5-2 ウルムフのジャム
「――この土地は、無言族とケットシーと、証しの灯し手しかいないのかしら」
シルベーヌ先輩が当たりをきょろきょろと見渡す。見ると、証しの灯し手たちがなにかに群がっている。近づいてみると、俺たちと同じ船でナイアトにやってきた商人たちが、嗜好品や物資を売っていた。
「ほうほう、こうして暮らしに必要なものはパルアトから来るんじゃな」
露店を広げて、商人たちは煙草や酒、石火矢に使う弾薬を商っていた。証しの灯し手たちは、明らかに神都で売られているものより割高な商品をほいほいと買っていく。
露店の商品がはけたあと、商人たちに声をかけた。
「ここからさらに南って行ったことありますか?」
「南かあ。いちおう人は住んでるけど、あんまり物は売れないな。ニルアトのことだろ?」
ここから先はニルアトという村があるらしい。どんなところか訊いてみたが、商人たちの尺度では「モノの売れない場所」くらいの認識らしい。
「いちおういわゆる人間も住んでるけど、とにかく言葉の訛りがきついんだ。話がなかなか通じない。ナイアトに証しの灯し手がぼつぼつ集まって、さらに南の土地を調べる算段をしているから、じきに神都語も通じやすくなるんだろうけど……」
「住んでいる人種は?」と、シルベーヌ先輩。
「獣人族だね。あとはみんな無言族とケットシーだ」
ケットシーが棲んでいると聞いて、ケットシーというのは猫みたいで可愛い見た目なのに意外としぶといんだな、と思った。ケットシーというのは簡単に言えば二足歩行する猫だ。もちろん言葉は通じないので人間に分類されていない。
獣人族というとやはりサザンカ先輩のイメージだが、商人から聞き出した話によると、ニルアトの獣人族はもっと荒々しい種族のようだ。証しの灯し手が来ても槍を振るって追い出してしまうらしい。縄張り意識が強いようだ。
とりあえず薄暗くなってきたので、アルナ先輩が宿舎として手配してくれた、証しの灯し手の基地に向かう。夕飯は毛長象肉のシチューだった。カピカピのタマネギと芽の出かけたジャガイモの投入された、いかにも男飯という感じの夕飯。
とりあえず体があったまった。フォガも出た。これも商人から買い付けたものらしい。
ナイアトで飲むフォガはお湯割りで、そば茶割りで飲むよりとても強烈なものだった。薬草の量がパルアトのフォガより多いらしく、ちょっと苦みが強いが、あっという間にアルコールが回って体が温かくなってきた。そのまま貧相な雑魚寝の部屋に横たわる。
ぼろっちい毛布にくるまって横になっていると、証しの灯し手の若いやつ――俺とあまり年ごろの変わらない、エポリカ火山に行くのはやめておけと言っていたやつ――が話しかけてきた。そいつはちょっと酔った口調で訊ねてきた。
「中央学府って、楽しいのか?」
「俺はエトク平原の出で、学問で周りについていけなくて人生を儚んで探検部に入ったから、俺は中央学府に行った人間のサンプルにはならないな」
「そうか。俺ぁパルアトの出身で、オヤジが赤虎党の鉄砲玉でな――あっさり抗争でオッ死んで、お袋とふたり貧しく暮らしてて……学問はできなかったが、ときどき金鉱の調査にくる中央学府の人たちから、いろんなことを教わるのが楽しくてな」
「どんなことを聞いたんだ?」
「この世界は少しずつ広がっていて、エポリカ火山はちょっとずつ世界の果てに逃げてるって話が好きだった。それで、パルアトからこっちに至るエポリカ火山の通り道に、金鉱があるかもしれないとか」
ふーむ。
もしかしたら、エポリカ火山で一攫千金、ということがあるかもしれない。それでなくても、死なずの鳥を拝むのがこの旅の目的なのだが。
「パルアトからさ、ときどきエポリカ火山の煙が見えて、世界の果てってヤバいんだな、って子供心に思ってたぜ。エポリカ火山がドカンと爆発してみんな死んじまうのを想像したりな」
「そうか。俺は行くよ、エポリカ火山」
「エポリカ火山に行くなら、草の生えてる道を通れ、ってこっから南にあるニルアトの獣人族が言ってたぞ。エポリカ火山の瘴気を浴びると、草は枯れてしまうから、草が生えてるところは安全なんだと。どこまで本当なのかわからんが」
「ありがとう。覚えとく」
俺はそこでふっつりと寝てしまった。
翌朝クソ寒くて目が覚めた。毛布に包まっているというのに寒い。
寝室を出ると、隣の部屋を使っていた三人の先輩が、唇を青くしてぶるぶるしながら出てきたのが目に入った。
「おはようございます。寒いっすね」
