第2話 紅鳥とタカの婚約

 父であるアーヴィング伯爵家の王都の邸の応接室で、ルビーは婚約者候補としてブラッドリー・プラムローズを紹介された。


 彼女はブラッドと向き合っていた。

 もう小さな子どもではないと言っても、まだ十二歳。ルビーは初めて会う男の子に緊張していた。目の前の子も、顔がひきつっている。



「君は紅鳥だね」

ブラッドは、表情をこわばらせたままそう言った。


 紅鳥はふわふわの真っ赤な羽の小さな鳥だ。あまり見かけないが、公園でもときどき見かける鳥だった。

 ルビーの髪は赤い。赤毛と言われる中でも珍しい紅色だ。その色とふわふわした髪質から、ブラッドは紅鳥を想像したのだろう。黒に見える濃い紫の瞳も、黒い瞳の紅鳥とほぼ同じだ。


 ルビーと同じ歳のブラッドは、無表情な中に光る涼やかな目でルビーを見た。


 冷たく聞こえる声は彼が不機嫌だから。

 きっと自分が紅鳥のように取り柄のない平凡な子だから気に入らなかったんだ。


 ルビーはそう感じた。

 そう思ってしまうと、ブラッドに渡された色とりどりのスイトピーのかわいらしい花束も、地味な子に似合いの花に感じてしまう。



 ブラッドは亜麻色の髪に、金茶の瞳。多くの少女や夫人から美少年と騒がれる整った顔立ちだった。感情を出さない表情が、その顔を鋭利に見せていた。

 ルビーが小鳥なら、ブラッドはタカだ。


 隣にいる彼の父であるプラムローズ侯爵は、さしずめワシだろう。猛禽類の猛々しさを貴族の微笑みに隠している。侯爵は、魔法騎士として有名だった。

 並んで座っているプラムローズ侯爵夫人のほんわかとした雰囲気が、夫の圧を和らげてくれていた。



 なぜわたしなのだろう。


 ルビーは不思議に思った。

 彼女はブラッドとは初対面だ。婚約を打診される覚えが、ルビーには全くなかった。

 父同士が特別仲が良いわけではない。母同士もお茶会でときどき話をする程度だとルビーは聞いていた。兄は年齢が離れていてブラッドと出会う機会はない。


 簡単なそれぞれの紹介と表面的な会話で、その場は解散になった。

 その後、ルビーとブラッドの婚約は正式に取り交わされた。



 * * * 



 ブラッドは花を携え、月二回ほどアーヴィング伯爵邸を訪れた。


「いらっしゃい。今日も来てくれてありがとう」

「こんにちは」

 ルビーの挨拶に、ブラッドは下を向いて応え、それから意を決したように顔を上げ、黙って花を差し出した。ピンクの花数本を白い花がとりまいている。

「かわいい。いつもありがとう」

 ブラッドはほんの少し赤くなり、「うん」と小さな声で応えた。


 かわいらしい花を持って訪れるブラッドとルビーは、いつもこんな挨拶をかわす。


 二人は、応接室やテラスで会話をしたり、庭を散策したり、たまには従者や侍女をつれて王都の中心街に出かけたり。


 ルビー、ブラッドと呼び合うのは早かったが、二人はゆっくりと親交を深めていった。





 ルビーは日傘をさし、ブラッドのエスコートを受けながら公園を散歩していた。


 ブラッドは誠実な婚約者だった。

 ルビーを楽しませるような会話を探し、こうやってたびたび外出の付き合いもしてくれる。

 最初は無表情だった顔も、二人の会話によっては緩んで少年らしい微笑みが浮かぶこともあった。


 一番最初にブラッドの微笑みを見たとき、ルビーの胸はどきりと跳ねた。それはルビーだけの秘密だった。



 今、ルビーの横を歩いているブラッドも、優しい瞳でルビーを眺めていた。


「少し暑くなったね。あちらの木陰で一休みしようか」

 ブラッドはハンカチを木陰のベンチに敷き、ルビーを座らせた。従者と侍女は、距離をとって二人を見守っている。


 二人から少し離れたところに噴水があり、そこを通った風が涼しさと子どものはしゃぐ声を運んでくる。ルビーが閉じた日傘は、侍女が預かった。



 目の前の芝生に紅鳥が飛んできて、ちょんちょんと跳ねた。


「あっ」

ルビーの声に、ブラッドはそちらに目を落とした。

「紅鳥だね」

 ブラッドの目元が緩んだのを、ルビーは見た。

 とたんに、初対面のとき紅鳥のように平凡だと馬鹿にされたことを思い出した。

「そうですね」

ブラッドへのルビーの返事が冷たくなったのは、しかたのないことだった。


 それに気づかずに、ブラッドは言葉を続けた。

「あの紅色は、目立つね」

「ええ」


 ルビーは紅鳥が好きだった。かわいいと思っていた。けれども、ブラッドに自分を紅鳥に例えられたときから、紅鳥が嫌いになった。



 ルビーが不機嫌なのを察したのだろう。ブラッドは話題を変えた。

「疲れたみたいだね。カフェで休もうか。

 タルトの美味しいお店と、フルーツケーキの美味しいお店と、どちらにする?

 季節のタルトは、今の時期だったら桃かな」

「タルトのお店で」

 ルビーの声は、途端に弾んだ。

「それでは、もう少し歩くのをがんばって。ルビー」


 ブラッドはルビーの手を支えて、立ち上がるのを手伝った。ルビーは侍女から日傘を受け取り、歩き出した。

 ブラッドは嬉しげに微笑んでいた。




 カフェの季節のタルトは、ブラッドの予想通りの桃と、もう一種類ぶどうがあった。

 桃のタルトとぶどうのタルトを一個ずつ頼み、二人は紅茶で喉を潤した。


「ルビーは桃がいいんだよね。僕のぶどうも一口どうぞ」

 桃のタルトはルビーの前に置かれ、ぶどうのタルトはブラッドの前だったが、ブラッドは自分のそれをルビーの前に寄せた。


「え……」

「ほら、遠慮しないで」

「はい」


 ルビーが一口もらったぶどうのタルトは、美味しかった。

「ぶどうが口の中で弾けます」

「それはよかった。桃はどう?」


 ブラッドはぶどうのタルトを手元に寄せて、自分もフォークを入れた。彼の目の前では、幸せそうな顔でルビーがタルトを食べている。


「桃も美味しいです。甘酸っぱいのが口の中でとろけます。

 あ、ブラッドも食べます?」

 ルビーはあわてて皿をブラッドの方に寄せようとした。ブラッドはそれをさえぎった。

「いいよ、口にあったなら全部食べて」

「はい」


 ルビーが食べたあとに僕が食べて、それをまたルビーが食べるなんて、恥ずかしすぎる。


 ブラッドの心の声を想像もしないルビーは、タルトに夢中になっていた。


 どこの桃が美味しいとか、ぶどうはどの種類が好きとか、次のタルトはなんだろうかとか、穏やかに会話は進んだ。


 ルビーはフォークを持った手を表情豊かに動かしながら、楽しそうに会話をしていた。

 貴族としてはあまり好ましくないが、平民も利用するこのカフェでは、とくに浮き上がってしまう行為ではない。ブラッドも表情はあまり動かないが、楽しそうに会話に付き合っている。

 そんなブラッドの視線は、ずっとルビーに固定されていた。


 その後、街を散策したあと、ブラッドはルビーを邸まで送った。


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