第10話 これってクラスチェンジ⁈ 

「ひぇぇ~! ちょ、ちょっと待って! お兄さんっ!」

 人もまばらな駅のホームに地縛霊の絶叫がこだまする。

 地縛霊、秋山 穂香ほのかが今、ないはずの生命の危機にさらされていることが、彼女の必死な形相からありありと伝わってくる。


 駅のホームでは伊地知いじちひさしが千鳥足でゆっくりと線路へ向け歩を進めていた。

 ひさしの胸元と右腕が同化して抜け出せなくなってしまった穂香ほのかは、なんとか右腕を引き抜こうと懸命にもがいている。


 ひさしは今まさに、その人生を一人で投げ出そうとしていた。――まったく無関係の同伴者がいることなどつゆ知らずに。


 絵に描いたような巻き添えを食らってしまった穂香ほのかは、イヤイヤをしながら懸命に残った左腕でひさしの身体をポコスカ殴るも反応はない。

 同じく地縛霊で穂香ほのかの友人である夕子も、初めてできた友人を助けたい一心で懸命に彼女の身体を引っ張るものの、そもそも自重のない地縛霊である。二人の地縛霊はそのままズルズルとひさしに引きずられてしまう。

 

 電車の到着を知らせるアナウンスが流れた。――二人の地縛霊が青い顔を見合わせる。


「ヤバっ! ったく! なんで抜けねえんだよ!」


穂香ほのかっ! 頑張って! なにか手があるはずよ」


「分かってるって! くそっ! 抜けないよ夕子、どうしよう⁈」


「どうするって、私にも分からないよ!」


「とにかく、なんか考えて!」

 穂香ほのかは、頭脳あたまを使うことは夕子に丸投げして、自身は腕を引き抜くことに専念した。


穂香ほのかっ! ねえ穂香ほのか、聞いて!」

 妙案が思いついたのか夕子が、穂香ほのかの身体を揺さぶる。


「な、なんか思いついたの⁈」

 地獄に垂れ降りた一筋の糸を見つけた罪人の気持ちが今なら痛いほどよく解る。一縷の望みを託して夕子の方を向く。


穂香ほのかっ! あっ、あのね」


「なに⁈ 早くっ!」


「わ、私たち――私たち、ずっと友達だよ!」

 夕子は、穂香ほのかをぎゅっと抱きしめると背中に顔を埋めて、わぁっと泣き出した。


「・・・・・・お、お願いだから・・・・・・あたしよりも先に諦めないで」

 夕子が諦めモードにあることを悟り、目の前が真っ暗になった。なんとか意識を保とうと頭を振ったが、いっそのこと気絶しておけばよかったとすぐに後悔する。


 電光掲示板に『電車がまいります』の表示が点滅し始めた。――穂香ほのかにとって思い出したくない過去の記憶が鮮明によみがえる。

 身体がすくむ。指ひとつ動かせる気がしない。目を大きく見開いたまま、彼女の思考は停止してしまった。


穂香ほのかっ! ねえ、しっかりして!」

 すでに現実を直視できない夕子が目を硬く閉じたまま、ゆさゆさと穂香ほのかの身体を揺さぶり声をかける。

 穂香ほのかに反応はない。完全にフリーズしてしまっている。


(あーあ。間に合わなかった。あたしの人生もあと10秒くらいかな。――あれっ? 地縛霊って死んだらどうなるんだろ? まあいいや、どうせすぐ分かることだし。夕子、危ないからあたしから離れた方がいいよ。あっ、電車来た・・・・・・。)

 現実逃避してしまった穂香ほのかの意識は、これから起こるであろう悲劇をまるでテレビでも見ているかのようにぼうっと眺めている。


 と、その時――

 

「怖い思いをさせてごめんなさいねぇお嬢さん。――安心して助かるわよ。その代わり、少し手伝っていただけないかしら?」

 突然、どこからか女性の声が聞こえた。落ち着きのある声のトーンと孫に話しかけるような穏やかな語り口からご年配の方のようだ。


 穂香ほのかはハッと我に返り、その声の出所を探して辺りを見渡す。なんとなく、近い位置から聞こえた気がした。――そして、それはすぐに見つかった。


「ん? んーっ⁈」

 今まさに生命の危機に瀕したこの土壇場の状況にありながらも、信じられないものを目にしてしまい思わず二度見する。


 声の出所はひさしからだった。――正確にはひさしの右肩のあたりだ。

 肩の上にフィギュア人形のような物があると思ったら、それは人形ではなく、フィギュア人形サイズの小さなおばあちゃんだった。

 ひさしにはおばあちゃんの声は聞こえてないようだ。おそらく姿も視えていないのだろう。肩の上にいるおばあちゃんをまったく意に介する様子はない。

 おばあちゃんはひさしの肩の上でちんまりと腰掛け、愛嬌ある笑みを穂香ほのかに向けながら、おいでおいでと手招きをしている。


「スプーンおばさんだ・・・・・・」

 思わず呟いていた。その小さな姿と愛嬌あふれる雰囲気から、穂香ほのかが子供の頃大好きだったアニメ番組のキャラが自然と連想された。


「ほら、早くこっちにおいで。電車が来ちゃうわ」

 おばあちゃんからの手招きにおそるおそる指先を伸ばした瞬間、穂香ほのかの身体はおばあちゃんのいる方へ吸い込まれていった。――気が付くと今まで見えていた世界が一転していた。眼前に見上げんばかりに巨大なひさしの横顔がある。


 そして、スプーンおばさんを連想させたおばあちゃんが、穂香ほのかと同じ目の高さで歓迎の笑みをこちらに向けている。――どうやら穂香ほのかはフィギュア人形サイズに変身してしまったようだ。


「可愛らしい地縛霊のお嬢さん。守護霊の世界へようこそ」

 おばあさんは愛くるしい笑顔で、穂香ほのかの守護霊の世界への入門を歓迎してくれた。


「申し訳ないけど、ちょっとだけこの子を助けるのを手伝っていただけないかしら」

 そう言っておばあちゃんは、ひさしの横顔を見上げた。

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