3-5 泥と真実

「大雷魚、漁網を破る!」と村のリーダーが叫ぶ。これはやるしかない。


「おおーすまんかったすまんかった! ゼレミヤ、大事ないか?」


「ラカイトさんが治してくれました」


「分かった。それでは『インパクト』『ヘイスト』!」


 瞬間的に二つの神術をとなえられるサザンカ先輩の力に驚きつつ、健康体に戻った俺は桟橋から回り込んで、血のついた服をやぶり、水面にそれを落とした。


 古代魚――大雷魚というらしい――は、その血の匂いに誘われて、水面近くにざわざわと集まってきた。正確に脳天を割っていく。サザンカ先輩の、腕力を上げる神術である「インパクト」の威力のすさまじさには驚嘆しかない。さっきはうろこを割るのがせいぜいだったのに、今はその頭を剣でつらぬき通している。


 水面に上がってきた大雷魚の、俺が相手にしているぶんは終了のお知らせだった。


 さっき村の子供たちに突き落とされた地点では、クオーツ先輩が正確な弓の技で大雷魚の頭を射抜いている。大雷魚の、大きなものはほとんど駆逐した。


 村人たちは、俺たちの倒した大雷魚を陸に引き上げ、手際よく解体して、俺たちに「ユートウ」と言いながら、大雷魚でトト・バを調理しはじめた。香ばしい香りが漂い、死にかけたのが嘘みたいに腹が鳴る。その日の晩はものすごい宴会となった。


 こんなにたくさん料理したら腐るのでは、と思ったが、なんでも村はずれに神術を使った倉庫があり、その倉庫は時間の流れが遅いので物が腐るのに何年もかかるらしい。この神術も、神都の神術とは違う。先輩たちはふむふむと神術のことを記録していく。


 宴会をして、村のリーダーは俺たちに感謝の意を伝えてきた。あの大雷魚に、何度も漁網を破られ、時には小さな子供がさらわれ、ずっと困っていたのだという。シルベーヌ先輩が、あれは大きく育った一部であり、おそらく湖の底にまだ小さな個体がいるだろう、と説明すると、村のリーダーは、「また来たら、退治してほしい」と言った。別れの時が近づいている。


「そろそろこの村を出ねばならんな。儂らはベリルの商売に便乗しとるだけじゃし」

 サザンカ先輩はそう言いながら酒をあおった。


 翌日、俺たちは村の人たちに丁寧にお礼を言い、湖の反対側にわたる船をチャーターした。沼鳥は泳ぐこともできるし、実際ここに来るまで何度も沼地を泳いで渡ったが、さすがに内海と呼べる大きさの湖を渡るのはむずかしいようだ。


 村の桟橋から手を振るエスクィの人々に手を振り返し、俺たちは半日かけてエスクィの内海を渡り、ノジェルクィに向かった。


 船に乗っている間、ひどい船酔いになってしまったサザンカ先輩が、ずっとゲロを吐いていた。ゲロに魚相撲のきれいな魚がむらがる変な絵面に小さく笑う。


「ノジェルクィ、いいところ。俺の故郷」


 ベリルはニコニコしている。そう言われても。どうやらイェルクィの密林に暮らすダークエルフのみなさんは、みんな地元が大好きなマイルドヤンキーのようだ。それはエスクィの娘たちがノジェルクィをけちょんけちょんにけなしていたところからも想像できる。


「……サザンカ。もう胃はからっぽなんじゃないの?」と、シルベーヌ先輩。


「うう……胃液がゲロゲロと出る……」


 さすがに対岸のノジェルクィに着くまでにサザンカ先輩のゲロは収まったようだった。


 まずびっくりしたのは、村の様子はエスクィのそれと変わらないように見えるが、建材がすべて竹で、森も密林というより竹林といった風情であることだ。ちょっと離れたところに、ルポカ・トルの背の高い木の植えられた畑が見える。フジャア・トルも畑があるようだ。


「ベリル!」と、村につくなり、すごい美人が出迎えてきた。誰だろう。そのダークエルフの美人は、すらりと優美な体つきをしていて、クオーツ先輩が自分の体形を気にするほどの美しいひとだった。ベリルを捕まえて頬をぺちぺちしている。


