第11話

 

 知道は職場でも孤独だった。

 彼は最初に就職した私立高校を七年勤めた後、義母ユキエの甥の中古車販売会社の社長である人のコネで、進学校と言われる私立高校に勤め先を変えた。知道には別の高校に変わりたいという気持はなかった。勤め先を変えるのなら、むしろ大学の教員になりたかった。だが彼にはそれに必要な専門的な業績がなかった。だから望むべくもないことだと彼は思っていた。だがユキエと昌代はその社長に会うだけでも会えと強く勧めた。社長は中高大の三段階の学校を経営する地域では名の通った学校法人の理事長と昵懇なので、大学教員の道も開かれるかも知れないというのだった。そこに期待を抱いて知道は社長と会った。そして、いずれは大学教員を目指すとしても、先ずは高校からという話になって、社長はその場で理事長に電話を入れ、採用の内諾を得てしまった。知道にとってはあれよあれよという間の展開で、期待した結果ではなかったのだが、それまで勤めていた高校での生活に行き詰まりのようなものを感じていた彼は、成り行きに任せた。

 当時、知道には親しくつき合っていた同僚が二人いた。知道が学校を去る時が近づいたある日、三人は送別の宴を持った。知道にとっても急転直下の職場変更だったが、友人の二人にとっても驚きは大きかった。彼ら三人は年齢もほぼ同じで、学校に同時に就職したのだった。気が合い、家族を交えたつき合いをしていた。教育についても同じような意見を持ち、三人とも組合に入っていて、非組合員で教育に対する考え方の違うグループと対抗するグループに属していた。酒が入った友人の一人が「裏切りやがって」と言った。その口調は知道を強く詰るものではなく、むしろ揶揄する感じが強かった。しかし、知道はその言葉に軽いショックを受けた。知道は友人の口からその種の言葉が出ることを警戒し、恐れていた。痛いところを突かれた知道は、俺がいつ裏切ったのだ、と内心で反発した。友人は「なぜ相談してくれなかったのだ」と問うた。知道は「相談するも何も、会うだけ会ってみようと出かけて行った席で、いきなり決まったんだ」と弁解した。それは事実だった。しかし、その後、理事長との面接を経て、正式な採用通知が来るまで、友人達に秘していたことも事実だった。人事は漏らしてはいけないと口止めされていたことは確かだ。しかし知道自身が相談しようとは全く思わなかったのだ。話すことで情報が漏れ、何らかの妨害が入ることを恐れて。〈自分の進路は自分で決めるもので相談するものではない〉〈彼らと最後まであの学校で勤め続けようと約束した覚えはない〉などと、知道はその後「裏切り」という言葉に対して自分を正当化する論理を築いた。

 それでも学校を変わってから数年は彼らとの間に行き来があった。しかし、五、六年も経つと、年賀状の交換くらいになってしまった。

 知道の新しい勤め先の高校は有名大学の合格者を多く出す進学校ということで世間的評価も高く、給与などの待遇も良かった。知道の二人の友人もこの際変わりたいものだという願いを持ち、その後知道に斡旋を依頼してきた。ところが知道にはそんな友人の願いを受けとめる余裕も、世間的な知識もなかった。彼はただ新しい環境に適応するだけで精一杯だった。校長に、この学校に勤めたいと希望しているこんな教員がいるからよろしく、と申し出ればいいのだと分かったのは三年ほど経ってからだった。知道は友人を就職させるためには自分と同じように理事長に頼む他はなく、そのためには義母の甥に口を利いてもらわなければならない、と思っていた。その面倒さがブレーキとなった。そんな頼みごとをする前に、新入りの身として、先ずしっかり勤めて自分自身が経営者の信頼を得なければならないだろうと思った。それで知道は斡旋に動かなかった。校長に申し出ればよいのだと分かった後も、彼はそうしなかった。彼は校長などの管理職とは距離を置きたいと思っていたからだ。校長に頼みごとをすることで特殊な関わりが生じることを知道は嫌った。また、既に時が過ぎていて、友人たちの願いも変わっているだろうという思いもあった。友人達と疎遠になったのは彼が二人の希望に対して何の労もとらなかったからだと知道は思っていた。その思いは彼の胸を棘のように刺した。

 新しい職場では、世間話を交わす程度の同僚は何人かできたが、友人はできなかった。四十歳を過ぎた人間には一つの殻が出来ており、その殻に合う者とは親しくなれるが、そうでない者とは距離ができてしまうものだ。自分の殻を壊してまでつき合おうというエネルギーはもはやない。合うか合わないかは二、三回の接触で分かってしまうので、合わないと知った者とはお座なりの付き合いをすることになる。知道の新しい職場は進学校として世間的評価のある学校で、教員の給料も公立高校より高いということの反映なのか、在職している教員には考え方は保守的で、上昇志向の強い者が多かった。教員間の競争意識も強く、学習指導、生徒指導、クラブ活動などの諸分野で具体的な成果を上げる競い合いが激しく行われていた。そのため教員間の関係も親和的と言うよりも対抗的だった。いずれも独立自尊型の人間同士が張り合っているのだった。組合が存在しないことも教員の連帯意識を育ちにくくしていた。知道には周囲の教員の殆どが、自分の地位の確保や上昇にしか関心のない、面白みのない人間に見えた。つまり彼と殻が合う同僚は殆どいなかった。それでも顔が合えば話を交わし、一定の付き合いをしていた少数の同僚はいた。しかし、知道は次第に彼らとも疎遠になっていった。意識的に。それは知道の殻がより明確で強固なものになっていったからと言えるだろうか。


 

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