小家族

坂本梧朗

第1話


 知道夫婦は大晦日の夕方から元日にかけて、知道の実家で過ごすことが慣例となっていた。

 知道と昌代が実家に到着するのは大晦日の午後四時頃だ。夫婦としてはもっと遅く着きたいところだった。なぜなら正月を迎える準備を済ませておきたいからだ。知道が年末の休みに入ってから大晦日まで三日しかない。その間に準備を済ませなくてはならないのだ。知道がしなければならないことをあげれば、浴室の大掃除、居間のガラス拭き、昌代の店の正面のガラス壁の水洗い、自家用車の洗車、などとあった。これに餅搗きが加わる。昌代の方はもちろん、家や店全体の大掃除、洗濯、正月料理と、仕事が山積している。年が明けてから掃除などはしたくないので、大晦日のうちに全て終わらせたいのだ。とすると一時間でも時間が欲しくなる。どうせ年越しの晩餐は午後七時くらいから始まるのだから、その前に着けばいいのだと知道は思うのだが、それでは知道の母親であるタケヨの機嫌が悪い。タケヨの考えでは、知道は家を出ているとは言え、やはり長男として注連縄や鏡餅を飾って実家が正月を迎える準備をしなければならず、昌代は嫁として自分の実家よりも嫁いだ家の正月を迎える準備を優先すべきなのだった。だからタケヨとしてはせめて午前中には到着しててきぱきと正月の準備をしてもらいたい気持なのだが、それを午後四時まで下げたところに知道夫婦の抵抗があった。

 着いてみると知道がすることはあまりない。注連縄も鏡餅も既に飾られている。タケヨと同居している知道の姉珠江の夫の公司がするのだ。実家の裏手に「百段がんぎ」と呼ばれる神社に詣でるための石段があり、その脇に馬頭観音の像が立っている。知道がすることはタケヨの指示でそこにお供えの餅を持っていくことくらいだ。正月の料理は珠江が作る。昌代はその手伝いをする。知道は死んだ父親の位牌がある仏壇に線香をあげ、手を合わせた後は、ソファーに座ってテレビを見るか、新聞を読んで時間をつぶす。

 晩餐の卓に就くのはタケヨ、珠江と夫の公司、そして知道と昌代だ。

 珠江と公司は家業の製材業を継いでいた。知道は長男だったが父親の後は継がなかった。知道が学生時代に姉の珠江は公司と結婚した。珠江は当時ボーリングに凝っていて、一時はプロの選手を目指したこともあった。公司は珠江が通っていたボーリング場のマネージャー兼インストラクターとしてボーリング場に住み込んで働いていた。しかし、その地位は不安定で、収入は少なかった。結婚後、知道の父博道は経済的に不安定な公司を同居させ、仕事を手伝わせることにした。遠隔の地で学生生活を送っていた知道が作家になるなどと言って家業を継ぐ意思をみせなかったことも博道の判断に影響していた。

 大学を卒業した知道は大学院進学を希望して、院入試のための勉強を始め、帰郷しなかった。ところが、夏の終わり、彼は受験勉強を打ち切って帰ってきた。院生たちを間近に見て、その下らなさに失望したというのが理由だった。大学入試で一浪した知道は受験勉強には飽き飽きしたとも言った。帰ってきた知道は公司とともに家業を手伝うことになった。    

 実は知道は学生時代、社会主義の思想に触れ、その関係の組織にも加入して、政治的な学生運動を行なっていた。そして帰郷後も、父博道の説得にもかかわらず、組織から抜けようともせず、活動もやめなかった。博道はそんな息子の就職を自分の伝をつかって探す気にはなれなかった。迷惑をかけそうに思うからだ。知道も一般企業への就職は諦めているようで、求職活動は全くしなかった。こうして彼は自動的に製材所を手伝うことになったのだ。

 作家志望の知道は、勤務時間を午後からにすることを博道に認めさせ、午前中は読書や執筆をした。それが半年ほど続いた。やがて彼は午前中に地元の大学に聴講生として通い、教員免許を取得した。こんな中途半端な勤務態度だから、製材所の仕事では知道は常に公司の脇役だった。糖尿病を患っていた博道は次第に第一線から退く形勢にあった。その分公司に任される仕事が増えていった。公司は博道に代わって業者の会合に出たり、発注先と交渉したりするようになった。      

 帰郷して五年が過ぎ、知道が結婚することになった。彼の三回目の見合いの結果だった。相手が昌代だった。昌代はスラリとした大柄な娘で、顔形とも知道には美しく見えた。昌代の方は知道を見て、昔会ったことがあるような親近感を覚えた。両者ともに引かれるところがあって、結納まで事は運んだ。結納の前日、博道は知道に、社会主義を奉じる組織と手を切らぬ限り、結納は取りやめると告げた。相手に対して責任が持てないというのだった。知道は動揺した。実は彼は帰郷してからずっと動揺していたのだ。学生時代と違い、周囲に仲間はいなかった。しかも彼の生計の道は家業の製材所の他はなかった。選挙ともなれば保守的な政治家を支援する者が圧倒的に多い業界にあって、社会主義的な思想は禁物だった。それが表沙汰になれば爪弾きにされるのは確実だった。博道が知道の思想を忌避する理由もそこにあった。この仕事で生きていく限り、知道は自分の思想や信念を捨てるか隠すかしなければならなかったのだ。しかし、博道の言葉を聞いて知道が強く感じたのは、またもや加えられる自分の思想への圧迫ということではなく、この機会を失えば自分はもう結婚できなくなるという妙に切迫した恐れだった。二回の見合いの不首尾が知道の心底にそんな危惧を醸成していたのだろう。彼はそれまでの抵抗に似合わず、あっさり組織を脱けると博道に答えていた。それは八年間の組織生活のあっけない幕切れだった。この出来事は知道にとって思い返す度に、自分の不甲斐なさ、追い詰められたところでの弱さを突きつけてくるものとなった。お前はぎりぎりのところでは信のおけない奴なんだよ、とその記憶は苦く知道に語りかけてくるのだった。

 午後七時を過ぎ、食卓に料理も並び、五人が席に着いた。先ずタケヨが挨拶する。

「今年もお陰で無事に終わりました。仕事の方も公司さんの努力で不景気にもかかわらず、そこそこ順調にいっています。光広君も来年は高校三年生で受験を迎えます。家族皆が事故もなく元気で過ごせたことに感謝します」

 タケヨが口を閉じると、公司が、

「それじゃ、乾杯しようか」

 と言って、一同はグラスを上げた。

 会話は珠江と昌代あたりから始まり、この二人を中心にして展開する。料理や食べ物の話、そこから体調や健康に関する話、ダイエットの話と話題はつながる。その話に公司や知道の名前が出て、それを機に彼らも話に加わる。最近の事件の話、応援しているプロ野球チームの話、テレビ番組、タレントの話、まもなく始まる紅白歌合戦の話も出る。アルコールは次第に回ってくる。知道と公司は直接にはあまり話さない。ビールを時折注ぎ合い、その前後に二言三言交わす程度だ。二人が向き合って座るのは一年の間にこの時しかなかった。知道は年に数回実家を訪れるが、その折り、二人は顔を合わせることがあっても、挨拶すら交わさないことが多かった。二人の間には敵対意識が消えずに残っていた。



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