4-2 略奪とグイウ

「は? 落としたの?」と、シルベーヌ先輩の強い口調のセリフ。サザンカ先輩はビビり顔で、

「わからん、スラれたかもしれんし、落としたかもしれんし――そうじゃ。警察。警察に届けたら落とし物として届いておらんじゃろか」と、うろたえている。


「あー、この街は警察ってなくて、その代わりの自治冒険者組合はすごく仕事が雑でねー……落としものはだいたい着服されちゃうよ。まともに戻ってくるのは迷子の人間くらいだ」


 まじか。旦那さんの冷静なセリフにぞわっとする。


「……中央学府の学生さん。無銭飲食は罪です」


 リーラの冷静なコメント。はい、その通りです。


「よし、しょうがない。うちに泊まりな。明日からここを手伝ってくれたら、きょうの夕飯と働く間のまかないはご馳走しよう。どうせ調べもので長いことここにとどまるつもりなんでしょ? ついでに路銀も稼いでいきなよ」


「母氏。いくらなんでもそれは甘すぎると思う。この店にそんな余裕はない」


「リーラ、世の中はお金だけじゃないよ」


「むう……」


 というわけで、俺たちはしばらく「食わせ処リーラ」でアルバイトをすることになった。とりあえずその日の晩は、店をやっている家族の家に泊めてもらった。女将さんはリムさん、旦那さんはラルフさんというらしい。


 朝こっぱやい時間にたたき起こされた。ランチ営業の仕込みとまかない作りだ。意外と料理が上手いのがクオーツ先輩で、手際よく野菜を切っていく。シルベーヌ先輩はおっかなびっくりで見ていてとても不安な手つきだ。サザンカ先輩は切ったそばからタマネギを味見(という名の盗み食い)して、目にしみたらしく悶絶している。


 俺はランチ営業の呼び込みをすることになった。でっかい声で、昼飯は食わせ処リーラで、と宣伝する。結構ひとが入っていく。


 ランチ営業のあと、まかないに煮物が出た。スパイスたっぷりの豚肉の煮物だ。


 ここしばらくあまり食べられなかった野菜がたくさん入っていて、食べているだけでうれしい。がつがつとやっつけるのがもったいなくて、ゆっくり味わって食べた。


「うまいっすね」


「そりゃそうだうちのまかないだもん。体にいいんだぞ~」リムさんはそう言って笑顔だ。


「君ら、学問もしなきゃならんのだろ?」と、ラルフさんが訊いてきた。


「学問というか――この探検はフィールドワークを兼ねていて。古い神話を教えてくださるひとがいないかと思うんですけど」と、シルベーヌ先輩。


「古い神話かあ。ここいら、そういうのを知ってる年寄りってほとんどいないんだ。もともと『証しの灯し手』たちが金鉱を発見して、もともと住んでいた無言族やケットシーを追っ払っちゃったから。まあ無言族もケットシーも、言葉にして古い神話を説明できるわけじゃないが。人間に分類される人種で古くから住んでいたひとたちは、ゴールドラッシュで騒ぎになってからだんだんと鉱毒や略奪で減っていったみたいだ」


 ラルフさんは難しい表情を浮かべた。


「略奪って、もと住んでいた人たちからなにか奪った、ということですか」


 シルベーヌ先輩がちょっと険しい顔で訊ねる。


「うん、鉱山を掘るのに邪魔だ、って理由で家に火を放ったり、畑や放牧地を作るためにもと住んでいた人たちの家を壊したり――もうここいらに純正でアトルル語を話せる人間はほぼいないんじゃないかなあ。私たちはイシュトマから来た移民の子孫だ」


 イシュトマ。神都の北にある、神都とは違う文化の国だ。


「イシュトマの子孫なのに、ずいぶん神都語が」俺が思わずそう言うとラルフさんは笑う。


「そりゃあ三代もここに住んでいればね。神都から流れてきた鉱山の関係者がここいらの大半を占めてるわけだし」


「あ、し、失礼しました」


「気にしない気にしない。まあ――このパルアトで神話の収集をするのは難しいと思うよ」


「そうですかー……それであれば、建築の構造とか調べたいんですけど」

 と、クオーツ先輩。


「それはいくらでもどうぞ。うちみたいなボロい家でよければ」


「え、ボロい家って、あんな立派なじゅうたんと暖炉があるのに?」


「ここいらは冬になると死ぬほど寒いから、どんな貧乏な家でも暖炉はあるし、じゅうたんも必ずひいてあるよ」


「なるほどぉ」クオーツ先輩はメモ帳にかりかりと書いた。


「儂は一般家庭の食事を知りたいのじゃが」


「それならだいたいグイウとそば粉ね」と、リムさん。


「グイウ?」一同顔を見合わせる。


「グイウっていうのは、パルアトとナイアトの間の海峡で採れる鬼鯨の肉のこと。うちは食堂だから牛肉や豚肉を出すけど、一般家庭ならグイウを食べる家が多いと思う。ほら、ニオルル川沿いに鯨を上げる食肉処理場があるでしょ。あそこで鬼鯨を分解して、肉にするの。鬼鯨は大きいから、一匹上がれば街のみんなが三日は食に困らない」