 ベリルは面倒そうにその美人に応じると、クオーツ先輩の肩を掴んで引き寄せて、

「ユウ・ユー」とそう言った。恋人って意味だよな、「ユウ・ユー」。相手のすごい美人はニコニコしていて、修羅場が勃発する気配はない。


 クオーツ先輩は怖い顔をして、「ユウ・ユー、ちがう」と言った。すごい美人は「ちがう」という言葉よりクオーツ先輩の怖い顔に気付いて、アハハハハと陽気に笑った。


 笑うという動作は本当に世界共通なんだな。怖い顔もそうだけど。


「ベリル。このひと、だれ」クオーツ先輩が詰問口調でベリルに言った。


「俺の、姉さん。ずっと、祝言あげろ、ってうるさいから」ベリルは申し訳なさそうな顔。


「なんだーそっかー。わかるわかるう~。実家帰ると『あんたはいつ結婚すんだ』って言われるもんねえ。ほかに身寄りはいるの?」


 クオーツ先輩が早口でばーっと喋ったのを、シルベーヌ先輩が丁寧に翻訳する。ベリルは、

「俺、姉さんと二人」と答えた。ほかに身寄りはないらしい。ベリルの姉は、ザナさんというそうだ。


「ヤーヤール……流行り病で、父さんと母さんと兄さん死んだ。いまは俺と姉さんの二人きり」と、ベリル。また流行り病の話が出てきた。エスクィではカビを集めて飲ませたというあの流行り病だろうか。


 とりあえず、ベリルの案内で村いちばんの年寄りの家に向かった。そのご老人は見事に尖った耳に派手な飾りをぶら下げていて、村でいちばん尊敬されている、「長老」なのだそうだ。あまりに若々しく整った顔をしていたので最初は老婆かと思ったが、口を開くと渋い声が出てきて、ああ老爺なのだ、ということが分かった。ひげを生やす、という風習がないらしい。


「ア・ク・ト・ユートウ」と、その場の全員で挨拶する。


 長老――ダイ爺様というらしい――は、気難しい性格をうかがわせる難しい顔をして、なにかベリルに話した。ベリルはいろいろと返して、ダイ爺様はぽんとひざを打った。


「チューオーガクフ」


 ダイ爺様はそう言い、俺たちの頬をぺちぺちと優しく叩いた。どうやらこれが、昔から伝わるノジェルクィの挨拶らしい。


 また、シルベーヌ先輩とベリルとダイ爺様の三角話法を駆使して、この地に伝わる神話を聴きだすことにした。「泥」の神話、というやつだ。ダイ爺様は壁にかけてある、神術の系統書に似た図を指さした。


 その図には、ダークエルフの巨人がなにかをこねる様子が描かれていて、こねられたものから芽が出て世界が生まれた、というのも描かれていた。こねられているのは泥なのだろう。


 ベリルが難しい顔をして、

「泥、こねる。泥、イェト――内海の底にたまっている。それを神様がこねて、俺たちは生まれたと、ダイ爺様は言ってる」と、詳しいことを説明してくれた。内海は神話のなかではイェトと呼ばれていることが分かった。いままで通り過ぎた、ほかの土地ではどうなんだろうか。


「イェトの泥、神聖なもの。よごしてはならない」


 ベリルの言葉にサザンカ先輩が青くなる。さっき盛大にゲロ吐いてたもんな。


「神様、俺たちに『ウィ』与えた。『ウィ』は、道であり真実。俺たちは真実に歩む」


 ベリルの口から「真実」なんてむずかしい言葉が出てきて、俺たちはちょっとびっくりした。ただのマイルドヤンキーのウェーイだと思っていたベリルに、こんな深い哲学があったとは。俺たちはダイ爺様とベリルのやりとりをしばらく見ていて、ダイ爺様がちらちらとクオーツ先輩を見ていることに気づいた。


 いやこのお年寄りが若い女に興味もつ? それに気付いたクオーツ先輩が、恥ずかしい顔をする。それを察知したらしいベリルが、

「ユウ・ユー」と、クオーツ先輩の肩を抱き寄せる。ダイ爺様はハッハッハーと明るく笑って、ベリルの額をごつんと殴った。笑いながら殴るってなんか怖いな。


「ユウ・ユー、ちがう」クオーツ先輩がそう言うと、またダイ爺様はハッハッハーと陽気に笑った。やっぱり「ちがう」が通じたというより、クオーツ先輩の表情で気づいた感じだ。ダイ爺様はおかしそうに笑うと、ベリルをもう一発殴って、なにか話した。マイルドヤンキーのコミュニケーション、こわい。


「……中央学府に行くような賢い女が、お前の恋人になるわけがない、と言ってるわね」と、シルベーヌ先輩が通訳してくれた。


「よく分かるっすね」


「言葉の雰囲気で察したっていったほうが近いかしらね。これだけ長いことイェルクィの密林に滞在してればだいたい想像できるようになるわ」


 シルベーヌ先輩はんぱねー。

 とにかくフィールドワークはだいたい形を成してきた。やっぱり神都から離れれば離れるほど、古い文化は残っているようだ。神都の影響で失われた文化とか、たくさんあるんだろうな。


