絶対に好きと言わせたい女VS絶対に好きとは言わない男

エノコモモ

絶対に好きと言わせたい女VS絶対に好きとは言わない男


「恋だの愛だの、全くくだらない」


吉宗よしむねとまり。成績優秀、容姿端麗、彼女は自他共に認める天才少女であった。しかし天才は天才の称号を嫌う。恵まれた才覚に胡座をかかず、努力を惜しまない。留はそういう人間だった。


同時に、そんな彼女は色恋沙汰に一切の興味を持てない性分でもあった。合理的な留にとって、相手の一挙一動に翻弄されるほどの情熱は、到底理解できるものではなかったのである。


「2年の…アイザワ?先輩でしたっけ。私、男性を好きになったことありませんし。好意を向けられてもいい迷惑です」


高校生。思春期の只中となっても、留の考え方は変わらない。凛々しい目元をきりりと上げ、口から出すのは恋愛に対する冷たい言葉。今の彼女を作り上げた勝ち気な性質は、ダンス部に所属する所謂イケイケの上級生に呼び出されても尚、強気な姿勢を崩させない。


「好きじゃないなら良いじゃん!ユッコがさ、好きなんだよ。アイザワのこと」


そして今回、イケイケの彼女達が面識の無い留を呼び出したのは友情の為。友人の恋を成就させんとする少々お節介とも言える親切心故の行動だった。


「けどアイザワはどうも、陸上部で後輩のアンタが好きみたいで…。だから、ユッコの為にちょっと協力してって言ってるんだけど…」


件の彼の前で、他に好きな男がいる、もしくは恋人がいるのだとそれとなく口にし、恋の芽を摘む。たったそれだけの簡単な依頼だったのだが、淡白な留の目には馬鹿馬鹿しく映った。冷たく突き返す。


「知りません。そんなくだらない話は他所でやってください」

「待ってったら!」


踵を返し去ろうとすると、二の腕を掴まれた。苛立ちを覚え、咄嗟に腕を振りほどく。


「だから…」


手を乱暴に振り払ったその拍子、留の視界ががくんと下がった。掴まれた腕に気を取られ、自身の足を段差から踏み外してしまったのだ。そして留含め彼女達が話していたのは、不幸にも階段の踊り場だった。


「え」


しまったと思った時にはもう遅い。比較的小柄な留の体は宙に浮き、階下へ傾く。慌てて上級生が手を伸ばすが間に合わない――。


「っ…?」


けれど次の瞬間留を襲った衝撃は、想像よりずっと柔らかなものだった。


「大丈夫か?」


落ちてきた彼女を受け止めたのは、男子生徒であった。制服のネクタイの色からして、3年生。留のふたつ上の先輩だろう。


決して、笑顔が煌めく王子様のような男ではなかった。線の細い流行りの優男とも違う。がっしりした上背。留の体重を楽々支える逞しい腕。そしてこちらを覗き込む仏頂面、そう、年季と気合いの入った仏頂面が、何故か非常に、これまでの人生で見たことのない程度には。きらきらと輝いて見えて。


「ふぁ、」


留の母親譲りの白い肌は、上から下まで真っ赤。思考は固まり、体が震える。いつも正論ばかり紡ぐ口は、情けない言葉を発するのが、精一杯だった。






「恋って、素晴らしいですね…」


それから約半年後。留の口からは感嘆と共に称賛が漏れる。恋愛を尊重し、心の底から有り難がる言葉。過去の彼女からすればあり得ない台詞である。


留は、頬を染めてそっと自身の胸を抑える。


「今日も蒼龍そうりゅう先輩への恋心が止まりません…!」


桜坂さくらざか蒼龍そうりゅう。あの運命の日、階段から落ちた留をいとも簡単に受け止めた男子生徒の名であった。数多の体育会系の部活から引っ張りだこの恵まれた体躯、どんな緊急事態を前にしても心を乱さぬ冷静沈着さは、教師からも一目置かれている。


