第2話 欲求は我慢しては逝けない

「エイッ!」


「ヤァー!」


「チェストぉー!!」薩摩示現流さつまじげんりゅうの達人のような裂帛の気合とともに、ハイキックを放つ。


 ——けど、ダメだ・・・・・・。穂香ほのかが期待していた結果とかすりもしない。


(うーん。まぐれだったのかなぁ・・・・・・)首をかしげて腕を組む。やがて、その場にしゃがみこみ、あぐらをかいて半日前の出来事を思い返した。


◇  ◇  ◇


 期せずして、地縛霊でありながら人にれるという奇跡を体感した穂香ほのかはその高揚感を抑えられず、早速ホームにいる人々で検証実験の敢行することにした。


(どうせ触るならイケメンがいい・・・・・・)咄嗟に頭に浮かんだのがそれだった。


 そう言えばママも、『目標ができたのなら、勇気を持ってチャレンジしなさい!——やりたいことを我慢するのは身体に毒よ』って応援してくれたよね。

 ——ママ。穂香ほのか頑張るよ。


 ククっ。緩んだ口元から漏れた笑いを押さえた。暗黒面の理念(フォース)がこみ上げてくる。

 ——ああ。もうダメだ・・・・・・。はやる下心を抑えることができない。


 にやけ顔でホームに立つ地縛霊の姿は、なかなかの迫力がある。


 こうして、穂香ほのか穂香ほのかによる穂香ほのかのための、一方的な選別が始められた。



(あれっ。——どうしよう・・・・・・。決まらない。)朝のラッシュほどではないにせよ、ホームには人が大勢いる。

 その中にはもちろん穂香ほのか好みの男もたくさんいるが、ファーストコンタクトとなる相手に妥協したくないという思いが強く、なかなかターゲットを絞り切ることができない。


 欲望むき出しの地縛霊は、ひたすらホームをさまよい続ける。


 彼女の欲求は次第に煩悩へと変化し、ついに懊悩おうのうへと昇華(あるいは頽廃たいはい)を極めた。


 煩悶はんもんを重ねた末に、ようやく、細身のスーツが良く似合うツーブロックの青年に狙いを定めることができたようだ。——自分の身の程もわきまえずに。

 

 シャープで整った横顔を、息がかかるほどの距離からマジマジと眺め(男の人の肌ってこんな透明感あるんだ・・・・・・)と嘆息しつつ堪能した。

 自然と指先がその透き通った青年の頬をめがけて伸ばされる。


『ゴクリ。』緊張して口の中はカラカラのはずなのに、思いっきり大きな音を立て唾を飲み込んでしまった。——ちょっと恥ずかしいかも。


 ——地縛霊である自分が人に触れることが可能かどうかを検証するのが穂香ほのかの目的であり、決してその目的から逸脱しているわけではないのだが、はたから見ると痴漢の現行犯としか見受けられない。


(驚かしちゃったらゴメンね。)ヘテペロ感覚で謝りつつも、れ者(穂香ほのか)は小刻みに震える指先を青年の頬に軽く押し当てた。


「・・・・・・んっ? ・・・・・・あれっ⁈」


 ムニッとした弾力を期待して触れた指先は、見事に期待を裏切られた。穂香ほのかの指先は何の質感も抵抗も得ないまま青年の頬をすり抜けてしまっている。


「あれっ? なんで⁈」何かの間違いと信じたくて、今度は手のひら全体で触れようと試みたが結果は同じであった。


(なんで? ——あたしにはイケメンに触る資格がないってこと?)あまりのショックゆえに、論理的な考察ができなくなってしまっているようだ。——否、もともと彼女は論理的な思考ができるタイプではない。


 その後も穂香ほのかは、青年に対して執拗なまでに接触を試み続ける。


 自分で勝手に期待値を臨界点まで上げたことを棚に置いて、悔し涙を浮かべながら、強い刺激ならと反応があるかも。と期待を込めて体当たりやパンチを繰り返す。


 そんな彼女の努力虚しく青年は相も変わらず、すまし顔である。


 穂香ほのかが孤軍奮闘ということわざを忠実に体現している最中、電車がホームに到着した。


 電車に吸い込まれてゆく青年を引き留めるために伸ばした手が虚しく空をさまよった時、穂香ほのかは失意に目を丸くしたまま、そのまま床にペタン座り(女の子座り)してしまった。



 ホームには一人の地縛霊が座り込んでいる。——彼女はずっと床にペタン座りしたまま俯いて何やらブツブツつぶやいている。


 もしも、地縛霊にコンテストがあるとすれば、このシチュエーションはキングオブ地縛霊として賞を総ナメすることだろう。


 だが、地縛霊にも個性がある。


 床からぬっと立ち上がった地縛霊は、しばらくホームに立ちつくす。そして、生気のない眼で周囲を見渡した。


 彷徨うような視線は、アニメキャラがデザインされたTシャツにリュックを背負った小太りで無精ひげの中年を、視止みとめる。


(よっしゃ! このキモオタなら遠慮なく殴れるぜっ! ——もとい。触れられるか試せるぜ)生気のない眼に炎が宿った。


 冒頭から始まる奇声には、かような経緯があった。

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