腐れ剣客、暗天斬り裂きて眠れる少女と
――股下より走る斬撃、音もなく脳天まで走りその体が左右に分かれて地面に落ちる。
驚愕に歪む偽物の顔。
何故だとでもいうように目を見開いている。
その死体に冷たい視線をやり、唾を吐き捨てる鴎垓。
「こんな茶番に今更引っ掛かるか、阿呆が。
心の傷を見せればその通りに死ぬとでも思ったか、舐め腐りおって」
言葉にできない苛立ちが全身から立ち上る。
全くもって不愉快、どこまでも癪に障る。
本物と遜色なければ。
場所を似せれば。
当時のことを再現すれば。
自分が再びその通りに動くと、本当にそう思っていたのか?
――だとしたら何たる侮辱……それも、たかが人外が……!
「レベッカもこんな風に取り込んだのか?
父親が死ぬ光景を見せて、それであいつを苛んだのか?
そうやってずけずけと
どうやらこの世界、対象の精神によって形作られたものらしい。
だとしたら確かに効果的だろう。
誰にだって思い出したくない過去はある。
それを実際に目の前で見せられて、それで無事でいられるはずがない。鴎垓のように虚構を虚構と認識できなければその術中から逃れることはできまい。
「ふん、乗せられぬと見て今度は数で押し潰す気か。
いくら揃えたところで無意味じゃというのに、よっぽど儂を殺したいようじゃの」
そうした思惑が外れた影響か、景色がまた変化を始める。
世界の輪郭が朧気になっていき、空間を闇が支配する。
暗き狭間から再び現れる偽物たち。
その数はどんどんと増え続け、より集まり一つの塊へ。
「はっ――悪あがきか」
人体を部品に使い。
ギュチュギュチュと音を鳴らし壊れ、集いながら再生し。
目が、鼻が、口が、髪が、耳が。
歪なまま膨れ上がるように出来上がっていく醜悪極まる
更に腕が、体が出来、足が生える。
『お、お、お……』
そして鴎垓の前に出現したのは、黒く大きな体躯をした――両の側頭部より突き出た二本角の【鬼】だった。
その姿を、鴎垓はよく知っている。
力なくだらりと下げられた腕。
前に屈んだ体。
緩く曲がった足。
浅く呼吸し胎動する胸。
そしてあらゆるものを無価値と断ずるかのような――酷薄な瞳。
それらは全て、自分の記憶の中にあるものと同じ。
こいつはそう。
己の中に巣食う――【鬼】の姿そのものなのだから。
「――だがな、もうお前の茶番に付き合うつもりは微塵もない」
で、それがどうした?
こいつを用意すりゃ恐れ戦くと。
本気でそう思ったか?
それはあまりにも――鴎垓という男を馬鹿にし過ぎだ。
「いい加減ここから出さしてもらうぞ。
折角の夢舞台じゃ、それに相応しい技で――送ってやる」
確かにこいつは恐ろしい。
鴎垓が悪を前にしたとき必ず耳元で囁き、殺意の衝動に身を任せよと促してくる。
それに負けぬために剣を取り、強くなった。
だがそれでも、こいつを倒せる想像はまだ見れない。
未だ厚く聳える圧倒的な壁。
だがしかしだ。
「こんなところで勝負を挑んだ、自分の迂闊を呪うがいい」
ここが精神を形にする世界なら。
思い記憶が像を成すなら。
それは即ち――鴎垓の戦闘領域に他ならない。
「夢想にて戦うは我が十八番、されど
禅法が最後の一つ――”寝禅”
眠り落ちて見るは夢であって夢でなし。
これによりて見るは『仮想の世界』――それは偶然にもこの空間と同じ”精神でできた世界”――!
そこで日々鍛練を重ねた鴎垓が、この世界でも思うままに振る舞えぬ道理はない――!
「これなるもまた――その一つ」
刀を鞘に納め、低く構えを取る鴎垓。
全身から余計な力を削ぎ落としていく。
それに比例するように高まる闘気が体から立ち上ぼり鴎垓を包み込む。
しかし【鬼】はそれ以上の狼藉を許さぬと腕を上空に掲げ邪魔物を、鴎垓を叩き潰さんとする!
