第2話
知道は昌代と結婚すると、それまでのような勤務態度で過ごすわけにはいかなくなった。彼はそれまで博道や公司に指示されて仕事をおこなってきた。仕事は少ない方が好都合だったし、言われたこと以上のことをするほど仕事に対する関心もなかった。しかし、結婚すると世帯主としての責任感が知道にも生まれた。
結婚式の披露宴で、昌代の両親に花束を渡した知道に女性の司会者が、「新婦を幸せにする自信はありますか」とマイクを差し向けた。知道は言葉に詰まった。司会者は列席者の方を向いて、「おや、はっきりとしたご返事がありませんね」と言って笑った。「ここは力強い言葉が欲しいところですよね。ね、新婦さん」と昌代を見やり、また知道の顔を見た。知道は少し慌てて、「まぁ、なんとか頑張ります」と言って曖昧に笑った。会場から失笑が聞こえた。しかし、それは知道の本音だった。結婚式を迎えた知道には今後の生活について少しも自信がなかったのだ。神社での挙式の間も、焦燥に似た不安感が彼の心を閉ざしていた。その不安感を逃れるためには仕事に本腰を入れる他はなかった。
業者の会合など、知道はそれまで顔を出したこともなかった。また、それを幸いとしていた。会合は
製材業は建築現場に材木を供給するだけでは立ち行かなくなっていた。自ら土木建築を請け負わなければ利は薄かった。博道はその方針を採り、製材所の看板の脇に工務店の看板を掲げた。業務の幅が増せば接触する業種も増える。それらの業者との交渉、統括も主に公司の役割であった。知道に割り当てられたのは昔ながらの製材分野だった。公司が指示してくる量と形状の材木を製材して出荷する仕事だった。いわば内働きの肉体労働だった。
知道が結婚した時には公司と珠江の夫婦が家業を取り仕切る形が出来つつあった。一方で糖尿病が進行する博道は第一線から次第に退いていった。
知道は自分がこれまでと同じように公司の脇役として陰の存在であり続けなければならないことが不満だった。今までの勤務態度は確かに本腰の入ったものではなかったが、為すべきことは果たしてきたという思いが彼にはあった。何も無為徒食できたわけではないのだ。教員免許を取ってからは勤務時間もフルタイムとなっていた。家業を継ぐ気は当初はなかったが、珠江たちも十分知っている事情で生計を家業に求める他はなく、結婚を機に本気で頑張る決意をしたのだ。
一方、珠江夫婦にはこれまで築いてきた地位を崩す気はもちろんなかった。だからその地位を脅かすような知道の行動を認める気は全くなかった。結婚した知道がいかに仕事に本腰を入れなければならなくなったとしても、それは彼らの人生プランへの迷惑な介入でしかなかった。知道にはかって自ら言明していたように家業を継ぐ意志はなく、従って家業を引き継いだのは自分たちであるというのが珠江夫婦の基本的な考え方であり、その変更を彼らは認めなかった。実際、知道は帰郷して家業に就いても、ぷらぷらとした、いい加減な仕事振りだったのだし、そんな知道に文句を言わず、また一切期待もせず、珠江と公司は家業を担ってきたのだ。博道の後、家業を背負って世間に出て行くのが公司であるのはこれまでの実績からいって当然だった。長男だからといって、何の実力もない知道が経営に対して同等の権利を主張するのは勝手な話だと思わないわけにはいかなかった。
こうして経営の主導権をめぐる暗闘が二組の夫婦の間で展開されることになった。
子供の頃、知道と珠江は仲のよい姉弟だった。珠江は幼い頃から弟のことをよく構う姉であり、二人はいつも一緒だった。思春期を迎えても二人の仲はよく、好む音楽、映画、テレビ番組、小説なども共通していた。中学生の頃、知道が作った詞に珠江が曲をつけた歌が二、三曲できた。それくらい二人の気持は通い合っていた。今となってはそれははるか遠くに過ぎ去った懐かしい思い出に過ぎなかった。ある晩、知道夫婦と珠江の三人で夜の街に飲みに出たことがあった。公司は仕事があって来なかった。二軒目のスナックに入り、そろそろ引き上げようかという時、知道は珠江に「一緒にやろうやないか」と言葉をかけた。珠江は表情を固くして答えなかった。その無言に、知道は、「一緒にやる気はない」という明確な珠江の意思を聞き取った。学生時代、同じ下宿にいた年下の他学部の学生が、知道の家の仕事と姉夫婦の存在を知って、知道が帰郷したら争うことになりませんか、と皮肉な笑いを浮かべて言ったことがあった。その時は何を馬鹿なことをと知道は思い、さすが大阪生まれの奴は考えることが現実的だなと笑ったのだが、的中したのだった。
博道は子供たちの争いに対して不干渉だった。彼は財産に関しては家業を引き継ぐものが全てを受け取るとしか言わなかった。博道にとって知道が社会主義を目指す組織と手を切り、家業を継ぐ気になったということは良いことだった。しかし、長男がその気になったからといって、すぐ知道に家業を任すというわけにはいかなかった。知道には家業を継ぐ気がないと見て、珠江夫婦を同居させ、家業に従事させてきたのは博道だった。公司には不満な点も多くあったが、曲がりなりにも体の弱った博道を助けて製材所の経営を支えてきた。その働きを無視することはできなかった。娘の珠江のことを思えばなおさらだった。むしろここは考え方に甘さがある知道をこそ戒める必要があると博道は考えた。それで彼は知道に、早く起きて店のシャッターを開ける役目を言いつけたり、仕事上の付き合いがある人が入院した時、公司よりも先に見舞いに行った知道を叱ったりした。つまり博道は公司を第一に立てようとした。それが知道を鍛えることになると考えていた。
ある時、知道と公司が喧嘩になりかけたことがあった。知道が珠江に、珠江夫婦が経営方針を自分たちだけで決めて、知道たちをつんぼ桟敷に置くことに対する不満を訴えていた時、公司が現れたのだ。公司は陰で知道の文句を聞いていたのだろうが、知道に、
「少なくともこの仕事では俺は先輩だろ、あんたの。先輩に対する態度が全然ないんだ。あんたに相談することなんか実際ないだろう。あんたはこの仕事についてよく知らないんだから。文句を言う前に仕事を知ろうとしたらどうなんだ」
と言った。公司が知道に向かってこんな言葉を吐くのは珍しいことだった。知道は驚くとともに怒りがこみ上げた。
「確かに俺は仕事を知らん。しかし経営者の端くれだ。つんぼ桟敷に置かれる筋合いはない」
と気色ばんだ。すると公司は、「ちょっと来い」と言って外に出ていこうとした。それは「表へ出ろ」と言っているのと同じだった。知道は公司の予想外の態度に驚きながら、
「あんたと喧嘩しても仕方がないよ」
と言って従わなかった。
「俺は責任を持ってやってるんだ」
と公司は捨て科白を吐くとその場を立ち去った。
この時の、公司の挑戦をかわした対応が、長く知道の中に屈辱感として残ることになった。無意味な殴り合いを避けたのだと正当化しても、不良が多いことで悪名高い地元の工業高校出身の公司が、いかにもそれらしい態度に出てきたことで、自分に臆するところがなかったかと自問すると、なかったと言い切れないものがあった。
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