当にそう思っとったよ、自分のことながら何と傲慢であったことか。

 だからが起こったんじゃろうな――儂の寝込みを狙って襲撃するなんぞという下衆な企みがよ」


 数を減らしていく偽物たち。

 それと比例するように景色に変化が起こり始める。

 変化は空間だけに留まらず、気付かぬ内に鴎垓の姿までもが別のものになっていく。 


「ただな、それが儂だけを狙ったものであったなら、それでよかった。

 もとよりその憤りは儂に起因するものなのだからな。

 だがお前らは、それを儂以外にも向けおった」


 いつしか世界は夜に。

 空は雲に覆われ、星見えず月だけがあり。

 湖面は消え去り土に。

 無数の墓が現れ、建物が出現する。

 草木が生え木の葉が舞い散り、石の置物が鎮座する庭には――全身血塗れの鴎垓が一人。

 いつしかそこは、当時鴎垓が道場仲間たちと死闘を繰り広げた寺と全く同じところへと変貌を遂げていた。


「儂が寝泊まりする場を与えてくれていた寺の尼、あいつは関係なかったじゃろう。それなのにお前らは、あいつの体を無惨に引き裂き、儂の前へと打ち捨てた」


 独白は続く。

 黒い着流しはどこまでが生地でどこまでが血か分からぬほどにびしょ濡れで、滴る返り血が地面に赤い水玉を作り上げている。

 それは当時、襲撃を受けた時と同じ姿。

 そして目の前には――幾つもの切り傷がつけられた一人の尼僧の凄惨な死体。

 生気のない虚ろな瞳がまるで鴎垓を責めるかのように開いて目が離せない。


 これも偽物。

 だがそうと分かっていても、こればかりは否が応にも感情が揺さぶられる。

 自分が巻き込んでしまった。

 その後悔はどれほど苦しんだところで拭えるものではない。


「それを見た瞬間、儂は自分で心底忌み嫌っておったものになっておったよ。幼き頃より胸の内に潜み事ある毎に儂を苛む忌まわしき存在――【鬼】そのものにな」


 それからの戦いはより一方的なものになっていった。 

 次々に偽物たちが襲い掛かり、そのどれもが一太刀たりとも鴎垓に浴びせられず倒されていく。

 まるで劇の一幕でも演じているかのような光景が繰り広げられる。

 腕が、足が、頭が、鴎垓が刃を振るう度にちゅうを飛んでいく。

 そして最後の一人が胴体を斬り裂かれ、地面に倒れた。

 そこでようやく動きを止める鴎垓。

 血塗れで、死体の散らばる只中に立ち尽くすその姿は――人というよりも化物、【鬼】といって差し支えない壮絶さ。


「その囁きに従って、儂はお前らを殺し尽くした。

 それはもう、容赦なくな。

 異変に気付いた師匠が駆け付けたときにはもう全員息絶えとったよ」


 たった一人となった世界で立ち続ける鴎垓。

 その視線は先の暗闇に向けられている。

 悲しみを湛えた表情。

 次第に足音のようなものが辺りに響く。


「【鬼】に負けた儂がこれ以上生きておるわけにはいかぬ。

 そして弟子を殺された師匠もまた、儂を生かしておくわけにはいかぬ。

 故に儂は最後、師匠の刃にて果てたのだ。これ以上、【鬼】の狂気に飲み込まれぬように」


 ――そして記憶にある通り、その暗闇の中から息を切らした師匠の姿が現れる。

 迫真の表情で迫る師匠は先程の人形にんぎょうらしさを微塵も感じさせぬほどに記憶そのままの姿で。

 惨状に顔を歪め、状況を察し、持っていた刀を鞘から抜き。


「鴎垓よ、お前の罪はその命でもって償わねばならん」


 棒立ちの鴎垓の前で構え、

 

「せめてこの師の手で――お前を送ってやろう」


 そして無防備なままの首を狙い、刃が走り――










「で、それがどうした」




 ――だがそれより速く、鴎垓の手元で翻った刀が師匠の体を縦に一刀両断にした。


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