「じゃあ捕鯨も、金鉱と同じくらいの産業なんじゃな」


「そうね。それからそば粉もたくさん採れるから、そば粉でパンを焼いたりクレープにしたり」


 ふーむなるほど。そば粉のパンはおいしそうだ。しかし鬼鯨というのはなんとなく積極的に食べてみよう! とは思わない。


 鬼鯨って、古い地図の海のあたりに描いてある、あの角が生えて目が飛び出した、気持ち悪いやつだよな……。


「……グイウ、食べてみたいのう」


 サザンカ先輩の食欲が暴走を始めそうだ。でもここ数週間、グイウ、つまり鬼鯨は上がっていないという。安心していると、にわかに街が騒がしくなった。


「おーい! 鬼鯨のしこたまでっかいのが上がるってよ!」


 ラルフさんの知り合いらしい人が声をかけてきた。サザンカ先輩の目がすごくキラキラしている。


「……よし。せっかく神都からこのパルアトまで来てくれた学生さんなんだ、うまいグイウの料理をご馳走しようじゃないか」


 ラルフさんはそう言って立ち上がった。みんなでぞろぞろと食肉処理場に向かう。見ると、でっかいとかそういう大きさじゃない、異様な黒い塊が、でーんと食肉処理場に伸びていた。これが鬼鯨らしい。


「でっか……」思わずそんな声が漏れる。鬼鯨の皮膚には、フジツボや吸盤で貼りつく寄生虫なんかがいっぱいくっついていて、皮膚を切り開くと真っ白い脂身が姿をのぞかせた。


 脂身は切り取って絞って油にするらしい。鬼鯨の脂身を食べると腹を下す、とラルフさんは言った。


「うちの爺さんが言ってたんだ。ここに入植して間もないころ、鬼鯨の脂身がうまそうだ、ってみんなで食べたら腹を下してえらいことになったって」


 はあ。解体は進み、脂身の下の赤身肉が姿を現した。骨に沿ってついている、筋肉の比較的柔らかいところが、鬼鯨の食べられる部分、つまりグイウらしい。


 赤身肉はどんどん切り分けられ、人々は代金を払って買っていく。ラルフさんが適当にひと塊買って、それからしばらく分解作業を見学することにした。


 骨を抜いた。骨はボーンブレードなどの武器や、もろもろの生活用品の材料になるらしい。内臓に到達すると、胃袋を切り開いて中からドロドロのものを取り出した。これは主にオキアミで、熟成させて珍味として、酒の肴に食べるものだそうだ。


 鬼鯨ってこんなアホみたいに大きいのにオキアミなんてちまちましたもの食べるのか。


 解体は進む。鬼鯨のヒゲは弦楽器に用いられ、ゴム質の内臓はポンプなどの製品に用いられる。鬼鯨の体は捨てるところがない。腸にできたこぶは、高級な香の原料になるらしい。なにやら金持ちたちが、その腸のこぶにとんでもない額のお金をぽいぽい支払っていく。


「パルアトに富をもたらすのは金鉱だけじゃないのじゃなあ」


「そうみたいですね……鬼鯨は本当になんにでも使われるんだ……」俺がしみじみとそう言うと、鬼鯨を解体していた食肉処理場のひとが、

「心臓の刺身、食ってみるかい?」と声をかけてきた。刺身ってことは生肉だ。そんなもの食べたら腹を壊す。そう思ったがサザンカ先輩はご機嫌で猛ダッシュすると、さっそく心臓の刺身を一切れ貰ってモグモグしはじめた。


「う、うまっ! すごい歯ごたえ! もちもち!」


 俺とシルベーヌ先輩とクオーツ先輩は遠慮することにしたが、食肉処理場の人によると鬼鯨の心臓は獲れたてでないとおいしくないし、解体現場にいた人間だけが食べられる特別な食べ物らしい。サザンカ先輩の表情から察するに、相当おいしいのだろう。この巨大な体に血を巡らせる心臓なので、とても分厚い筋肉でできているようだ。


 鬼鯨はあっという間に皮と骨だけになった。その皮と骨も、それぞれ必要な業者が運んでいく。皮は意外と軽くて柔らかいらしく、雨合羽などに使われるそうだ。


「よーし。グイウをどう料理するか、しかと見ようではないか」


 サザンカ先輩は軽い身のこなしで俺たちの滞在している食わせ処リーラに向かった。

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