第7話 不文律の掟 その2 ~あの時の記憶~

 朝の通勤時間帯でごった返す駅のホームで、あたしは人込みに押されながらピッチ(訳:PHS簡易型携帯電話)をいじっていた。

 ちゃっかりと車内で確実に座れるよう乗車位置のすぐ脇をキープしている。


 電車の到着と注意を促すアナウンスが聞こえたような気がした。


 メールの着信音が鳴った。『穂香ほのかタイタニック観た? レオ様マジヤバいよ!』――なんだ涼子りょうこか。

 毎日のようにレオ様(訳:レオナルド・ディカプリオ)の良さを伝えてくる涼子。でも、彼女のメールからは何がヤバいのかまったく伝わってこない。


 何よりイミフ(訳:意味不明)なのは涼子あんた、あたしの隣にいるじゃん! あたしと肩触れてるよ。なんでメールなの? あたしと口を利くのはイヤわけ? そ-だよ、思い出した。涼子あんた、あたしの話は長くてウザいって誰かに言ってたよね。

 超MM(訳:マジむかつく)。ガツンと言ってやろうと彼女の方を向くと、彼女は背中を丸めながら食い入るようにメールを打ち込んでいた。他のヤツにもレオ様のヤバさの共感を求めている最中なのだろう。


 丸めた背中。――安い脱色剤のせいで光沢を失ったボサボサの白髪に、不自然なまでに日焼けした真っ黒な顔。――日本昔話にこんな妖怪がいたような・・・・・・。小さい時にママから読んでもらった絵本が思い出される。

 背中を丸めてメールを打つ涼子の姿が、包丁を研ぐ老婆の姿とオーバーラップした。


 あーっ、もう! またメールが来た、今度は3件も! またしても、涼子だったらマジ殴るし。

 ホント、朝は色んなヤツからメールが届く。どれもどーでもいい内容。マブダチ(訳:親友)から誰かよく覚えていないヤツまで、マジウザい。――そんでもって、返信が遅いといつの間にか仲間の輪からハブられる。


 あたしと涼子は人込みの圧力に背中を押され、よろけながらもメールを打ち込み続けた。と、その時――


「ドンっ!」


 突然、人込みの中の何者かが、あたしの背中を突き飛ばした。


「えっ⁈ 何っ?」


 身体がふわりと宙を舞う。状況が理解できない。考えたくない。あっ、線路が真下だ。


 あたしはホームから転落しながらも後ろを振り返った。相変わらず涼子はメールを打っている。

 そして、涼子の隣から趣味の悪い髑髏どくろの指輪をはめた両手が突き出されているのが見えた。その両手の奥には、泣きそうな眼で口元を醜くに歪ませた卑屈な面持ちをした男の顔があった。


(コイツ哀しいの? 嬉しいの・・・・・・?)あたしは、自分を突き落とした男のなんとも複雑な表情の意味を考えた。――そこから先の記憶はない。


 そして、気が付いたらホームに一人立っていた。――誰にもえない存在として。


◇   ◇   ◇


「――そうだったの。てっきり学業不振が原因で、人生を投げ出したものと思ってたわ」

 夕子は、悪戯っぽく口角を上げた。

 彼女があえて軽口を叩くのは、穂香ほのかが過去を思い返して落ち込まないようにとの彼女なりの優しさである。


「うっせーし、学業不振が原因なら、中二の時に一次関数が出てきてから始まってるつぅーの」

 コイツ・・・・・・。ホント性格マジ、サイアク。


「まぁ色んなケースもあるわよ。――私の場合はね、妻子のある男性を好きになってしまった。私たちは心も身体も本当に解り合ってたの。仕事帰りに、腕を組んで指を絡ませ二人で身体を重ね合わせ濃密な時を過ごす。――それこそ、全身を蜂蜜のようにとろけさせながらね」

 

「・・・・・・ゆ、指を絡ませるって・・・・・・。蜂蜜のようにとろけるって・・・・・・」

 経験者による官能小説のような生々しい言い回しに想像力を掻き立てられた。そして、経験者と未経験者との間にある決して超えられない壁を感じ取り狼狽える。


「けど、幸福と孤独は表裏一体。私は休日を一人で過ごす寂しさに耐え切れなくなって、彼の自宅に電話をかけた。――そして、彼に『ウサギは寂しいと死んじゃう』って伝えたの。そしたら、そのまま音信不通になってしまい、私はいつの間にか会社を追い出されていた。――それで、自暴自棄になって今に至るわけ」

 整えられたストレートヘアーを軽くかきあげながら、とても人には言えないような重たい話をさらっと打ち明けた。


(いや、『ウサギは寂しいと死んじゃう』はマジヤバいよ! それ聞いたら、誰でも引いちゃうよ!)その場面を想像しただけで、胃に痛みを感じた穂香ほのかはお腹に手を添えた。


「いけない。少し話が脱線しちゃったみたいね。――線路なだけに」

 夕子は、不倫というこれ以上ないヘビー級な話に続けて、凍り付くような親父ギャグを被せてきた。


「・・・・・・。どーする? 今の聞かなかったことにする?」

 コイツは、人の心胆しんたんさむからしめる才能を持っている。――色んな意味で。穂香ほのかは呆れるを通り越して感服してしまった。


「ごめんなさい。――謝っても許してもらえないと思うけど、謝っておく。では、二つ目の死の直前に感じた強い念は、具現化できることを説明するわ」

 コホンと咳払いをした。


「私たちが最期に強く念じたこと。自ら線路に足を進めた者の最期の念は、自らの肉体を前に押し出すことだった。――反対にホームから転落した者の最期の念は、誰かに引っ張ってほしかったはず。そして、この両者の最期の念は具現化できる」


「フムフムなるほどー。それからー」

 相槌を打ったが、さっぱり解らない。


「つまり、自ら死を選んだ者はことができる。反対に転落して亡くなった者は、ことができるってこと」


「おおっー! やっと解ったー!」

 思わずポンと手を叩いた。そっか、ランドセルの男の子を助けようとして、触れることができたのはそういうことだったのか。なるほどと、ひとり得心する。


「最後の三つ目、これが一番大切ね。――どうやったら、私たちが成仏できるのか」

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