5 ロスト・ワールド 人類の最果て
5-1 不毛の地
ナイアトに移動する定期船に乗っている間、サザンカ先輩はひたすら吐いていた。船酔いに弱すぎる。よくそれで探検部の部長やってるな……と真面目に呆れてしまった。
「だってぇ。ここまでの遠征はめったにないんじゃもの。去年は神大陸山脈に登っておったし」
「えぇ? 神大陸山脈って登れるもんなんすか」
「登れるぞい。クッソ寒いから毛皮を着込んでの、ブーツにトゲ付きのかんじきを履いての、さすがに最高峰に登ることはできんかったがなかなか楽しかったぞい」
「山んなかでイエティに出くわして滑落しかけた時は死ぬかと思ったわー」
と、クオーツ先輩。シルベーヌ先輩は果たして山に登ったのだろうか。ちらっと見ると、
「登らないわよ。アルナと会計やってた。山登りなんてなにが楽しいか分からないわ」
と、冷淡な返事が返ってきた。
中央学府探検部というのは、本当に危ないところに突撃していく人たちらしい。人生を儚んで入部したわけだが、死ぬのはいやだ。とにかく船は、二日ばかし航海して、ナイアトの港にたどり着いた。
ナイアトという土地に抱いた第一印象は、「不毛の地」であった。どこまでも干からびた土に、わずかばかり低木や草が生えていて、空気はきりきりと乾燥して寒い。海辺は砂浜でなく、氷が分厚く張っている。人が住めるとは考え難いが、「アト」ということは村だ。ここに住んでる人たちは、なにを食べて暮らしているんだろう。
なんせ俺は米どころのエトク平原出身なので、パルアトの街もそうだったが米の穫れない土地を見ると「ここの人たちはなにを食べてるんだ……?」と思ってしまう。実際のところは、たいていの土地で、豊かな食文化があるのだが。
ナイアトは村というのもおこがましいほど小さな村で、暮らしているのはそれこそパルアトから追い出された無言族やケットシーばかりのようだ。ちらほら俺たちのように「人間」に分類される人もいるが、その人たちは証しの灯し手としてさらに南の地域について鉱山などがないか調べようとしたが、しかし難しくて踏みとどまっている、という感じらしい。村に着くとヒゲのすごいおじさんに出迎えられた。
「やあよく来たね。中央学府探検部がくることは、数日前に中央学府のほうから連絡がきていたんだ」と、ヒゲのおじさんは言った。おじさんはドワーフのようで、ヒゲはすごいが背丈はとても小さい。ヒゲのおじさんはナイアトでは証しの灯し手のリーダーだという。
「この村の名物料理はなんじゃろか」と、サザンカ先輩。さっきまでめっちゃ吐いてたじゃないですか……。
「そりゃあ毛長象だ」
毛長象。聞いたことのない食べ物だ。どんなものだろう。
ヒゲのおじさんは俺たちを証しの灯し手の基地に連れていってくれた。なにやら馬鹿でかい肉がでーんと置かれている。どうやらこれが毛長象の肉らしい。
「ここいらに昔から住んでる無言族やケットシーは、毛長象の骨や牙を骨組みにして、毛長象の皮でそれを覆った家を建てる」ヒゲのおじさんはわりと近代的なつくりの基地のガラス窓から、無言族の家を親指で指した。
見ればたしかに、獣骨で組んだ建物を毛皮で覆った家がちらほら建っている。たぶん毛長象という生き物はめちゃめちゃにでかいのだろう。おじさんは毛長象の肉を少し切り取ると、豪快にステーキにして腹ペコの俺たちにふるまってくれた。
毛長象の肉は脂身が少なく、しかし柔らかくて食べやすい。高級な牛肉みたいな味だ。
「これは猟をして捕らえた肉ですか?」と、シルベーヌ先輩が訊ねる。
「ああ。無言族やケットシーみたいな、言葉で意思疎通のできない相手でも、一緒にいるうちにだんだん何を考えているのか分かるようになるから、いっしょに猟をして肉を分けてもらうんだ」
ますます毛長象がどんな生き物か気になるな、と思っていると、サザンカ先輩が、
「象……ということは、鼻が長くて耳が大きくて、パオーンって鳴くやつかの?」と、おじさんに訊ねた。なんだそれ。鼻が長いってなんだ?