そしてそんな蒼龍に、あの日。留は恋に落ちた。


ここまで来れば、よくある話だ。恋を知らぬ乙女が助けられたことをきっかけに初恋を迎える。芽吹いた想いは秘めやかに、しかし着実に身の内で育つ。いつかその恋が成就する淡い期待を抱いて。ああ、これこそが甘酸っぱい青春時代――


「あら」


が、これを思春期の普通の恋と言ってしまうには少々違う点があった。


「蒼龍先輩がいらっしゃいましたね」


窓の外、校庭を歩く一際大きな人影を見つけ、留は覗いていた双眼鏡を外した。そして鞄から拡声器を取り出す。集音側を自身の口元に当て、スピーカー側を蒼龍へと向ける。


「蒼龍先輩ッ!!今日も大好きですッ!!」


スピーカーからは、特大の愛が放たれた。余韻がきーんと響く。


(((今日も出たな…)))


校庭では体育の授業の為に、蒼龍と同じクラスの生徒、即ち留からすれば上級生が集まっている。当然、体操服を着た彼らも、留がいる一年生のクラス全員も、そしてたまたま居合わせた教師に至るまで皆が皆その愛の告白を聴いている訳だが、留がそれを気にとめることはない。


「本日から体操服が長袖なのですね!入らないので特注で作られたと聞きましたが、成長と共に小さくなってしまっているように見受けられます!クリスマスに向けて製作しているセーターのサイズを見直しますわ!是非受け取ってください!」


(((手編みのセーターなんだ…)))


校庭いっぱいに響き渡るクリスマスプレゼントの情報を、誰もが慣れきった様子で受け取る。相手が相手だけに毛糸を大量に使いそうだと近所の手芸屋の品薄を懸念する者までいた。そして当の蒼龍は、盛大な愛の告白を無表情で聞いている。最後にもう一度、留は大好きだと叫んで、拡声器を下ろした。


そう。留の青春は普通とは違った。それは当の乙女の恋心は秘められるどころか、だいぶ大っぴらにさらけ出されていた点である。今になって爆発した留の恋愛は、想いを寄せる相手に直接愛を伝えることに、そしてそれを人前で堂々と行うことに、何の抵抗もなかった。


「…終わった?」


拡声器を仕舞う留を見て、隣で耳を塞いでいた女子生徒が声を発する。耳から手を離し、あきれた様子で口を開いた。


「わざわざ3年生の時間割入手して張り込んで色々準備して…アンタよくやるわ…」

「ふふ。今日も蒼龍先輩からは何の反応も返ってはきませんが、そこも先輩らしくて魅力的です…」


留は頬を染め、でっかい字で大スキと書かれた横断幕を回収する。これも蒼龍に見せる為に校舎の窓から垂らしていたお手製の品である。


「そうと決まればセーターを仕上げなければ!それが過ぎれば次は年末年始、バレンタインに節分!ドキドキイベントは目白押しです!」

「本当よくやるわ…。節分でドキドキできる?」

「ええ!福の神コスをした私を先輩の家へ招き入れていただきます!」


独特な節分の構想を語りながらも、彼女のセーターを編む手は止まらない。手芸など趣味ではなかった留だが、クリスマスプレゼントは手編みのそれが良いとどこかから聞き付け、習得した技術である。元々彼女は真面目な努力家。恋をするにも全力であった。


「毎日楽しそうでいいわね」

「ええ!恋をしていると毎日が幸せです!」


友人の言葉に、留は生き生きとした様子で頷く。半年前、恋を知る前の彼女と比べればその煌めきは段違いである。


「これまでの奇怪な行動を考えれば、前の方が良かった気もするけど…」


そして留の友人である彼女の名前は桜坂さくらざか紫苑しおん。何を隠そう、彼女は蒼龍の実妹である。蒼龍に妹がいると聞き付けた留からの下心全開の猛アピールを受け、2人は友人となった。


