第一章 小林少女と存在感の消えた少女

 あたしは昨日、春休み最後の日に子猫を助けるために木に登って、一緒に降りられなくなっちゃったんだ。バカだよね。五年生にもなって。


 でも突然現れた謎の美少女に助けられて、けれどお礼もできずに逃げ帰っちゃった。


 まああれはあの子猫が悪いんだけど。


 でもでも、まさかその美少女にまた会えるなんて思ってなかったよ。


「はあ。運命の神様適当すぎ。おんなじクラスになるなんて」


 進級してクラス替えして。そしたら会いたかった少女がいて。


「玉木桜ちゃん、か」


 さっき自己紹介で覚えた名前を反芻しながら、彼女を見る。


 さらさらで触りたくなるような長い黒髪、長いまつげ。穢れが一切感じられない肌と、細く伸びた手足。この世のすべてを毛嫌いしているかのようにひそめたままの眉も愛らしい。そして、こんなに人目を引く美貌であるにもかかわらず人が集まらないのは、彼女が周りを拒絶しているからなのかな。それがまた、彼女の神聖さを際立たせているみたい。


 おしゃべりしてみたいな。


 幸い、今は進級式が終わって、担任の先生の挨拶や自己紹介も終わった時間。決まったばかりのクラス委員長と副委員長が先生と一緒に新しい教科書を取りに行っているのを待ってるだけの時間で、あたしたちは三々五々に仲の良い友達同士でおしゃべりしていたり、逆に一人で机に座っていたり、ランドセルの中身をいじって教科書の入るスペースを確保していたり色々。


 男子はなんか知らないけど、昨日やってたバラエティ番組のことで集まって喋っていたり、芸人の真似して変なポーズして騒いだりと意味わかんないことしてる。うん。こっちはいつも通り。


 だからまあ、あたしが出歩いていても問題ないはず。


 俯いてスマホを触っている桜ちゃんの元にこっそり移動する。


「ねえ、あなた昨日の子でしょ」


 後ろから声をかけると、彼女は毛を逆立てて目を大きく見開いた。


「あ、ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだけどね」


 手を合わせて申し訳なく態度で表す。


「別に。私は気にしない」


 少しばかり棘のある声だが、それが余計にあたしの心を揺さぶる。


「そうそう。昨日は助けてくれてありがと。お礼できなくてごめんね」


「いいよ、別に」


「あ、あたしは小林――」


「知ってるわ。さっき自己紹介してたでしょ」


「でも覚えてくれるなんて、嬉しい」


「たまたま聞こえただけだから。勘違いしないで」


 視線をそらしスマホをいじり始めた桜ちゃんだったけど、頬が少し赤くなっていた。


「あ、そうそう。放課後なんだけど、一緒に遊ばない?」


 とりあえず誘ってみる。話はそれから。


「え」


 短い一言を放ってあたしの顔を見る桜ちゃん。その顔は、さっきまで一人でいたときよりも明るくなったみたいだ。


 ただ、その時彼女の手に握られたスマホが小さく震えたせいで、また桜ちゃんの顔が暗くなってしまった。


「……ごめんなさい。私、用事あるの」


「ふーん、じゃ、また誘うね」


 彼女が言うならしゃーない。


 踵を返した瞬間、彼女は小さく零した。


「――大丈夫。あの子にはばれてない」


 ん、どういうこと?





「ってな訳で、協力しなさい! 明智」


「なんでよ」


 ぼさぼさに乱れた栗色のポニーテールを揺らして、こっちを見る女の子。


 こいつは明智。あたしにとって最高の相棒。


 あたしの一つ下で小学四年生ながらも、留守がちな渡りの両親に代わって一緒にご飯食べてくれたり、いろんなところに連れてってくれるあたしの親友。そして、クラスで浮いちゃうからって養護学級に所属しているんだ。だから、明智のことを知っているのは、偶然家がとなりのあたしくらい。


