第13話
休日の朝はいつもとやはり雰囲気が違う。パパとママがいつまでも寝ている。いつも起きる時間より一時間は遅くなっている。ワラシはもう目が覚めてしまった。口をクチャクチャいわせた後、大きな欠伸をした。やがて布団から畳に出て、後ろ足で体を掻く。カッカッカッと爪が毛と皮を擦る乾いた音がする。掻く力で体が少し回転するので、支えになっている片方の前足の爪が畳を擦る音もする。一頻り掻き終えるとパパとママを見る。二人とも目を閉じたままで動かない。ワラシはもう一度、今度は内側の腹の方を掻く。カッカッカッと再び乾いた音が流れる。掻き終えて、またパパとママに目を据える。まだ起きない。ウーとワラシは小さく唸るが、すぐまた腰を落として、今度は反対側の後ろ足で掻き始める。そしてまたパパとママの方を見る。パパが寝返りを打った。ワラシはパパの顔の側に寄る。そして少しためらった後、鼻の頭をペロリとなめる。「ウッ」と言ってパパが薄目を開ける。「ワラシか」と言って少し笑い、また目を閉じて、片手でワラシの頭を撫ぜる。ワラシはそのパパの顔を舐め始める。頬、口の周り、鼻の頭、鼻の穴、そして目。鼻くそや目やにはワラシの大好物だ。額も舐める。一番のお気に入りは小鼻の脇。なぜそこをそれほど舐めるのか、パパが「痛い」と言って、ワラシを手で押しのけるほど舐め続けるのだ。パパが顔を背けると、正面にきた耳を舐める。耳郭や耳孔、耳の後ろも舐める。ワラシが顔を舐め始めると、放っておけば十分以上も続く。たいてい途中で、「わかった、わかった」と言ってパパは起き上がるか、ワラシを手で制して、「ママのとこに行きなさい」と小声で言う。ワラシはパパを離れ、ママの顔に近づく。そしてママが「ウッ」と言い、同じことが繰り返される。それでも二人が起きないと、ワラシは布団の上を跳び回り、八キロ近い体重の衝撃をパパとママに加える。最後の切札は犬が持つ最強の武器の行使だ。体の割には太く高い声でワラシは吠え始める。
寝床から起きだしたパパとママは、隣の部屋に行って何か話している。いつもなら二人は慌ただしく階下に降りてしまうのだ。そしてパパの姿は間もなく消えてしまう。今日は違う。パパとママはゆっくりとしていて、隣の部屋で何か話しているのだ。ワラシは楽しいことが始まるのを予感して隣の部屋に駆け込む。
「どうしようか、今日は。久しぶりに運動公園に行ってみようか」
パパが窓のレースのカーテンを開けて、外を見ながらママに言った。窓からは朝の光が射し込んでいる。
「天気はいいし」
パパは水田の向こうの地平線の辺りに建つ工場を見ながら、ママの気持を促すように言った。
パパは休みの日には散歩のコースをいつもとは変えたがる。近所を巡るあれこれのコースではなく、車で出かけていく遠出のコースをよく口にする。それには二つあって、一つは隣接するU市を流れるI川の河川敷を歩くもの、もう一つはやはりU市にある総合運動公園内を一巡するコースだ。パパがそれらのコースを口にするのは、パパ自身が休日らしい気分を味わいたいという理由が大きかったが、河川敷には四季それぞれの花が見られ、運動公園はリードを付けずにワラシを散歩させられるという利点もあった。パパの問いかけにママは沈黙して、寝巻きを脱いで普段着に着替えている。ママは近所を回るいつものコースを主張する場合が多かった。遠出をすると時間がかかるからだ。炊事、洗濯、掃除などの仕事がママを待っている。それにパパが休みの日だからといってママが休みとは限らない。日曜日は店も休むが、パパは休日となる土曜日は、ママは店を開けることが多かった。開店は午前十時なので、それまでに用事を済ませてしまわなければならない。ママがパパの問いかけに、「今日はダメ」と答えることはしばしばあった。今日はどうだろう。ワラシはママの顔を見上げている。
着替えを終えたママがワラシの前に屈んで、
「ワラシ、運動公園に行く? 」
と問いかけた。パパの顔に笑みが浮かぶ。これはママが運動公園に行ってもいいと思っているサインなのだ。ワラシは一心にママの目を見つめる。
「ワラシ、運動公園に行こうか? 」
ママはもう一度尋ねる。ワラシはお座りをした体をわずかに横に揺らす。
「運動公園に行くひとオー」
ママは語尾を延ばす。後の「手を上げて」を省略した問いかけだ。ワラシは「ウウ」と唸って、また左右に体を振る。
「もう一回訊くよ。運動公園に行くひとオー」
延ばされるママの語尾に吊り上げられるようにワラシは左の前足を上げた。
「お利巧、お利巧。そうね、運動公園行くね。ブーブー乗って行こうね」
ママはそう言ってワラシの頭を撫でた。
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