殺人事件を起こした、元有名小説家の贖罪 ~第八章~

第八章


 答えの出ない問いを頭の中で遊ばせながら、

 また何回か日が昇り、そして沈んだ。


 ある日、お幸に話がしたいと誘い出された。

 今いるのは、宿で食べる魚を獲る渓流だ。



 川に素足を浸しながら、お幸が話しかける。

「藤田さん、私と勝負しませんか?」

「え?」

 突然の提案に、驚く。

「それで、もし私が勝ったら、私のお願いを聞いていただけますか?」

「ちなみに、何の勝負を?」

「どちらが多く魚を捕まえるかです」

「獲らえた魚は? 全ては、食べ切れないでしょう?」

「もちろん、捕まえたものは川へ返します」

「そうですか……まあ良いでしょう」

 お幸は藤田の返事を聞くと、脱いでいた草鞋わらじを履き直し、

 更に腰に付けた籠の紐も結び直す。

「では、行きますよ!」


「初め!」


 渓流に明るい声が響く。


 しばらく、時間が経った。

 藤田の籠には今3匹の魚が入っている。川の流れが思ったより早く、捕まえられない。

 一方、お幸の方は8匹と、このままいけば、藤田に勝ち目はない。

 藤田は少し焦っていた。

 このまま負けた場合、お幸の「」とは何だろうか?

 また、今まで話していない過去の事を尋ねて来るのでは?

 そう思うと、少し気が重くなった。

 以前のように、誤魔化すしかないのか?


 そう思って、物思いに沈んでいると……

 バシャン!

 大きな音がした。

 そちらを振り返ると、そこにはお幸が足を急流に取られて、

 溺れかけているところだった。


 まずい!

 とっさに、藤田は急いでお幸のもとへ向かう。

 お幸は気付かないうちに、上流の方まで獲りに行っていたようだ。

 慎重に、しかし素早くお幸のもとへ近寄り、手を貸す。

「藤田さん……」

 お幸が腕を掴む。

 それと同時に体を引き上げ、近くの岩の上に引っ張る。

 そして咳込んで水を吐き出す華奢な背中をさすり、声を掛ける。

「大丈夫ですか?」

「すみません……ご迷惑をお掛けしました」

「上流の方まで行かなくても、あなたは勝負に勝っていたと思いますよ。

どうして、そんなに無茶をしたんですか?」

「それは……」

 口籠るお幸。

「まあ、無事で何よりです。動けますか?」

「はい……何とか」


 肩を貸しながら、ちらりとお幸の籠の中を見る。

 お幸の捕まえた魚は、全て籠の中から逃げてしまっていた。

 藤田の籠には3匹とも、まだ入っている。

「負けてしまいました」

 哀しげな顔で呟く。

 その姿を見て、藤田はそっと籠をお幸に渡す。

「あのままいけば、お幸さんが勝っていましたから」

「でも……」

 お幸は伏し目がちに、藤田を見る。

 受け取るのを渋るので、籠を静かに彼女の腰に結び付ける。

「聞いてほしいと言っていたお願いとは何ですか?」

「えっと……」

 言うのを躊躇ためらっているような様子だったが、意を決したように真っ直ぐ藤田の方を見て言葉を発する。

「藤田さんが、もし過去を話すことが出来るようになったら私に話してもらいたい。

それが私のお願いです」

「……分かりました。約束します」

「ずっと待っていますから……約束ですよ?」



 その後、2人はしばらく渓流の水の流れを眺めていた。お互いに何も言わずに……。




<次章へ続く>

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