 明智はその綺麗な眼を細め、怪訝な顔をしてあたしを見た。


「なんでって、明智って優秀な探偵なんでしょ。謎の美少女を調査できるなら役得でしょ」


「それって、君がやりたいだけでしょ。ボク関係ないじゃん」


 面倒くさそうにしているけど、実は明智、とっても賢いんだ。警察からも一目置かれる頭脳を持っていて、事件を解決するため特別な捜査権を与えられてる。でも本人はとっても面倒くさがり。もっとしっかりしてもいいのに。


「それにボクは、探偵にしかなれなかっただけだよ」


 悲しそうに目を伏せた明智。でもすぐに顔を上げると探偵の、プロの顔になった。


「で、今回は人調べ?」


「いいじゃない。いつもやってるんでしょ」


「やだ。めんどい。ただでさえ今刑事部捜査一課の人から捜査協力頼まれてるんだから。断るつもりだけど。面倒だし。この町に、『黒蜥蜴』と呼ばれる女性の売春殺人鬼が現れてるとか、どうでもいいよ」


 むー。ちょっとくらいいじゃない。


「ねえ明智、あたしのお願い聞いてくれたら、イイコトしてあげられるのに」


 スカートの端をひらひらしながら言ってみる。


「女の子しかいないのに何言ってるの」


 さすが明智。ツッコミも鋭い。


「それより、今度は何を調べるんだって」


「女の子」


「はあ。やっぱりあんたレズだったか。まあボクに関わらなければ何でもいいけど」


「違うもん! あのね、さっき教室でね――」





「なるほど。あんたはその子に嫌われてると思ったんだ」


「うーん、まあ、そうなんだけど」


 でもそうじゃなくて。


「それ以上に、あの子と仲良くなりたいんだ。ただそれだけだよ」


「ふーん」


 明智は本当に興味がなさそうだ。


「じゃ、君のお願いだし、いいよ。片手間で適当に捜査するから、色々手伝ってもらうよ」





 そして次の日。あたしは聞き込みをした。明智が言うには、いろんな人たちから話を聞いて限りなく多くの情報を手に入れろ、だって。クラスにいる仲の良い女の子たちだけじゃなくて、話のしやすい男の子や、ほかのクラスや上級生、下級生、そして先生や事務員や清掃員の人たちと、学校にいる人々のほとんどに、桜ちゃんのことについて聞きまわった。もちろん彼女にばれないよう注意して、だけど。


「で、何か分かったの」


 昼休み。上級生であるはずのあたしの教室に明智が入ってきた。


「何もわからない、ということが分かりました」


「ふざけんなよ」


 自分の席に座っているあたしを見下ろして、腕組みのまま仁王立ちしている明智だけど、一回りも小さな彼女は活発的な女の子グループに愛でられ、頭を撫でられたり質問責めにあっている。どうにも威厳というものが感じられないあたりすっごく可愛い。


「いや、本当だって。直接関係ない事務員さんとか、先輩後輩とかならわかるんだけど、何回もクラス替えしているはずの同学年ですら、桜ちゃんのこと知らないんだ。みんな、あたしとおんなじで、彼女のこと知らなかった」


「ほう。得てして妙だ」


 明智はべたべたと上級生からの洗礼を受けながらも、それを気にせず考え事を続ける。


「ボクのように養護学級通いでクラスメートと面識のない、もしくは不登校だったら分かるんだけど、学校に登校しておいてその存在感の無さはおかしい」


「ん?」


 どういうこと?