「いいえ!もう、恋を知る前には戻れません!恋愛の素晴らしさを身に染みて感じ、これまでの行いを反省しました」


留が心を入れ替えたことにより、あの日、呼び出された上級生達との間柄にも変化があった。


「先輩方とは和解し、ユッコ先輩とアイザワ先輩の仲を取り持ちました。それからは善き友人となり、3年生の時間割を提供して頂いたり…ああ!先日のフラッシュモブにもご協力頂きましたね!」

「ああ。あれね…」


留が練りに練り、人生を懸けた一大イベントであった。下校途中、駅前の商店街を歩く蒼龍の周囲で、通行人に扮した協力者達が突然踊り出す演出。颯爽と現れた留が『絶対に幸せにします!私と付き合ってください!』と一言。


「恥ずかしかったから他人のふりしたわ…」


紫苑も留の友人としてその場に居たのだが、そっと背景と化した。留も思い出したらしく、頬を赤らめ心底嬉しそうに口を開く。


「ふふ。目の前でサプライズイベントが行われようとも、蒼龍先輩はびっくりするぐらい無表情でしたが…あの、『ああ』との短く簡潔な是のお返事は忘れません!!」


そう。この度、留の恋は無事に成就。蒼龍と交際する運びとなった。


「めくるめく私達の未来に向けて、蒼龍先輩の外堀をガンガン埋めまくる計画は順調に進行中です。ご両親との夕飯の同席にも成功し、交際は順風満帆!私は大変な幸福に包まれている訳ですが…」

「食卓に普通に混じっててびっくりしたわ…しかもめっちゃ気に入られてるし」


しかしそんな幸せいっぱいな筈の留の顔に、ふと影が落ちた。ため息と共に、彼女は憂いを呟く。


「そんな幸せいっぱいの状況にも関わらず…人間とは欲深いものですね…。度々思ってしまうのです」


ぎゅうと目を瞑り、彼女は吐く。今の留を悩ませる、最大の問題を。


「私ばかり好きなのはズルい、と…!」


一瞬、場を沈黙が支配する。紫苑がぱちりと瞬きをした。


「…今更?」

「ええ!今更です!」


留は心外だとばかりに断言するが、紫苑が驚くのも無理はない。これまで事あるごとに蒼龍本人に好きだ大好きだと垂れ流し、プレゼントを押し付け、対象を調べ上げると言うストーカーの如き行為にまで手を染めてきた留が、ここにきてその台詞である。驚くと言うものだろう。


しかし、留にとってはこれは重大かつ誠に遺憾な状況であった。


「告白に是の返事を頂けたのです!蒼龍先輩が私に並々ならぬ情を抱いていることは明白!ならば同じレベルとはいかなくとも、多少の愛を求めてしまうのもまた、乙女心だとは思いませんか!」


告白の時でさえ、了承の言葉のみ。蒼龍は愛の言葉ひとつ囁いてはくれなかった。堅物で寡黙な彼らしいと言えば彼らしいのだが、心に落ちる物足りなさは無視できない。


「私だって、その辺のカップルがしているような、頭のネジが数本飛んでいるような痛い会話をしたいのです!」

「怒られるわよ」


目指すはお互い好きだ好きだと言い合う関係。そして留には更なる目標があった。


(蒼龍先輩にも『ふぁ、』となってほしい…!)


