6 エポリカ火山 死なずの鳥

6-1 エポリカ火山へのアタック

 エポリカ火山のふもとに、桟橋があった。船をそこに横付けにする。サザンカ先輩は陸に上がってようやく体調が戻ってきたようだ。エポリカ火山は、巨大な土の壁のようにそびえている。風が吹くと山全体から、硫黄の匂いが漂ってくる。


「これの出番かの」と、サザンカ先輩がニルアトでもらってきたアテルナの仮面を取り出した。みんなでかぶる。めちゃめちゃ視野が狭いうえに変な匂いがする。剣術試合で使われる、革製のかぶとみたいな匂いだ。その匂いに、ウルムフの枝のさわやかな匂いが混じって、端的に言って臭い。イメージとしては、靴箱に芳香ハーブを吊るした感じ。


「最悪な匂いね」と、シルベーヌ先輩がため息をつく。


「まあ瘴気吸って死ぬよりはよかろ。いくぞい」


 そういうわけで、エポリカ火山へのアタックが開始された。

 そもそもエポリカ火山は人が登る山ではないので道というものが存在しないだろうと、俺たちは踏んでいた。エポリカ火山には人がいない、とも仮定していた。ニルアトの村人たちはケットシーや無言族が襲ってくる、と言っていたが、大昔の話だろうと思ったのだ。


 しかしその認識は、登ってみてすぐ覆された。いたるところに、無言族やケットシーの足跡が残っている。彼らの登る道は獣道程度であるが存在していて、ところどころに草結びのサインがある。


 草結びのサインそのものの意味はわからないが、人為的に草を結んでいることはわかるので、これには無言族なりケットシーなりの意味があって、なにかを表現しているのだろう、ということは確かだ。とりあえず草結びを目印に登っていくことにした。


 山に登り始めると、硫黄の匂いがひどく強くなった。最初はゆで卵ぐらいだったのが、次第に単純な硫黄の匂いとして鼻を突く。アテルナの仮面、あんまり役に立っていないな?


 山を登る俺たちは完全に無言だった。仮面で仲間の表情が分からないのもある。このままでは、だれかが意識を失ってがけ下に落ちても分からないので、俺は一つ提案をした。


「しりとりしましょう」


「しりとりだぁ~? 状況分かっとるのか、ゼレミヤ」


「状況がわかるもなにも、このまんまじゃ誰かが滑落したり倒れたりしたときわかんねーっすよ。生存確認のための安全策です」


「うむ……理屈はわかるが。よし、じゃあ、バウムクーヘン!」

 いきなりサザンカ先輩が負けた。


「バウムクーヘンって、切り株ケーキってやつですか」


「うむ。神都に有名な店があっての。うまいぞ~」


「……疲れた」唐突にシルベーヌ先輩がそうぼやいた。


「疲れたって、まだ一合目にもたどり着いておらんぞ?」


「だって疲れたんだからしょうがないじゃない。脚がくたくた。死なずの鳥なんて不毛なもの探すのについてくのやめとけばよかった」


「シルベーヌ、あんたがいなかったらウチ、ベリルの嫁になってたよ」


「それはそれで行き遅れ人生を取り戻せたんじゃない?」


「ッハッ。中央学府に入った瞬間、結婚諦めたし」


 軽口をたたきながら山に登っていく。しりとりを提案してよかった。

 でこぼこした急斜面を黙々と登るうちに、なにやら三叉路に出た。


「なんだこれ」俺はその三叉路をじっと見る。一つは分かりやすく上に伸びており、もう一つは平らにまっすぐ伸びている。もう一つは下っている。


「これどれスかね」


「登り一択じゃね」クオーツ先輩が当たり前と思えることを言う。しかしなんだか、上に伸びる道はハズレのような気がする。俺はふと、ナイアトで聞いたことを思い出した。


「草の生えてる道を選べば、安全……」

 その噂話に従うと、下りの道が正解ということになるだろう。


「下りの道が正解です」


「は? ウチら山登りしてるって分かってる?」


「――いや。ゼレミヤの言うこともあながち間違いではないかもしれん。下りの道には、無言族やケットシーの草結びがあるが、登りとまっすぐにはそれがない」


「……遠回りしろってことか。わかった」


「サザンカ先輩には素直なんスね」


 というわけで、下りの道を選んだ。その数秒後、ぐらりと地面が大きく揺れた。地震だ。活火山だから当たり前か。上を見上げると、さっきの二つの道は、落石でふさがっていた。