「おはよーさん、ゼレミヤ。しかし寒いね」クオーツ先輩が苦笑する。
外を見る。特に雪が降っているとかではない。
なにか大事なことを忘れている気がしたが、それはともかく朝食にありつけることになった。黒パン――商人から買った神都の製品――に、見たことのない果物のジャム。それから紅茶。
「このジャムに使われておる果物はなんと言うんじゃ?」
相変わらず食欲がすごいサザンカ先輩のセリフに、昨日からずいぶんと世話になっているヒゲのドワーフがハッハッハと笑って、
「ウルムフだ。ニルアトの近辺でたくさん採れる」と答えた。
パンにジャムを塗る。かじってみると、黒パンのしっかりした味にも負けない、濃厚な味わいの果物だった。脂分が多いように感じるし、実際ウルムフのジャムが入った瓶にはけっこう脂が浮いている。たぶん、植物も脂を蓄えないと寒さに耐えられないのだろう。
ウルムフのジャムで黒パンをやっつけ紅茶をすする。紅茶には砂糖とショウガがどっさり入っている。茶葉も砂糖もショウガも、やっぱり商人から買ったものだという。
このナイアトにもとからある物資だけでは、神都みたいな暮らしはできないようだ。だから無言族やケットシーは毛皮をそのまま着て獣骨の家に住んでいるわけで。
食堂では大きなストーブがガンガン燃えていた。どうやら鬼鯨の油で燃やしているらしい。どことなく煮たグイウをかじったときの独特な味を思い出す匂いがする。
俺たちはニルアトがどんなところか聞き込みを続けることにした。商人はきょうくる船で帰るらしい。商人たちに訊ねると、ニルアトでは毛長象すらまともに住んでおらず、氷を切り出した家で暮らしている、という話だった。
氷で建てた家というのはちょっと想像がつかない。それは三人の先輩も同じなようだ。
「毛長象がおらなんだら、なにを食べるんじゃ?」
「うーんと。なんか果物と、海に住んでる生き物食べてたな。魚みたいにスベスベしてヒレがあるけど、鱗はなくて、顔が犬みたいで、鯨というには小さいやつ」
アザラシみたいな生き物だろうか。子供のころ海の近くに交易で出かけた大人が毛皮を持ってきた覚えがある。でもアザラシは食べられるものだとは聞いていなかった気がする。ところ変われば品かわる、というやつなんだろうか。
「それってアザラシみたいなやつですか?」俺が訊ねると、商人は肩をすくめて、
「アザラシ……にしては、ずいぶん猛々しい生き物だったな」と答えた。
ますますどんな生き物か分からなくなってしまったが、サザンカ先輩としては未知の美食探訪ができるのが嬉しいらしく、なにやらニコニコしている。
商人たちが船で帰っていくのを見送ってのち、俺らは証しの灯し手たちへの取材を始めた。ニルアトはどんなところか、かたっぱしから訊いていくが、なにやら「槍を持った獣人族に追いかけ回された」だの「神都の言葉はあんまり通じない」だの、嫌な予感のすることばかり聞かされる。俺はのどかに、まあ神都の言葉が通じなくてもシルベーヌ先輩がどうにかしてくれるだろう、と思っていたのだが、さすがにシルベーヌ先輩でも南の最果ての地の言葉までは語彙として習得していないことが判明し、探検部はにわかにざわついた。
「だって……言語の本に載っていないんだもの。勉強のし様がないじゃない」
「そりゃまーそうだけど、シルベーヌ、あんたが頼りだと思ってたのに」
「まあ身振り手振りでも通じるじゃろ。サザンカ・ランゲージじゃよ」
なんだサザンカ・ランゲージって。よく分からない顔をしていると、シルベーヌ先輩が説明してくれた。
「要するに、ブロークンでも伝われば勝ちってこと。サザンカ、どんな言葉の相手でも、とりあえず意味が通じればそれでいいって思ってるから。厳密には通じてないのに」
「シルベーヌは言葉にこだわりすぎじゃよ。通じればなんだっていいんじゃ」
「だから厳密には通じてないって何度言えば」
どうやらブロークンでも伝わるか、というテーマは探検部にとって論争の種らしい。シルベーヌ先輩が話せるところではサザンカ・ランゲージが発動されなかったから知らなかった。
クオーツ先輩をちらりと見ると、完全にあきれた顔をしていた。
「それはいいからさ、ニルアトまで何で行くのか確認とるのが先じゃね?」
「……そうだったわね」
「忘れとったわい、わっはっは」
証しの灯し手たちに、ニルアトへの交通手段を尋ねたところ、「徒歩一択だな」と言われてしまった。
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