「変なんだよ。学校にいて誰も知らないレベルで目立たないということは。数人くらいは仲の良い友人くらいはいるだろうし、そうでなくてもぼっち同士でカテゴリ分けされているはず。なのに誰も彼女のことを知らない。話の話題にすら上がってないってこと。おかしいよ」


「たしかにそうだよね」


「うん。ちょっと興味わいてきた。たかが一女子小学生がこんな存在感のないことってありえるのか。」


「そういえば桜ちゃんが欠席したって話も聞かないね」


「ふむ。徹底しているね」


 明智はだんだんうれしそうな顔になる。


「よし分かった。ボクも見せたいものがあるから、帰ったら楽しみにしていて」


 そう言って踵を返す明智。


 ただ、少し歩いたところで彼女は振り返り


「さっきは『ふざけんなよ』なんて言ってごめん」


 それだけ呟き、教室から立ち去った。





「たっだいまー」


「おかえり。遅かったね」


 鍵を開けて家の扉を開くと、一足先に明智がいた。


 あれ、あたし鍵かけてたはずなんだけど?


「扉の鍵閉めてても、庭の鍵開けっ放しじゃ意味ないよね」


「あーそっかー」


「納得してくれても困るんだけど」


 明智は呆れ顔のまま手に持ったカメラを机の上にそっと置き、通学鞄の中から紙束を無造作にあたしに向けて放り投げた。


「これは?」


「ああ。戸籍謄本。ボクが警察から委託されている特権で入手できた。あんだけ存在感のない少女だったから、もしかしたら戸籍すらないかなって思ったよ。ちょっとだけ」


 ふざけたような顔で彼女は頭を掻いた


「ボクはもう見たから、勝手に見ていいよ」


「うーん。そう言われても」


 なんか堅苦しくて、読めない漢字もあって、これだけ渡されてもただ理解できない。


「とりあえず疑問とかあったら言って」


 どうしよう。全部が疑問点なんだけど。


「結局、桜ちゃんって変わったところはあったの?」


 全部意味不明だから、分かっている人に聞こう。


「いーや。彼女はただの一般人。研究所や特殊な児童養護施設みたいなところにいたんだったら、そこから彼女の経歴を漁ることもできたんだろうけど、そんなのは一切ない。この町で生まれて、この町で育って。まあ、ここも東京の外れとはいえ何一つ不便なこともないごくごく普通の町だからね。もちろん彼女は補導だって一度も受けてないし、留置所や少年院に行った形跡もない。一つ気になるところといえば、父親がいないってくらいかな。でもそれだって、別に珍しいことじゃないね」