 宿をとりたい、とベリルに言う。ベリルは、

「俺の家、泊まればいい」と言ってきた。ベリルについて歩いていくと、家というより小屋に近いような、小さな家にたどり着いた。牛のような動物が一頭、家の横につながれている。


 ベリルは嬉しそうにその牛みたいな家畜をよしよしした。家畜は鼻を鳴らしてベリルに答える。この家畜は? と訊ねると、「ヤク」と完璧な神都語で返ってきた。毛や乳をとる家畜で、神都の近くでも飼っている人がいる。どうやらそのヤクを飼うのも、神都から入ってきた文明で、いまではどこの家でもヤクを飼っているらしい。昔は野牛を笛で懐かせて、命がけで乳をしぼっていたとかいないとかいう話も聞かせてもらった。その野牛は「ジ・タ」と呼ばれていて、いまでも病気の年寄りにはジ・タの乳を飲ませるらしい。


「ヤクの乳はどうするのだ? そのまま飲むのか?」サザンカ先輩のキラキラ目が発動した。ベリルは「バターにする」と答えた。


「なんでこんな奥地に神都の文明が入ってるのかしら? 分からないわ……神都からは土漠を通るにせよ反対を回るにせよ遠すぎるし、もちろん神大陸山脈を超えるなんて悪い冗談だし」


「ヤク、パルアトからきた。パルアト、進んでる」


 ベリルがそう答えた。パルアト。いまゴールドラッシュに沸いているアトルル地方の村か。それならヤクを連れていく人もいるかもしれない。


 ベリルは俺たちに家に入るよう促した。パルアトではごく当たり前にどこの家にもあるというバターチャーン、要するに乳をいれてぐるぐるするとバターが作れる器具が置かれていた。ベリルとザナさんの暮らしは裕福ではなさそうだ。お邪魔するのも申し訳ない気分である。


 ふと顔を上げると、ダイ爺様の家で見たのと同じ、神術の系統書に似たタペストリーがかけられ、その前にフジャア・トルが供えられていた。小さな木彫りの像もある。木彫りの像は、黒光りする木で彫られていて、耳が尖っている。先祖を祀ったものだろうか。


 ベリルはその像に頭をさげ、手を合わせた。俺たちもおなじくそうしようとしたが、

「ご先祖、拝んでいいのは子孫だけ」とベリルは苦笑した。そのときザナさんが、桶いっぱいのヤクの乳をもって上がってきて、それをぜんぶバターチャーンに流し込み、ぐるぐるさせはじめた。


 バターが出来上がるのは異様に早かった。どうやらエスクィで見た時間を遅くする倉庫と同じ神術で、バターの出来上がりを早くしているらしい。出来上がったバターを鍋にいれ、澄ましバターを作ると、ザナさんはトト・バをその澄ましバターで揚げ焼きにして作った。スパイスもたっぷりで、見るからにジューシーである。


 ここではフジャア・トルを、粥にもパンにもしないでそのまま食べるようだ。


 甘い果物と辛く味付けした魚をいっぺんに食べるという不思議な組み合わせだが、長くここに住んでいる人にとって当たり前ということは、その土地の自然の摂理にかなっているということなのだろう。食べてみると、トト・バはバターで香ばしく、フジャア・トルはよくうれて柔らかかった。香ばしくぴりっとするトト・バで口が脂っこくなったら、フジャア・トルを食べる。これを繰り返しているうちに、食べ終えてしまった。


「とてもおいしかったです」そうベリルに伝える。ベリルはザナさんに説明し、ザナさんはエヘヘェと笑った。なんだか可愛い笑い方をする人だな。


 部屋にはルポカ・トルの油で明かりがとられていて、やっぱりここも雑魚寝のようだ。ザナさんがルポカ・トルの脂にトトウトの粉をさらさらと入れている。ちょっと刺激のある匂いがして、これで虫に刺されるのを防げるようだ。


 ルポカ・トルの灯りだけで薄暗がりのなか、ベリルがクオーツ先輩になにか話しかけているのが聞こえた。ベリルは小さな声で、


「ユウ・ユー・トト・ミ、つきあってください」と、まさかの展開を発生させていた。


 クオーツ先輩はしばらく考えるような沈黙ののち、

「――無理だよ。ウチはここを通り過ぎるだけの旅人。そりゃベリルは面白くて優しくて、ちょっと強引で……でも、ウチらは、ここを記録したらここを通り過ぎて、エポリカ火山に行かなきゃいけない」


 と、意外と真面目に応じていた。俺は寝たふりをしながら、恋というのはままならないものだなあ、と思った。

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