そして腐れ剣客は世界を知る


「――なあオウガイ。

 お前はここが一体どんな場所だったと思う?」

 

 

 

 場所は移り、進む横穴一本道。

 広間にあった篝火を利用して松明を作り明かりを確保し、暗い道を照らしながら先導役を担うレベッカ、その後ろにはゴブリンの死体から奪った短剣を片手に改造褌姿の鴎垓が着いていっている。

 もっと良い武器が欲しかったところなのだが、生憎この程度のものしかなかったのだから仕方がない。


 彼女が発信器を頼りに選んだ道はあまり利用されていないのか、これまで通ってきた道と比べて光源が少なく、脇道もほとんどない。

 緩やかな勾配のついた上り坂となっており、ちょっとした散歩道としてご老人に人気がでそうな感じだ。まあ命の危険がなければの話だが。

 

 そんなところで光源を持って移動していれば悪目立ちもするもので、たまに脇道から出てきたゴブリンとの突発的な戦闘もあったが、鴎垓の素早い対応によって瞬時に処理され、声を出す暇もなく倒れ伏す。

 レベッカが敵の姿を認識したときには既にそうなのだ。

 おそらくそいつは自分が死んだことにすら気づいていないだろう。

 

 どうしてこんな男がこんなところに居るのかという疑問は全く尽きない、それもあんな姿で――とついついその時の光景を思い出してしまい、恥ずかしさに頭を振って記憶を追い出そうとしたところでふっと正気に戻り、その様子を少し離れたところにいる鴎垓に見られているのにようやく気づく。

 

 特に鴎垓が何か言うわけではなかったが、何よりもその、可哀想なものでも見るかのような視線に猛烈な羞恥を覚えた彼女は慌てて言い訳を連発。

 彼女のその醜態を、まるで分かってる分かってると言いたげな顔で見つめる鴎垓。

 

 最終的にレベッカは勢いと、先を急ぐからというもっともらしいことを言ってその場を誤魔化した、もしくは逃げたともいう。

 焦った様子で先を行く彼女の背中を黙って見つめている鴎垓の生暖かい視線に耐えかねたのか、話題でも変えようと彼女が放ったのが先ほどの台詞である。

 

 

 

 あまり意図の読めない問い掛け。

 今更どんなところなど、それこそ見れば分かるようなものだが……とはいえ折角聞かれたのだからと考え巡らしてみる鴎垓。

 ここの特徴から考えられるものといえば……だ。

 

「ふぅむ、そうじゃのう。

 まあここのデカさから察するに元は坑道とかだったのではないかのう。となると山をくり貫いたということになるのう。

 あのゴブリンとかいうたか?

 あん連中にこんなこと出来る頭があるとは見えんかったし、差し詰め廃坑にでもなったところに連中が住み着いてしまった、と。

 大方そんなところではなかろうか」

 

 そんな風に鴎垓は自分の知識に照らし合わせて答えたのだが、それを聞いたレベッカは答えは違っていた。

 彼女は言う――

 

 

 

「そうか、ではここが最近まで――

 

 

 ――何の変哲もない、ただの平地だったとしたら?」

 

 

 

 ――そんな、鴎垓からすれば到底信じられない、あまりにも荒唐無稽な、ことを。

 

 

 

「はぁ? なんじゃそりゃ?

 いくら何でも有り得んじゃろう、さっきの広間とかこの穴とか、どう見ても自然に出来たもんじゃなかろうが」

 

 それを聞かされた鴎垓の反応は顕著だった。

 生き返った疑惑のある彼も、流石にこれには納得できない。

 

 

 

 あまりに唐突で現実的でないその問いに顔をしかめ、壁を指差しながらレベッカの言葉を頭から否定する。

 仮に何かしらの天変地異が起きて奇跡的に山が出来たとしても、こんな洞窟が他にも何本とある以上、人の手で数年掛かるような作業が必要だ。

 流石にそれを最近とは言うまい。

 

 レベッカの言っていることは矛盾していると強く反論する鴎垓のその様子がかつて自分が幼い頃、同じようなことを父に問われたときの反応に似ていてつい、笑みが溢れる。

 懐かしい思い出。

 何も知らない自分へ色んなことを教えてくれた父、その役割を今度は自分が担っている。

 何となく、それが嬉しかった。

 

「まあ、いきなりこんなことを聞かされて驚くのも無理はない。

 私も小さい頃、始めて父に同じようなことを聞かされたときはその言葉を疑ったよ」

 

 だがそれを他人が知る必要はない。

 自分を棚上げして疑念の声をあげる鴎垓へ、そんなことを考えているなんて少しも悟らせず、自分もかつてそうだったと語るレベッカ。

 