「そうそう、まさにそれだ」と、おじさん。
「なんです象って」と俺が訊ねるとサザンカ先輩は卒倒しそうな顔をした。
「ゼレミヤ、お前は象を知らんのか。鼻が長くて耳が大きくてパオーンって……」
「知らないっすよ。鼻が長いってどういう見た目なんです?」
サザンカ先輩はノートを取り出すと、それにさらさらと絵を描いた。まったく見たことのない生き物が描かれていた。
「これが象じゃ。儂の知っておる象は、トイラ土漠あたりで家畜として飼われておるもので、それは肉としては食べずに、乗り物にしたりものを運ばせるのに使うんじゃよ」
「へえ……そんな生き物がいるんすねえ……」
「――あの、不躾かもしれませんが。証しの灯し手は、なんでナイアトに?」
シルベーヌ先輩がおじさんに訊ねると、おじさんはきょとんとした顔で、
「そりゃあ、パルアトやトノクアトの金鉱脈が、この辺まで続いているって、中央学府の研究者が発表して、神都の政府が調査してこいって言ったからさ」と答えた。
金鉱。ここにもあるのか。
「ふーむ。それを発見することが証しの灯し手の仕事か。そうじゃな、エポリカ火山が近いから、その影響もあるかもしれん。地質学というやつじゃな」
要するに、エポリカ火山はもともと神大陸にはりついていて、次第に世界の果てのほうに移動するに従い、その移動した線上に鉱脈が生まれた――ということらしい。
とりあえずステーキを食べ終えて、村の暮らしを見学してみることにした。
外に出ると、空気はとにかく冷たくて、顔がきりきりと痛む。手には作業手袋をはめているのだが、しかしそれでも指先が凍える。
毛長象の体で建てられた家から、毛皮をまとった人々が出入りしていた。無言族らしい。無言族というのは、声帯がなく物理的に言語を扱えない人種である。言語による意思疎通ができないため、人間に分類されていないが、好奇心から俺たちを観察している様子を見ると、下手な「人間」よりよっぽど知的に見える。
頭を下げ、無言族に礼を示すと、同じ仕草を返してきた。
丘のほうから、なにか巨大な動物の鳴き声が響いた。しばらくして、無言族の男たちが、巨大な生き物を引きずってきた。証しの灯し手らしい人々もちらほら混ざっている。
「これが毛長象すか」俺は思わず声を上げた。
その生き物はサザンカ先輩が描いた絵にそっくりで、鼻と上あごがくっついて長く伸び、耳が大きくて牙を生やした生き物で、無言族やケットシーたちがそれに群がり解体していく。証しの灯し手たちもそれに混ざっている。その様子はパルアトの鬼鯨の解体に少し似ていた。
いままで俺たちは証しの灯し手たちに負けないピッチで冒険をしてきたわけだが、しかし証しの灯し手とも協力しなければ先には進めないのだろうと思われた。肉をわけてもらって機嫌のよさそうな、腰に石火矢を下げた、若い証しの灯し手に声を掛ける。
「我々、中央学府探検部のものですが。ここからエポリカ火山まで、どれくらいありますかね」
「エポリカ火山? 本気で行く気? あそこは死の山だよ。いたるところで瘴気が噴きあがってて、まともな人間なら行こうと思わない場所だ、って評判だ」
「ではそなたは行かんかったのじゃな?」
「当たり前だよ、帰ってこなかった先輩がいっぱいいるからな」
証しの灯し手は肩をすくめると、肉を担いで基地に向かった。ひどく日焼けした顔が印象深かった。
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