 へー。そんなことまで分かるんだ。


「ついでに一緒に取ってきた母親の戸籍と比べても矛盾はないし、本物だと思う」


 ふーん。


「だからこそ、君が言ったような彼女の異常な存在感の無さが説明できない。そんなのがあったら、もう超能力だよ」


  諦めたように悪態をつく明智。


「なーんか、彼女のことについてなにか面白いことが分かるかと思ったけど、なんかもういいや。飽きちゃった」


「えー、そんなー」


「彼女は単に偶然、存在感が薄いってだけの人。他人に干渉してないんだったら存在感もくそもないでしょ。はい終わり」


 そんな! 明智が手伝ってくれなかったら、あたしだけじゃ何もできないよ。


「もうちょっとだけ一緒に頑張ろうよ」


 あたしの声かけもむなしく、明智は虚空を見つめながら大きなあくびをした。


「でも、なーんか、妙に出来すぎているんだよねー。偶然だって言われたらそれまでだけど」


「そう! あたしもそう思っていたの」


 本当に? と言いたげな明智の視線が刺さる。


「だって、桜ちゃん。ずっとスマホいじってたし、話しかける子もいなかったけどさ、桜ちゃん、木から降りれなくなったあたしを助けてくれたんだよ」


「君、一体何してたの」


「だからね、あの、えっと…… 他人に干渉しないんだったらあたしを助けることもないでしょ」


 それが言い訳ですらないことをあたしは分かっていた。それは明智にも伝わっていて。


「はあ。なんであの子にこだわるのかボクには分からないんだけど。あの子は君にとってそこまで大切な存在なの?」


「――うん。そうだよ」


「君だってあの子のことは最近知っただけじゃない」


「でも、それでも」


 浮かんだ雑念を除くために頭を振って、言葉を紡いだ。


「桜ちゃんと仲良くなりたいんだ」


 明智は無表情のまま、しかしその顔をゆがめ、満面の笑みを浮かべた。


「ははっ! いいね。やっぱり君は面白い。しょうがないな。ボクは君のためにもうちょっとだけ頑張ることにするよ」


「わぁい!」


 明智はカメラを首にかけ、勢いよく立ち上がった。


「じゃ、次は彼女についてボクが調べることのできない場所を探るよ。探偵の基本は――」


「『自分の足と勘』だよね」


「むぅ、それボクの台詞」


 不機嫌に頬を膨らませて、明智は腕を組む。


「まあいいや。じゃ、ボクの権限が届かない場所―― 学校内の情報を探るよ」





 そしてあたしたちは、学校に向かった。放課後はいつもとは違った鮮やかな橙色に染められていて、人気も少ない。ほかの人たちはクラブ運動や課外活動、あと補習なんかに出回っているから、そろそろ日没になるこの時間には本当に誰もいない。


「なんか不気味だね」


「そう? ボクはそうは思わないけど」


 いつも通りの表情で、何事もないかのように歩いていく明智。


 別にあたしだって、お化けとか信じてるわけじゃないんだけど、でもやっぱり怖いものは怖いの。


「あの、明智、もっかい学校に戻ってきたのはいいんだけど、どこ向かってるの」


「ん? 職員室だよ。忍び込んで、その桜に関わる情報を仕入れるんだ」


「ええっ、だめだよ!」


 じとーっ、と明智に白い眼を向けられた。


「さっき、『探偵の基本は自分の足と勘』って言ったよね」


「う、うん」


「それはつまり、自分の知りたいことなら手段を選ぶな、ってことにもなるんだけど」


「えぇ……」


でもやっぱり、忍び込むとかはちょっとね。


「ねえ、他のやり方はなかったの?」


「逆に聞くけど、君にはあるの? ほかのやり方」


「うーん」


 そう言われても、急には思いつかないよ。


「なーに、忍び込みといっても泥棒するわけじゃないから心配いらないよ」


 明智はにやりと笑った。





「ねえー、先生?」


 小さな職員室。明智は猫なで声でその人に近づいた。


「どうした小林、と、えっと――」


「明智です。四年の養護学級の」


「ああ、君が明智君か。すごく頭のいい女の子だって聞いているよ」


 椅子に座ったままの先生は、背の低い明智と同じ目線に立って優しく話しかけた。


 彼は影夫先生。名前に違わず影の薄い人なんだけど、優しくていい先生なんだ。あたしたちの担任の先生でもあるんだよ。


「ねー、そんな先生に見せたいものがあるんだー」


 無邪気に明智は、首にかけたカメラの液晶画面を先生に見せた。そこに写っているのはあたしにはわからなかったけれど。


「ねえ、先生。これ、PTAにチクったらどーなると思う?」


「い、一体何が目的なんだ……っ!」


 なんて言いあっている明智と先生の様子を見たら、何があったか分かったような気がした。


「じゃ、先生の机の、一番下の引き出しに入っているものを見せてほしいな。早く出したほうが身のためだと思うよー?」


「くっ、そんなのに屈したりしないっ」


「いーの? ねえ、どうなってもいいの? PTAだよ? もしかしたら全国ニュースになるかもねー」


「脅しには勝てなかったよ……」


「ふふ、テンプレのような即落ち二コマだね」


 がっくりと頭を下げ、しかしちょっと嬉しそうな先生は机の引き出しを開けると、綺麗にファイリングされた書類の一部を取り出し、明智に差し出した。


「見せるだけだからな」


「ふふん。ボクは一度見たら忘れないから関係ないよ」





「ねえ明智。一体先生に何を見せてたの?」


 職員室を後にしたあたしたち。あたしはちょっと気になって、明智に聞いてみる。


「ん? ただの盗撮写真だよ。あの担任の先生、女装癖あるらしくてね。くくっ。でも結構似合ってたんだよ」


 それにしてもノリのいい人だったなー、なんてこぼす明智を尻目に、あたしは一番聞きたかったことを聞いてみる。


「ねえ、桜ちゃんのこと、何か分かった?」


「ああそうだった。忘れてた」


 忘れてるなんて、ひどいよ。


「なんてことないよ。あの子がこの学校に入ってから――一年生のころから――のIQテストの結果とか健康診断書なんか見たんだよ。言ってみれば、彼女のことについて丸裸にした紙束だったんだ」