 ――あの時の父も、もしかしたらこんな気持ちだったのだろうか。

 

「確かに人の手によるものであれば到底不可能なことだろう。

 だがそれは、原因であれば別の話だ。

 それは――おっ、おいオウガイ、前を見ろ!」

 

 言葉の真意が計りきれず黙り込む鴎垓を他所に、意味深な言葉を一旦区切ったレベッカは道の先を見るようにと彼に声を掛ける。

 

 その続きが気になるものの、言われるままにとりあえず前を向けばそこにはこれまでと異なる――いかにも外に繋がっていそうな感じの穴がぽっかりと空いていた。

 意識すれば風の音もちゃんと聞こえてくる、どうやら幸運なことにレベッカの選んだ道は洞窟の外へと繋がる直通の通路だったようだ。

 

「丁度いい、今ならたぶん、綺麗に見えるはずだ。

 行こう、そうすればお前も分かるはずだ」

 

 見えるとは、分かるとは。

 急かすレベッカに促されるまま鴎垓は外へと繋がる縦穴を潜り抜け。

 

 そして――それは唐突に現れた。

 


 

「……こ、これは……」

 

 

 

 洞窟の外は木々の生えない岩山とでもいうような、無骨な地面が広がるところであった。

 しかしそれが彼から言葉を奪っているわけではない。

 地下という閉鎖された空間から解放されたならば当然のようにあるは、下ではなく頭上へと広がる『モノ』。

 それこそが彼の目を釘付けにし、言葉を奪った。

 

  


「これが――――――だというのか?」

 

 

 

 ――闇色の天幕に、が所狭しと存在を主張する

 ――焦げた赤を思わせる軌跡を残し、遠くを横切る一筋の

 ――そしてその中央で一際に光を放ち煌々と照り輝く、あまりにも美しい……

 

 

 

 時おり薄く掛かる雲が貴婦人の顔を纏う顔布ベールのよう見えるほど艶やかなその月に、鴎垓はまるで意識を吸い込まれるかのような錯覚を覚える。

 

 そしてその周囲を彩る蛍のような星たちの何と色鮮やかなことか……一つ一つは小さくも集いて形作るは森林か大海か、ともすれば木々のざわめきや海の潮騒すら聞こえてくるかのよう。

 

 それでいて全てを包み込むかのようなこの夜の闇よ、雄大かつ殊更清廉なその中でそれら全てが渾然一体となり、斯くも幻想的な光景を産み出している。

 

 

 

 知らない――。

 こんな空は例え夢の中であろうとも見たことがない――。

 だが自然と体が震え、何故だか目頭が熱くなる。

 鴎垓は胸に去来する感情の正体も掴めぬまま、ただただ目の前の光景に圧倒されていた。

 山の斜面に切り出した一角に頼りなく、ただ呆然と立ち尽くす鴎垓に構わず、その隣でレベッカは語り出す。

 

「また流星か……あの方向は帝国の方だな、最近はやたらとあちらに落ちる、やはりヴェルナー様の御力が弱まっているというのは本当のことなのだろうか……。

 

 

 さて――どうだオウガイ、この夜空を見た感想は。

 これを見ればお前とて、私の言葉が嘘ではないことが分かるはずだ。

 そして先ほどこの山や洞窟を作り出すのは人の手では無理だと、そう言ったお前の言葉を今一度肯定しよう。

 だがしかし――それを可能にする存在がこの世界には確かにいる。

 

 今まさに――

 

 この極彩の夜空――《四季織りの夜月ヴェルナー・タペストリー》も、この山もその中に広がる空間も、そしてこの大地ですら、全てはある存在が関わった結果創り出されたものなのだ。

 そしてその大いなる存在のことを、我々は畏怖と敬意を込めてこう呼ぶ。

 

 

 ――――『星辰の神々グランド』――――とな」

 


 

 そのレベッカの言葉を、鴎垓はどのくらい理解出来ているだろうか。

 あまりの光景に停止し掛けている表層の意識――それとは裏腹に本能ともいうべきものがこの事態を前にこれまでの認識を急速に再構築し始める。

 

 ともすれば途切れそうになる意識。

 激しく脈を打つ鼓動もどこか遠く、鴎垓の心の奥底から何かが溢れ出そうとするように強く蠢く。

 どこか遠くから誰かの声が聞こえてくるような気がした――だが、それより。

 

 

 

 ああ……何ということだ。

 ようやく理解した、分かったのだ。

 自分がやって来たのは決して、地獄などという生易しい場所ではないということを。

 それどころか輪廻転生の理にして仏教六道、それから大きく逸脱した世界の根本からして異なる場所――

 

 

 

 

 

 ――敢えて言うならば、そう……【異世界】とでも呼ぶべきところなのだということを。

 

 

 

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