 もし上の道を選んでいたら、俺たちは落石に巻き込まれていたかもしれないのか。ぞっとした。


 道を進むと、ぼこぼこと洞穴のあるところに出た。これも火山活動の結果できたものだろうか。洞穴からは無言族やケットシーが、俺たちのことを見ている。


「……無視して進むのも気が引けるわね」と、シルベーヌ先輩。


「かと言ってプレゼントできるものでここの文化を破壊しないものなんかないスよ」


「いや、あるわ」


 そう言ってシルベーヌ先輩は自分の荷物を開いた。中から出てきたのは、いわゆる青年雑誌。袋とじの過激なヌードの念写が載っているやつだ。


 それの袋とじをひらいてぱさり、と置くと、ケットシーと無言族が群がってきた。みな興奮気味に袋とじのヌードを見ている。いやシルベーヌ先輩、なんでそんなの持ってるんすか。


 それから無言族とケットシーの村を少し調べて、どうやら世界最南端の寒さを、地熱でしのいでいるらしい、ということが分かった。地面に触れると温かいのだ。


 見ればぐらぐら湧いている温泉水で卵を茹でている。よくよく調べると珍しい色合いのニワトリが、つんつくつんつくと地面をつついている。ここでもニワトリなんか飼えるのか。


 茹でられている卵を見ていると、ケットシーがひとり近寄ってきた。ケットシーは、俺たちに頭をぺこりとさげてのち、ゆで卵を取り出して素朴な焼き物の皿にそれを割った。


 ゆで卵は、普通のゆで卵のようにかちかちに固まっておらず、白身だけとろとろで、黄身もほどよく固まっている――というあんばい。いわゆる温泉卵である。それに、海藻から取った塩をぱらぱらとかけ、これまた素朴な木のスプーンで食べる。


 うむ、おいしい。卵の味がとても濃い。


 ケットシーに頭を下げる。ケットシーはにま、と牙を見せて微笑んだ。ケットシーも、笑うという感情表現ができるのか。なんだか不思議だ。


 シルベーヌ先輩が山頂を指さす。ケットシーは首を横に振る。どうやら山頂にはいけないらしい。シルベーヌ先輩は、こんどは腕をばたばたさせて、「死なずの鳥」を伝えようとしている。しかしケットシーはニワトリを一羽連れてきた。そうじゃなくて、と説明を試みる。


 山頂の火口を指さしたうえで、腕をばたばたさせると、ケットシーは「にゃあ」と一声鳴いて、また首を横に振った。どうやら死なずの鳥を見に行くのは、途方もなく難しいことらしい。おそらくこのケットシーは「それは無謀だ」と言っているのだろう。


 とりあえずその日はその無言族とケットシーの村落で一泊することにした。海がすぐ近くにある。海辺に、温泉水と海水がまじりあっていい感じの温度になっている風呂があり、先輩たちはそれで旅の疲れを洗い落していた。先輩たちが全員上がってから俺も浸かる。気持ちがいい。


 ナイアトからこっち、ずっと寒い思いばかりしてきたので、こうして温まると凝り固まっていた体がほぐれた感じがする。


 風呂から上がったあとは、荷物に持ってきていたテントを広げてそこで寝た。無言族とケットシーは興味津々でテントを見ていたが、結局洞穴がいちばん快適なのだろう。すぐ飽きて戻っていった。


 エポリカ火山への挑戦二日目、俺たちはキジトラ模様のケットシーに、道案内を頼むことにした。道案内と言っても言葉が通じるわけではないので、ただ山を登るっぽいからついていくだけだ。ケットシーは猫の体で器用にぴょんぴょんと岩場を登っていく。俺たちもそのあとを追いかける。あっという間に距離が開いてしまったが、安全なルートは分かった。


 山の中腹にはぼこぼこと瘴気や硫黄の湧いている穴があり、ときおり火を噴き上げたりもしている。なんだかとても恐ろしげなところだ。それでも、安全なルート上には、草が少し生えている。


 ふいに、キジトラ模様のケットシーが道の途中にある小さな洞穴に急いで飛び込んだ。


 なんだなんだ。俺たちも洞穴に飛び込む。また地面がぐらっと揺れて、今度はすごい量の灰が降ってきた。いわゆる火山活動というやつである。


 エポリカ火山は多量の溶岩が噴き出るタイプの火山ではないらしいということが分かった。サザンカ先輩が灰を採取して、後で調べるつもりらしく蓋をしてカバンにねじこんでいる。


「サザンカ先輩って食べ物だけでなく地質とかも調べてるんスね」


「まあ一応は。地質は食べ物に直結するからのう」


 灰が降ってくるのはわりとすぐ止んだ。外に出ると地面が灰でふかふかになっている。これでは草結びの道が確認できない。しかし俺たちの心配をよそに、ケットシーは道をどんどん進む。

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