彼女が思い起こすのは、あの階段から落ち蒼龍に受け止められた時のことである。恋に落ちた瞬間とは言え、冷静な自分らしからぬ、随分と間抜けでらしくない声を出してしまったものだ。ここへ来て、留はプライドを取り戻した。いくら愛を叫ぼうとも、何をプレゼントしようとも、蒼龍は常に無表情で冷静だ。そんな彼が慌てふためき、あわよくば口から情けない声を溢す瞬間を見たい。


「絶対に『好き』と言って頂きます!」






「蒼龍先輩」


その日の放課後。日課の蒼龍との帰宅デート時に、留は作戦を決行した。帰宅デートと留が言っているだけで、実際は彼の下校を待ち伏せし、無理矢理一緒に帰ると言う付きまといも甚だしい行為に及んでいるだけなのだが、それは割愛しよう。


「何だ」


前を歩く蒼龍からは、短く淡々とした返事が返ってくる。その大きな背に向かって、留ははっきり口を開く。


「好きです」

「…そうか」


蒼龍の様子に特に変化はない。が、いつものことだ。留は更に続ける。


「大好きです」

「…ああ」


ここまでも想定内。ここで簡単に俺も好きだと返事が返ってくるようならば、こんな苦労はしていないのだ。留は次の作戦へと移行する。


「私のこと…どう思っていますか?」

「……」


これまで、自分の愛を伝える事は数あれど、蒼龍の胸の内を明確に聞いたことはなかった。彼の足が止まり、顔がこちらを振り向く。どきどき胸を高鳴らせる留に向かって、蒼龍は口を開いた。


「…小さい」


またしても、期待した答えとは違った。確かに留は小柄な方だが、欲しい台詞ではない。それに彼に比べれば殆どの人類は小さい。


「ち、小さい以外に、私を見ていると思うことはありませんか?ほら。『す』と『き』で構成される言葉とか」


これはだいぶヒントを出したつもりだ。2つの平仮名をくっつければ良いだけの、これ以上なく分かりやすい単純な計算式。しかし蒼龍の鈍さは彼女の予想を遥かに上回った。


「すすきか…?確かに細い。もう少し筋力を付けた方が良いぞ」


またしても期待していた解答には届かない。焦れったい想いを抑えて、留は腹をくくる。


(こうなったら…!)


「お付き合いがスタートして35日と23時間が経ちましたから…そろそろ、キスとか、して頂きたいな、だなんて…」


彼女は口にする。好きと言ってもらう為に、彼を慌てふためかせる為に、より直接的で積極的な一手を。自分の欲望を叶えたいだけと言えばそうなのだが、寡黙で鈍い彼には、言葉よりも行動が合うだろうと踏んだのだ。


(そして今は恋人同士。接吻をせがむ行為に、何ら不自然はない筈…!)


しかし、期待を持って顔を上げた留は、言葉を失った。


「本気で言っているのか…?」


蒼龍の顔がこれ以上なく真剣で、驚愕を表したものだったからだ。


「え…?は、はい…」

「ダメだ」


それだけ短く言い切って、視線を戻し蒼龍は歩き出す。その台詞はこれまでにない、はっきりと明確な拒絶だった。


「わ、私達!」


広い背中に向かって、留は一際大きな声を出す。蒼龍は愛の言葉1つ囁かなければ、初めて聞いた拒絶はキスに対するもの。いくら猪突猛進、鉄の心臓に毛が生えた女、歩く恋愛ブルドーザーと称される留と言えど、不安になってしまうと言うものだ。だから彼女は聞いてしまった。口に出してはいけない疑問を。


「私達、恋人ですよね…?」


しまったと思ったのだ。だってもし、無いとは思うが、万が一の確率で、「違う」だなんて言われたら。


「…?恋人ではないだろう」


留の心に落ちる衝撃と悲しみは、あまりに強大だからだ。






「と言うわけで…どうやら私と蒼龍先輩は恋人ではなかったらしいです!」


翌日。ま教室の中心、紫苑に向かって留は堂々と宣告する。握りしめた手の中で、編み棒と、それに繋がる作りかけのセーターがみちみちと音を立てる。


「心当たりはありました…!」


付き合う前と付き合った後で、ふたりの関係は何ら変わっていなかった。留は一方的に愛を伝え、蒼龍は黙ってそれを受け取る。手を繋ぐこともなければ、キスなど問題外。恋人感など皆無だったのだ。