「仰ぎ見よ天を、暗雲はこの一閃にて斬り祓われん」
怪腕差し迫る。
影に飲まれる。
されど。
「剣法真打『
――剣客、一切揺るがず
「――通力・奇想天剣――」
――刹那踏み込んで瞬動、消え去りし場に【鬼】の拳突き刺さり
「――【
――飛び込んだ【鬼】の足元にて、抜刀。
――キンと、澄んだ音がした。
『――あ?』
その音がどこから鳴ったのか、下を見ようとして、体が勝手に上を向いていく。
力が入らない体をどこか他人事のように思いながら【鬼】はどんどんと仰向けになっていくのを止められない。
どうにもならないのでそのままでいると、だんだんと空が見えてくる。
だが、おかしい。
あれは、自分が生み出したはずの空はあんなものではなかったはず。
【鬼】の姿をしたその存在はその空の異変を見て、自分に何が起こったのかをようやく理解し、意識を消滅させた――
「これで
そういって再び刀を納刀する鴎垓。
その前には
そして――その頭上の暗天よりぽっかりと覗く蒼空。
鴎垓の抜刀居合い斬り。
それは【鬼】だけに留まらず、その遥か先の空をも斬り払う人知を越えた必殺剣であった。
「だがこんなもの、所詮この世界でしかできぬ荒唐無稽なものでしかない」
それが契機となったのか、空の切れ込みから罅が入り暗闇が崩壊していく。そして【鬼】の屍もまた、同じように形を崩していき、先程戦った暴水鬼のようにいつしか跡形もなくなっていくのであった。
「しかし何か掴めた気がする、重要な何かが。
ともあれ――あそこか」
そして暗闇から完全に解放され、元の美しい湖面と蒼空が続くところへと戻る世界。
湖面の上に立ち尽くす鴎垓の視線の先には――
「よう、助けに来たぞ――レベッカ」
――湖の上で体を横たえる、レベッカの姿があった。
ゆっくりと歩み寄る鴎垓。
目を瞑ったままのレベッカはまだ眠っているようで、スースーと寝息を立てている。
その表情は囚われていた時よりも明るく、どこか嬉しそうに見えた。
「ここまできてまーだ眠り姫か、全く手の掛かる娘じゃのう」
力のない体をどうにか抱き上げ、周囲に首を向ける鴎垓。
敵の本体は倒したのだから出口のようなものができてやしないかと探しているのだが、どうにもそういったものが現れる気配がない。
「おいおい不味いぞ、出られんではないか」
「ううぅ、う~ん……」
「おおよしよし、大丈夫じゃからなぁ。
だから首を絞めるのはよしとくれよぉ」
焦る鴎垓の気など知らず、寝相が悪いのかぎゅっとその抱き締めるレベッカ。丁度その腕が首に掛かって大変不味いことになっている、このままでは折角生き残ったというのに身内にやられかねないと焦りを加速させる鴎垓。
「おいおいおいどうする! どこぞにないのかこっから出る手段は!?」
「うう~ん!!」
「ぐぉおぉ……っ!? なぜ急に首絞めを強めるのじゃ!
こっちはそれどころではないというのに――っあれは!?」
意外に強い腕の力に抗いながらあっちこっちに視線を走らせる鴎垓の視界に、突如それは現れた。
湖面の上で輝く一つの円、キラキラと輝きを放つそれはまるでここにこいとでも言っているかのよう。
「こ、これが出口なんか……いやしかし今は考えとる暇はない!」
これがそうなのかは分からないがあれこれ迷っていられる時はもう過ぎ去った。今だ強まるレベッカの首絞めに命の危機を感じながら、この円の中へと足を踏み入れようと動き出す鴎垓。
強くなる動悸が五月蝿い心臓を宥めすかして、いざ――
――クスッ……
「――!?」
その瞬間、背後から誰かの声が聞こえた。
思わず振り返ろうと首を動かすもレベッカによってガッチリと拘束され、動きの途中で体も止められず。
全身が円に入った――それを合図に視界から色がなくなっていき、また意識がなくなっていく。
薄れいく意識で僅かに首を動かせば、そこには――
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