5-3 アテルナ猟

「トロッコとかはないんですか」


「ない。ニルアトに調査に入っても、どうせ獣人族に追いかけ回されてまともに調査なんかできないから。あいつらガチの野蛮人だぜ」


「ふーむ。儂と同じく獣人族でも、学問をせず無為に暮らすとそうなるんじゃな」


「あっこりゃ失礼。あんまり身だしなみがきれいだから、同じ種族だと思わなかった」


 たしかに、サザンカ先輩は食いしん坊なうえに老人みたいな口調で喋る人だが、白い髪は丁寧にすいてあり、耳や手など毛のふさふさしているところはきれいに整えてある。


「そんなに汚いの? ニルアトの獣人族」シルベーヌ先輩が顔をしかめる。


「髪の毛は伸び放題だし顔は真っ黒に日焼けしてるし、手とか耳とかもボサボサにしてる」


「ううむ、そういうやつらとサザンカ・ランゲージでやり取りせにゃならんのか」


「てゆかさ、ずっと気になってたんだけど、なんでここ南の果てなのにクソ寒いん? 南にいけばあったかくなるもんなんじゃね?」


 クオーツ先輩が素直に言うと、証しの灯し手は分からない顔をした。俺が仮説を述べる。


「世界の果てが近いから、じゃないですかね」


「世界の果てが近いから? は?」


「要するに、世界の果てから向こうは宇宙なわけっスよね。宇宙に行ったことがあるわけじゃないから分かんねっスけど、宇宙って寒いんじゃないスか」


「なるほどー! 理解理解! そーゆーことかー!」


 いやそんな雑なでっち上げを理解されても困るんだが。


「でもその仮説であれば、イェルクイの密林が死ぬほどあっちいのも説明がつくのう」


「そうね、エトク平原がほどよい気候の土地なのも説明がつくわ」


 え、お、俺の学説が採用されてしまったんだが。ビビッていると、

「ゼレミヤ。お前も中央学府の学生なら、自分の考えに自信と責任を持たねばならんよ」と、サザンカ先輩に説教された。


「い、いや……こういうの初めてで。そうか、自信と責任」


「そうよ、論文をまとめて発表すれば、世の中はそれを中央学府の人間が考えたことだと理解するでしょ。それを参考に世の中が動くわけでしょ。例えばエポリカ火山が世界の果てに逃げて、その逃げる線上に金鉱がある、って中央学府が言ったからここに証しの灯し手たちが来てる。わたしたちの考えは、世の中を変えうるのよ」シルベーヌ先輩がドヤ顔で言ってきた。


 なるほど……。


 聞き込みをほどほどに昼食をとる。シンプルな毛長象のステーキだ。昨日とは違う部位で、今度はしっかりと脂がのっていて、口に入れるとじゅわりと肉汁が広がる。


「して、いつ出る? おぬしらの考えを聞きたい」サザンカ先輩が俺たちを見る。


「ある程度装備を整えるべきね……次に商人が来たら石火矢を買うわ」と、シルベーヌ先輩。


「石火矢、ですか」最初は意図がよく分からなかったが、どうやら蛮族みたいな獣人族に対抗する手段、ということらしい。シルベーヌ先輩が持ったところで当たるとは思わないが、そもそも当てる気はなく、空に向けて撃ってビビらせるのに使うらしい。


 三日後、やってきた商人から武器や食糧を調達し、俺たちはナイアトの人々に挨拶してナイアトを出た。風が恐ろしく冷たい。ここからは徒歩で、ニルアトに向かう。徒歩で二日三日かかる距離だ。


 うかつに野宿なんかしたら凍死する。火をおこして、テントを張って寝袋に入ったうえで毛布に包まり、四人くっついて寝た。さすがに長いこと一緒に旅をした人たちなので変な気は起こらない。とにかく先に進もう。それだけで前進していく。


 どうにか三日かかってニルアトにたどり着いた。氷を切り出した家々――ようやく意味が分かった、氷をレンガの代わりにして家を立てているのだ――がいくつかあり、川のそばは氷で埋め尽くされている。


 たどり着いた俺たちには、ニルアトの先住民である獣人族の手荒い歓迎が待っていた。噂通り、槍をもって追いかけ回してきたのである。シルベーヌ先輩が、商人から買った石火矢を構えて、空に向けて一発ぱぁんと鳴らすも、どうやら証しの灯し手たちも同じ手を使ったらしくお構いなしで追いかけてくる。サザンカ先輩がちまっこい体を広げて止めにかかった。