留の一世一代の告白が間違って伝わったか、両者の間に気付かないうちに齟齬をきたしていたのか、何にしてもどこかで致命的なすれ違いが起きていた可能性は高い。


「まあそれも良いでしょう…。たとえ恋人ではなかったとしても、私の蒼龍先輩に抱く想いは変わりませんから!」


しかし留はセーターを編む手を止めはしない。編み棒をせっせと動かしながら胸を張る。


「予定通りクリスマスプレゼントはセーターで!付き合っていないのに少し重めですが、私の想いの大きさを伝えるにはちょうど良いでしょう!受け取りを拒否されてもなんとも思いませんとも!だって私は彼女じゃないですから!こうなったら私の名前でも縫い付けましょうか!何度も見ていれば刷り込みで私のことが好きになるかもしれません!」


矢継ぎ早に一人言を叫ぶ留を前に、紫苑が口を開いた。


「アンタはそれでいいの?」

「…え?」


一瞬、場を沈黙が支配する。愛する男の妹の真剣な眼差しを受けて、留の眉毛はふにゃりと下がった。


「いっ!嫌ですぅううう!」


叫びと同時に噴出する涙やら鼻水やら隠すように、留は机に伏せる。作りかけのセーターが滴を吸い込むが、構ってはいられない。


「あんなにアピールして、色々お膳立てして告白して、やっとお付き合いができると浮かれていたのに!恋人じゃなかったって何なんですか!私、勝手に彼女を名乗るストーカーだったってことじゃないですか!」

「それは知ってたけど…」


紫苑の冷静な突っ込みも、留の耳には入らない。そのまま、えんえんと声を出して泣き始めてしまった。


「うーん…」


落ち込む友人を前に、紫苑は腕を組み首を傾げる。


「兄はまあなんていうか…小さい頃からあんな感じだから、何考えてるかは私にも分かんないのよね」


好きな男の妹と仲良くなりたいと言う打算に塗れた出会いだったが、今となっては彼女達2人の友情は本物である。そして誰よりも近くで見てきた紫苑は、留の努力もよくよく知っている。


だから、彼女はそっと助言を口にした。


「うまくいくのって本当に一握り…。恋は結実と同じくらい、破局もあるものよ」

「うう…」

「そして世の中のカップルの悲劇…。すべての元凶について…最近になって、私は発見してしまったの…」


そこで言葉を切った。顔を上げこちらを見る留をよそに、紫苑は窓の外、澄み渡る空を仰ぎ憂いを浮かべる。


「それがすれ違い…。数多の恋愛を見てきた私が言うんだから間違いないわ」


そんな紫苑の愛読書は少女漫画。現在はヒーローとヒロインが永遠にすれ違いを繰り返すハマっている。


「そこから得た解決方法はたった1つ…」


そこで彼女は留に視線を戻す。これまでの漫画経験を元に得た唯一の正解を、紫苑は口にした。


「全部相手に伝えなさい」






「元々疑惑はありました!私ばかりが好きなのではないかとか、これって本当に付き合ってる?とか!私があまりにもしつこいから同情してくださったのでは、とかとか!だって蒼龍先輩は絶対に『好き』とは言ってくださらないんですもの!そして極め付きは恋人ではないとはっきり言われてしまったこと!あれは大変なショックでした!でも好きです!!」


そこまで言い切り、留は肩で息をする。ここは3年生の教室である。昼休みに突然現れ大騒ぎを始めた留に戸惑った上級生達のざわめきを一身に受けるが、彼女の目には蒼龍以外は写っていない。