 ふふん、と自慢げに腕組みをする明智。


「桜ちゃんを、丸裸。はわわわ……」


「何狂った発想してるんだよ」


 桜ちゃんの丸裸を想像するだけで、耳まで熱くなってきた。


 きっと桜ちゃんは、細くてスレンダーで、芸術作品のようにきれいな裸をしているんだろうな。あ、でも逆に、可愛い顔でだらしない体つきでもいいかも。


「おい、戻って来な。変態ガール」


「はっ、あたしは一体何を」


 あきれ顔の明智は、ごみを見るような目であたしを見た。


「全く。本来君にレズ性癖はないはずでしょ。もしそうだったら、ボクは今から君と距離を置くよ」


「ち、違うよ! あたしはただ桜ちゃんのことが気になるだけ!」


「はあ。別にいいけど」


 歩みを進めるあたしたちの前に、大きな夕日が沈む影が伸びた。同時に、アナウンスから帰宅を促す音声が流れ、肌寒い夜の風が吹く。それはあたしが体験したことのない感覚で、幻想的な雰囲気を纏っていた。


「ねえ。あたし、明智が潜入するって言わなかったら、こんな景色を見ること出来なかったんだね。ありがとう、明智」


「唐突に何だよ」


 一度振り向いたと思うと、また興味のなさそう歩き出された。


「……天然ジゴロかよ。ボクまで落とす気か」


「え、なに?」


 小さい声で喋られたから、聞き取れなかったよ。


「……何でもない!」


 今度は大きな声で叫ばれた。


 むー。





 家に帰って手洗いやうがいを済ませたら、機嫌の直った明智がテーブルに足を置いて、不良よろしく座っていた。


「ねえ、君の両親はまた遅くなるのかい?」


「うん。そうみたい」


 今は午後六時ちょっと前。この時間に帰ってないってことは、きっとまだ仕事が終わってないんだろうな。


「ボクが他人のことにどうこう言うつもりはないけど。寂しくないの」


「うん。あたしが小さい時からこんな感じだったし。でも、明智もいるから寂しくないよ」


「嬉しいこと言うじゃないか」


 予想通りだね、と明智は得意げに笑みを浮かべた。


「じゃ、これからどうするか決めようか」


「うん。まず、今分かっていることは――」


「『彼女が普通の生い立ちであること』そして『彼女はかなりの天才児であること』だね。ボクもあの書類見て驚いたよ」


 ボクと似ているな、なんて。明智はますます嬉しそう。


「でも、それだと可笑しいんだよね。言語能力も論理的思考も万遍なく高いから、やろうと思えば、海外の大学で飛び級入学だって出来るはずなんだよ。数学や頭の柔軟性、記憶力。さらに運動神経まで優れている。どんな環境だって彼女はトップになれるはず、なんだ」


 途端に苛々し始める明智。


「それなのに、学校の成績だけは低い! カウンセリングでも異常や学校への苦手意識はないって報告だ。わざとだよ。これ!」


 明智は怒り出した。


「全く! 人を舐めているとしか思えない」


 一応、明智、桜ちゃんより一つ年下だからね。


 まあ、思ってるだけで言わないけどさ。


「ボクはせいぜい、記憶力と論理的思考が飛び抜けているだけだ。だから探偵にしかなれなかった。まだ経験が浅いことも、歳が幼いことも自覚してる。まあでも、そこら辺の大人ともよりは優秀だと思うけど」