「わるいことしない。あなたがたに害くわえない。村を調べたいだけ」


 まったく通じていない神都語でそう呼びかけるも、獣人族たちは唸りながら槍をもってぴょんぴょんしている。これはまずいのではないかと思っていると、ひときわ毛玉に近い老人が現れて、


「証しの灯し手、ちがうか」と聞いてきた。どうやらこの毛玉みたいな老人は神都語をわずかながら話せるらしい。


「ちがう。われわれ、ちゅうおうがくふ」


「ちゅうおうがくふ。……このとちに、なんのようか」


「れきし、くらし、たべもの、しらべたい」


「しらべてどうする」


「がくもんの、ざいりょうにする」


「……よろしい。こい」


 おお、通じた。サザンカ先輩は嬉しそうにひょこひょこと毛玉みたいな老人のあとをついていく。シルベーヌ先輩はサザンカ・ランゲージにげんなり顔。クオーツ先輩はニコニコしている。俺はどんな表情をしていいかよく分からないが、とにかく長老と思われる人物に身分を保証されたのだから、安心していいだろう、とついていく。


「あなた、長老か」


「そうだ。ニルアトの村、私がいちばん年寄り」


 氷でできた家に通された。なにかの毛皮が床に敷かれていて、小さいながら火がある。思いのほか暖かい。


「はら、へるか」


「はら、へった!」サザンカ先輩が嬉しそうにそう言うと、長老は床の氷をひとつどけて、その下からなにかの肉を取り出した。毛長象の肉とは肉の色合いが違う。


「アテルナの肉、ウルムフと食べる」


 アテルナ。初めて聞く名前だ。あぶると、脂の香りが香ばしい。溶けた脂が火に落ちてぱちぱちと爆ぜて目にも楽しい。その肉をナイアトでも食べたウルムフのジャムと共に食べる――これジャムじゃない。塩で煮詰めてある。


 甘じょっぱいウルムフのソースをアテルナに塗って食べるのはとてもおいしかった。


「アテルナ、どんな生き物か?」と、サザンカ先輩が訊ねると、長老は床に敷いてある毛皮を指さした。どうやらこのアテルナという生き物は、肉も皮も有効活用されているようだ。毛皮の手触りはスベスベで、どうやら海の生き物らしい。


 なるほど、ナイアトで聞いたとおりだ。


 火にかけられている鍋では、海藻が煮詰められていた。ここから塩を作るらしい。


「ムーキ」戸をくぐって誰か入ってきた。ひどく日焼けした子供。獣人族のトレードマークである、ふさふさの獣耳はだいぶ汚れている。子供は右側に首を倒して、手を上げた。ニルアトの挨拶らしい。


「アテルナ」と、その子供は言った。長老は手を上げて家を出ていく。俺たちもついていくと、海に猟に出ていた人たちが、大きな海獣を川から陸に上げるところだった。


 これがアテルナ。顔には大きく膨らんだでっぱりのような部位があり、そこを笛のように甲高く鳴らして抵抗しているが、村から加勢に出た人たちがアテルナを仕留めにかかっている。


 長老はなにやら朗々と歌ともまじないの言葉ともつかない歌を歌い、それに合わせてアテルナが仕留められた。村の人々は次々とアテルナを分解していく。


 切り出された肉や皮や臓物がどんどん持っていかれるが、なぜか心臓だけ放っておかれている。グイウの心臓がおいしかった記憶があるらしいサザンカ先輩がしみじみと心臓を見つめていると、長老は、

「イブー……アテルナのシーウ、食べられない」とサザンカ先輩に言った。それは儀礼として食べてはいけないのか、はたまた毒があるとかで食べられないのか。サザンカ先輩はそれをどう質問したものか考えて、

「どうしてか、食べられない」と訊ねた。


「アテルナのシーウ……心、食べると、手足しびれて、死ぬ」


 どうやら毒があるようだ。サザンカ先輩は残念そうな顔をした。シーウというのは心臓か。


 長老と話したり、長老が村人と話すのを聞くうちに、ちょっとずつ言葉が分かってきた。


 どうやら「ムーキ」というのは長老の名前でなく、身分の高い人を呼ぶ言葉らしい。「イブー」は食べられない、という意味で、おそらく「ブー」というのが「悪い」ないし「駄目」という意味のようだ。


 もうひとつ気付いたのが、アトルル語とでも呼ぼうか、この言葉は妙に単語一つが短い。その理由をシルベーヌ先輩は、「あんまり口を開けたくないんじゃない? 寒いから」と説明した。いやそんなぞんざいな理由……と思ったが、これはわりと信憑性があるらしいと、サザンカ先輩とクオーツ先輩も判断したようだった。

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