第6話 不文律の掟 その1

「もしかしたら、私たちは地縛霊ここから解放されるかもしれない。つまり、成仏できるかもしれないってこと。――その方法とは・・・・・・」

 一流のプレゼンテンターのような仕草で、夕子がピッと人差し指を立てた。


 穂香ほのかは、ドヤ顔の立ち姿に腹立たしさを覚えながらも、あぐらをかいて彼女を見上げて言葉の続きをじっと待った。


 先日のコックリさんで、夕子は恋愛相談以外にいくつかの質問をコックリさんに投げていた。

 そこで得られた答えを分析し、地縛霊が方法や方法について彼女なりの見解を導き出したようだ。


 それを難しい言葉や和製英語を織り交ぜプレゼンっぽく説明するのは、その情報を勿体ぶっているのか、それとも自分の知性をひけらかしたいのか。あるいはその両方か。


(コイツ、スイッチが入ったな)穂香ほのかは自分のプレゼンに酔いしれている夕子を一瞥し、軽く溜息ためいきをついた。

 どうしてコイツは、そんなに熱量を帯びて喋れるのだろう。――オーディエンスはあたし一人だけなのに。

 どうしてコイツは、あえて解り難い言い方を選ぶのだろう。――コックリさんなんて答えのほとんどが『はい』と『いいえ』で解決できるのに。

 どうしてコイツは、・・・・・・どうして・・・・・・どうし・・・・・・


 口から漏れた溜息ためいきは、しだいに欠伸あくびに変わり、ついにいびきへとたどり着いた。 

 そう。――穂香ほのかは睡魔からの誘惑に、抵抗のそぶりも見せず逡巡の迷いなく従ったのだ。


 世の中にはプレゼンが全く意味をなさない人間がいる。――あぐらをかいたまま俯く女子高生を目の当たりにして夕子はそう痛感した。こめかみがピクピクと痙攣しているのが自分でも解る。


 得意にしていたプレゼンを完全にオミットされ、あろうことか堂々と舟をこいでいるその姿に、彼女の心裡こころうちはさながら真冬の乱気流のように乱れた。

 ふと、『馬の耳に念仏』という諺が頭をよぎり、彼女はギリっと奥歯を噛みしめた。――口の奥に鉄の味がじわりと広がる。


 目の前の彼女を責めてはいけない。――そうとも。彼女の脳みそがサル並と分かっていながら、理解を求めたのは自分の責任ではないかと自戒する。 

 プレゼンという手法は、小学生並みの集中力しかない彼女には適切な手法ではなかったと猛省した。そして、直ちに別の手法の検討を開始する。


 夕子はそのようにして、トライアルアンドエラーを繰り返し、幾多の困難を乗り越えてきた優秀なOLである。

 彼女は速やかに、プレゼン形式からトーク方式に手法を切り換えた。


 まずは、垂れた頭を覗き込む。スヤスヤと幸せそうな寝顔が目に映った。


 次にやることはもう決まっている。――夕子は、その寝顔のほっぺたを両手で思いっきり引っ張った。


◇  ◇  ◇


穂香ほのか。実はね、この駅には人外の世界のルールがあるみたいなの。つまり、地縛霊のルール。――不文律の掟ってやつね。大事なことだから、あなたにも解ってほしいの・・・・・・。お願い」


「ふぁい(はい)」

 夕子の優し気な語り口が、穂香ほのかの背筋に冷たいものを走らせた。バクバクと心臓がアラート音を鳴らしている。


「まず一つ目、私たちがコックリさんで五円玉に触れられたのは、コックリさんは硬貨を動かして行うものと思い込んでいるから。――つまり、先入観なのよ。私たちが今ここで地面にしゃがんでいられるのも同じ理由わけ。解かるかなぁ~。穂香ほのかちゃん?」

 夕子は、幼児に優しく話しかけるようなエンジェルスマイルで、穂香ほのかの理解度を確かめるように小首をかしげた。


「ふぉっか~、ふぁかった。ゴメン、もうゆるひて(そっかー、分かった。ゴメン、もう許して)」


 人の頬を引っ張ったまま、平然と会話できる人間っているんだ。――エンジェルスマイルの内側に隠された、底の見えない執拗でサディスティックな彼女の人間性に、穂香ほのかは恐れおののき無条件降伏を申し出る。

 

 ようやく痛みから解放された。涙目で頬をさすりながら、さりげなく夕子の両手が届かない位置に身体をずらす。


「そして、二つ目。死の直前に感じた強い念は具現化できる」


「んっ? 死の直前に感じた強い念ってどーいうこと? 具現化って?」

 言っている意味が分からない。あと、具現化という言葉の意味が分からない。


「この駅は人身事故のメッカよ。私たちのように、自ら死を選んだ人もいれば、ホームから転落して死んじゃった人もいると思う。この両者が最期に念じたことは決定的に違うのよ」


「ちょっと待て! あたしは、自ら死を選んでねーよ」

 すかさず、夕子の言葉を否定して強く言い放った。――なぜか心がざわつく。乱れた呼吸を整えるかのように胸元に手を添えた。


 思い出したくもないあの時の記憶が自然とよみがえってきた。


 そう。――あの時のことを。

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