 傲慢に謙遜する明智。


「でも彼女なら、何にだってなれる! 自分の持っている才能だけで、たとえボクと同じ小学生であっても、努力するだけで、挫折することなく、望む未来が得られるんだ。大臣でも、軍人でも、偉人でも」


 体力が尽きたのか、息を切らせて明智は演説を止めた。


「ええっと、つまり?」


「つまり! 彼女はとても頭の良い一般人ってことだよ!」


 最後の力を振り絞りあたしに返事をした明智は、息も絶え絶えテーブルに伏した。


 いつも勝ち気な明智が肩で息をして苦しそうにしていると、心配になるというよりも少しちょっかいを出したくなる。


 明智のぼさぼさだけどどちゃんと手入れされている髪をこねこねといじり回す。「やめろー」との言葉とともに明智の小さな背中が震えたんだけど、抵抗する気力はないみたい。


「ボクは体力がないんだー やめろー」





 ひとしきり弄られた明智は、息切れを落ち着かせつつ語り始めた。


「もうこうなったら、徹底的に洗ってやる。彼女の存在感の無さ、ひん剥いてつまらない理論で片付けてやる」


「お、おー」


 よく分からないけど、明智はいつにもましてやる気を出している。





「そして、今度は尾行?」


「しっ! 気付かれるだろ」


 明智がやる気を出した次の日。今日は四時間目で学校が終わる日で、あたしは給食も掃除もそこそこにして、帰りの会もほどほどに、教室から飛び出した。明智はいつもの養護学級でのんびりと将棋を打ちながら待っていて、本当に緊張感がない。


「あ、もう終わってたんだ。じゃ、ちょっと待って」


 そう言って明智は将棋盤に体を戻した。


「四二歩。これで詰みだ」


「くっそー。やっぱ明智ちゃん強ええ!」


「ボクに勝とうなんて、あと二年は早いよ」


 低学年の男の子にどや顔する明智って……





「これでもボクは手加減したんだからね。八枚落ちだったし」


 養護学級の先生たちに挨拶して学校を出た後。桜ちゃんはすぐに見つかった。


「でもあいつも中々強くてさ。つい本気出しちゃったよ」


 尾行中だから小声で話しているけれど、あたしは桜ちゃんに気付かれてないか心配。


「それより彼女の恰好、よく考えられてるね」


 明智は目を細め、静かに笑った。


 桜ちゃんは今朝と同じく女子小中学生に人気のプチプラブランドで固めていて、靴も大手量販店のものだった。でもランドセルはいつの間にかなくなっていて、代わりに小さなディパックを背負っていた。


「きっとコインロッカーだね。前々から準備してたんでしょ。ランドセルのままじゃ怪しまれるから」


 そうこうしているうちに、地元でも有名な繁華街にたどり着いた。


「……まずいね」


 明智は得意げな顔のまま唇を噛む。


 そこは地元でも有名な場所で、俗に西側と呼ばれている。噂だけど、ヤクザやマフィアって人たちがたくさんいるんだって。だからあたしは「あそこに行っちゃだめ」って言われてる。あ、でも今は桜ちゃんを追ってたら知らないうちに入っちゃっただけだから、セーフだよ。わざとじゃないから。


 そして桜ちゃんはスマホの画面を見たと思うと、一人の男に声をかけた。それはスーツの似合う大人で、若いけれどやり手で、しかもそこそこイケメンだった。


「あの人、誰だろ。お兄ちゃんかな」


「なわけないでしょ。十中八九犯罪者だ」


 ロリコンだよ。気持ち悪い。と明智が零す中あたしはその男をじっと見た。清潔感のある短髪で、肌やスーツは綺麗に整えられている。自分より背の低い桜ちゃんの目線に合わせて腰をかがめるなど、気配りもできる。


「やっぱりお兄さんじゃないの」


「戸籍見たでしょ。あの子は一人っ子だよ」


「じゃあ従兄とか」


「可能性はあるけど、でもこんなところで待ち合わせする必要ないでしょ」


 うーん。たしかに。


「っ! 動いた」


 二人は仲が良さそうにおしゃべりしながら歩き始めた。周りがうるさくて会話の内容が聞こえないのは残念だけど、逆にあたしたちの尾行がうまくいっていると考えると、仕方ないのかなあ。