「…そうか」

「この際、体だけの関係でもいいです!キスしてください!」


思い余って、だいぶ身も蓋もないことを口にする。その真剣な顔に映るのは、恋と言う名の純然たる欲望である。


「キスはダメだ」


しかし必死の縋り付きでさえも、蒼龍は残酷に振り払った。淡々と先を続ける。


「許嫁とは言え、一方に負担がかかるような真似は看過できない。責任を取るにも学生の身分では色々と難しいこともある」

「ふ…負担ってなんですか!」


体だけ、キスだけの関係も拒否されて、留はもう限界である。駄々っ子のようにぶんぶん首を振る。


「私とキスするのがそんなにお嫌なのですか!やっぱり私のことなんてほんの少しも好きじゃないので…」

「キスなどして、妊娠したらどうする」


室内を、一瞬の沈黙が支配した。


「…は?」


ぱちぱちと瞬きをして、留は蒼龍を見る。困惑の最中彼の顔を見上げるが、その表情は真剣そのもの。茶化しなど微塵も感じられない。そもそも冗談を気軽に口にするような男ではないことは重々理解している。一通り戸惑った後に、留はそっと真実を伝える。


「いえ…その、キスで妊娠はしません」

「何…?」


その言葉を受け、蒼龍に衝撃が走った。背後を振り向き、同級生に聞く。


「そうなのか…?」


大いに戸惑いながらも頷く彼らを見て、蒼龍はそっと目の前の彼女へ視線を戻した。


「すまない。何か思い違いがあったようだ」

「い、いえ…」


衝撃的な事実に呆然としながらも、留は状況を整理する。


(蒼龍先輩はキスで妊娠すると思ってた…)


道理でキスの敷居が高いわけである。とりあえず、彼の発言にあった負担と責任と言う言葉の意味を理解した。台詞をよくよく思い返して、そしてふと気付いた。


「……え?」


留が顔を上げる。重大な見落としに気付いたのだ。蒼龍の顔をじっと見ながら、恐る恐る口を開く。


「さ、先ほど。許嫁と仰いました…?」

「ああ」


何かの聞き間違いかと思い、あくまで慎重に聞いたのだが、彼はあっさりと頷いた。


「求婚を了承し、妹にも、そして家族にも挨拶は済んでいるこの関係性を俺は恋人ではなく許嫁だと思っていたのだが…」

「……」


心当たりはある。愛の行き過ぎから少々重めの交際の申し込みをした自覚はあったが、まさか蒼龍が求婚だと解釈をした上で告白を了承していたとは考えもしなかった。


呆然とする留を見て、蒼龍に更なる衝撃が走る。慎重に口を開いた。


「まさかそれも、俺の思い違いだったか…?」

「いっ!いえ!合ってます!間違いないです!それが良いです!!」


他ならぬ彼との一生をびっしり計画立てている留にとっては願ってもない展開である。棚からぼたもちのような話だが、遠慮なく受け取っておく。


「…そうか」


蒼龍の表情はあまり変わらなかったが、口からは安心したようにほっと息が出た。


(え、ええと…)


留は頭の中で今の状況を更に整理する。そして気付いた。


(私達、両思いなのでは…!!)


自分が一方的に重量級の好意を向けているのかと思っていたのだが、どうやら蒼龍の想いも軽くはないらしい。


それに気付いた瞬間、留の心に喜びと期待が舞い踊る。何せ勝てるかもしれないのだ。この恋の勝負に。冷静沈着な恋人の、貴重な取り乱す姿を拝めるかもしれないのだ。


「そ、蒼龍先輩…」


クラス中がお腹いっぱいな気持ちになる中、留は緊張で震える口を開ける。


「わ、私のこと…好きってことで、良いんですよね…?」


口にしたのは、例の2文字を期待する質問。ごくりと喉の音が響いてしまう。


「いや…」


しかし絶対に好きとは言わない男の壁は高い。ひやりと汗をかく留を前に、蒼龍は静かに言った。


「俺の想いを形容するならば、好きと言うよりは愛していると言った方が、正しいと思う」


不意に突き付けられた台詞を前に、留は敗北を悟る。それを聞いた彼女の顔は耳まで真っ赤。思考は固まり、体が震える。


「ふぁ、」


また随分と間抜けで、らしくない声が出てしまった。

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