「こっから先が本番だからね」


「うん! って、あれ?」


 二人はどこか遠くに行くと思ったら、すぐ目の前の建物に入っていった。


「……えぇ」


 そこは小さなホテルで、ビルとビルの隙間にこじんまりと立っていた。


「まじかよ」


 明智がそう言って、目の前のそれを睨んだ。


「ラブホテル……っ!」


「ラブ――ぇ?」


 ここ普通のホテルじゃないの?


「まずいよ。撤退だ」


「なんで?」


「なんでって、それは」


 明智は赤面し、あたしの目をそらした。


「それは、その、ラブホっていうのは、ね」


 うううっ、と明智は唸り、叫んだ。


「大人の男女がいけないことするための場所だよ!」


 明智は大粒の涙をその大きな瞳に浮かべ、白い肌をさらに赤く染めた。


「でも桜ちゃん、あたしと同じ年だから、まだ大人じゃないと思うんだ」


「くそ。無知ってのは最強だな」


 袖で涙を拭い、何事もなかったかのように振る舞う明智。


「でもそれだと、あたし達は中に入れないんじゃ」


「そうだよ。だからどうしようもないよ。というかボクは早く帰りたいんだよ。恥ずかしいんだよ」


 うーん。


 あ、そうだ。


「ねえねえ、そこのネットカフェ行こうよ」


「君、このタイミングで何を言っているんだ」


「あのね、あたしにはよくわからないんだけど、大人の場所なんでしょ。このホテル」


「あー、うん、まあね」


「じゃあさ、まずこのホテルについて調べてみようよ。『探偵の基本は、自分の足と勘』そのために、まず調べものしないと」


「ほう」


 そうか、と明智はあたしを見て呟いた。


「成長したね、君も」





 そうしてたまたま近くに合ったネットカフェに寄り、あたしたちは目の前のホテルのサイトを調べた。小学生二人が店に入ったから店員さんに怪訝な顔をされたけど、明智が何か黒革の手帳を見せたらなぜか驚いて席に案内されたんだ。明智ってすごい。


「ふむ、間取りまで公開されてるね。幸いだ」


 そしてぶつぶつと小さく考え込んだ後、顔を上げた。


「よし、もう一度、潜入だ」





 そしてあたしたちはホテルの中に潜入し、桜ちゃんの待つ部屋の中へとたどり着いた。道中色々あったけれど、今回は割愛。いや、本当に大変だったからね!


「さあ、準備はいいかい?」


 覚悟を決めた明智が、あたしを見た。


「うん! もちろん」


 君は本当に何も考えてないよね、と呟き、彼女は目の前の扉を開けた。


 そこには。


「あら。遅かったわね」


 小さな体をベッドに預け、妖艶に微笑む桜ちゃんの姿があった。一枚のベビードールのみを身にまとった姿の彼女は、その奇跡のように細い両腿に鮮血と白濁液を付着させたまま、あたしたちを見つめた。


「初めまして、優秀な探偵さん。私はずっと、あなたのことを待ってたわ」


「ボクは君のことなんて知らないよ」


「そう。でも私はずっと興味があったの」


 彼女はその小さな秘部を露わにし、あたしたちに問いかけた。


「ねえ、あたしの値段、知ってる?」


「何だい唐突に」


 彼女が髪を手で梳く仕草にそって、薄いベビードールが揺れる。


「ふふ。あなたなら察しているでしょ。――売春の話よ」


 不敵に微笑む桜ちゃんに対して、明智は苦しそうだ。


「私は、時間当たり、一万六千円。それも手取りよ。もっとも、私の後ろ盾やホテル代なんかも合わせて、客が払うのはもっと高いみたいのだけれど」


 その少女は不敵に笑う。


「それにしても。合理的な推理で有名な明智ともあろう探偵さんが、ただの一般人を連れてくるなんて、珍しいこともあるものね」


「なんか、こいつの頼み事って断れなくてね。というか、君だって一般人だろ」


 その言葉に、桜ちゃんは大きく目を見開き、驚いた。


「どうかしたの?」


  あたしはちょっと心配になって聞いてみた。


「驚いた。探偵さん、私の正体を知ったうえでここに来たんじゃないの」


「どういうこと?  自意識過剰?」


「私が『黒蜥蜴』と知ったうえで、ここに来たんじゃないの」


今度は明智が驚いた。


「へえ、君が! そうかそうか」


 得意げな顔で、明智はうなずいた。


「得てして、ボクは推理をせずに事件の真相までたどり着いたわけだ」


「こん……のっ!」


 対して桜ちゃんは侮蔑のような、嫌悪のような表情を浮かべて、あたし達より少し高い位置から見下ろした。


「何よ、それ。こんなの、推理しない名探偵なんて、私は認めないわ」


「ふふん。推理をせずに事件を解決することくらいあるさ。だって、警察でも対処できないような事件をあっさり解決するから、名探偵と呼ばれるんだ」


「こんなの、私は認めない」


「君が何を言おうと、ボクがなりゆきで事件を解決したって事実は変わらないよ」


「……っ!」


 桜ちゃんはおもむろに手元にあった小さな鞄から剃刀を取り出すと、静かにそれを自分の左手首にあて、動かした。


「なに?」


 いきなりのことに頭がついていかないあたし達に対し、何事もなかったかのように微笑む桜ちゃん。


「その、手首。トリックじゃないよね」


「ふふ、ええ。そうよ」


 彼女が切ったそこからは、徐々に赤い血液が流れ出ている。


「やめてよ、桜ちゃん!」


「どうして?」


「それは、その。痛いでしょ」


 あなたには関係ない、と彼女は視線を明智からあたしに向けた。


「痛むわ。でも、心が。心の中が、ざわつくの。気持ちが、抑えきれなくなって、苦しいの」


 桜ちゃんはそう言って、胸に手を当てた。


「でも、そんなことしちゃだめだよ」


「『そんなこと』なんて!」


 急に大声を上げた桜ちゃんは、ベッドの上に立ち上がると、叫んだ。


「私のこと何も知らないくせに、勝手なこと言わないでよ! 私だって、本当はしたくないの。でも、でも……」


 激情のまま言葉を止め、泣き出す桜ちゃん。その姿は同じ年には思えなくて、クールな桜ちゃんが急に小さな女の子になってしまったかのようで。


「……っう!」


 あたしは何も語らなくなったその小さな唇をあたしの唇でそっと閉じた。


「ほう、やるねえ」


 黙っていた明智が茶化すけど、あたしは口の中に舌を入れる。


 その中は小さく、蹂躙することは簡単だった。けれど血の匂いがしていて、少し残っていた精液の匂いが染みついていて、背筋がぞわぞわとしちゃった。それでもあたしは、さらに小さな舌を絡めて、舐めて、梳る。


「っ、ぷはぁ」


 息継ぎのために少しだけ顔を離す。すると、桜ちゃんのとろんとした表情が見え、その火照りがあたしの元にも伝わってくる。


「桜ちゃん、いい匂いする」


 小さな女の子特有の、甘いミルクのようなそれが全身に伝わり、むせ返るようなそれがあたし達を包み込む。


「ね、いい?」


 あたしは桜ちゃんに問いかけると、彼女は静かにうなずいた。


「ねえ、ボクも混ぜてよ」


 明智が桜ちゃんの後ろに回り込む。そして彼女の乳首のまわりをそっと指で撫でた。


 嬌声を上げた桜ちゃんに、あたしはそっと 彼女の秘部をそっと撫でた。可愛く震えだす桜ちゃんをそっと抱きしめた瞬間、彼女は少しだけ果てた。

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