3-3 施さない神より施す隣人

「チキ・タ、ノジェルクィで作ってる。チキ……竹、ノジェルクィでとれる」


 そう言ってベリルは酒に手を伸ばして飲み始めた。俺は竹筒を覗き込む。中身は若干どろっとしていて、表面はぷつぷつと泡立っている。


「これ、飲んで大丈夫なの? お腹壊したりしない?」と、シルベーヌ先輩がうろんな表情で竹筒をみる。見るとサザンカ先輩がぐびぐびと飲んでいた。


「ぷはー!」サザンカ先輩がおいしそうに飲んでいるので、俺たちも竹筒の酒を飲んでみることにした。


 味は、フジャア・トルを発酵させたんだろうな、と想像のつく味だ。泡は単に汚いのでなく、発酵の作用でガスが発生したのだろう。喉にしゅわしゅわと流れ込み、爽快感がある。


 続いて食卓に上がったのはトトウトのペーストだった。ベリルはそれをフ・ト・ウートにこってりと塗り、トト・サ・レを挟んで、ムシャムシャと食べながらチキ・タを飲んでいる。真似してみると、神都でいうところのパンの肉はさみにビールみたいな味で、とてもおいしい。


 豪勢にもてなしてもらっているのを実感しつつ、しかし野菜が食べたいと贅沢なことを思う。ここいらの人が当たり前に暮らしているということは、野菜なんぞなくても栄養が採れるということなのだろうが、しかし野菜が食べたい。キャベツとか。


 夕飯を食べ終え、泊まる部屋に通された。やっぱり床に雑魚寝のスタイルだ。


「はー腹いっぱいじゃあ。明日はどうするかの。儂は魚を獲っているところを見たい」


「今度こそ神話の収集がしたいわね」とシルベーヌ先輩。


「てかこの家ってどうやって建ってんの? 木を水に入れたら腐るんじゃね?」


 というわけで、翌日の予定は漁を見学することと、神話を知っているひとがいるかどうか探してみること、建築現場がもしあれば見学すること、になった。


 翌朝、まずは宿屋を出て朝早くにやっている漁を見せてもらうことになった。漁は家々の真下で行われ、家々から出た残飯なんかを食べに集まってくる魚を漁網で一網打尽にするというスタイルだ。内海は遠浅なのでみな普通に泳いでいて、次々と魚を捕まえていく。


 同じ網にかかった、きのうの魚相撲の魚は、ノジェルクィから輸入した器にいれて市場に並べられていた。これ、きれいだから神都の好事家が喜んで飼いそうだな、と思ってしまった。


 漁師たちは魚を必要なだけ獲ると、陸に上がって今度は古い家の修繕を始めた。老人が一人で暮らしている家で、古くなって壁板はぼろぼろになっている。陸で乾かしておいたらしい木材に、ルポカ・トルの脂をニス替わりに塗って、壁板を補修していた。


「なーる、ルポカ・トルの脂って防腐剤になるんだ」クオーツ先輩が嬉しそうにそう言い、そのまま、一人暮らしをしている老人に話を聞いてみよう、ということになった。


 老人はつやつやと黒光りするダークエルフで、耳にはさまざまな飾りをぶら下げ、腕には刺青をしている。昔はさっきの人たちみたいな、漁師兼大工みたいな暮らしをしていたようだ。ベリルに教わったとおり、「ア・ク・ト・ユートウ」と挨拶する。これはエトク平原で言うところの「アロ・イーン」と同じ意味で、目上の人への挨拶だ。


「クバル・フ・ウ。神都の言葉、イーニ」と、老人は言った。「クバル・フ・ウ」は「こんにちは」、「イーニ」、というのは「少し」という意味のようで、コミュニケーションが難しいことが想像された。


 そんなときのためのベリルである。シルベーヌ先輩はときおりイェルクィの密林の言葉を混ぜながら、ベリルを使って三角話法で話し始めた。ベリルにいろいろ訊ねられた老人は困った顔をして、「神様、信じない」と答えた。なぜ、と訊ねると、「神様、私になにもほどこさない。ほどこしてくれるのは人間」という、ある意味当然の答えが返ってきた。


 この老人――名前はラカイトというらしい――は、流行り病で妻と子供をいっぺんに失い、心の病気になって、村人の施しで生きてきたらしい。そりゃあ訊ねる相手を間違えましたよね……としか言いようがないわけだが、どうやらこのエスクィという村では、昔から「施さない神より施す隣人」という格言があって、人はそれほど神を真面目に信じたりはしないらしい。


「婆様、泥こねて、人できるといった」と、老人は申し訳なさそうに言った。


「この地域では泥をこねて人ができた、っていう言い伝えがあるのね」


 シルベーヌ先輩は収穫ありの顔をしている。えっこれだけで。どういうことですと訊ねると、

「だって泥から人ができる神話があるってことを知れただけでも収穫じゃない。次に行ったところで、泥の話をすれば一発なんだから」と、シルベーヌ先輩はそう答えた。ポジティブだ。


「フネゴ・ウル、ユートウ」と、老人は頭を下げた。「お客さん、ありがとう」みたいな意味らしい。ありがとうというのはこちらだ、と頭を下げて、その家を出た。


「エスクィ、神様信じない。ノジェルクィ、神様大好き」


 ノジェルクィ出身のベリルはそう言って胸を張った。いやそんなすごいドヤ顔されても、と俺は思った。


 話をしながら歩いてくると、エスクィのマイルドヤンキー集団と出くわした。いや、マイルドヤンキーじゃない。正真正銘のヤンキーだ。いや神都の感覚で言えばだけど。


 ヤンキーのうちのひとりが、ベリルになにか話しかけ、唐突にベリルをぶん殴ろうとした。行動が唐突だ。その瞬間サザンカ先輩がプロテクション、要するに防御の神術を放ち、ベリルを守った。殴ろうとしたヤンキーは手を防御神術にぶつけて悶絶している。


 たぶん、やんのかてめぇ! という調子で、ヤンキーたちはわあっと襲い掛かってきた。


 さすがに人間相手に剣や弓を使ったりするわけにいかないし、攻撃神術だって火力を落とさないと人死にが出る。俺はリーダー格と思われる男の胴体に膝蹴りをぶつけた。クオーツ先輩は見事な往復ビンタを放ち、俺たちはヤンキーと戦った。


 シルベーヌ先輩が人を呼びに行った。サザンカ先輩が防御神術を展開し、安全を確保した。


 しばらくして村のリーダーと思われる男性が現れて、

「フネゴ・ウル! ユートウ!」と、ヤンキーたちに怒鳴った。あとでベリルから聞いたところによると、「お客さんだぞ! 敬え!」というような意味だったらしい。まるで先生に叱られた不良みたいに、ヤンキーたちはばらばらと解散した。


 村のリーダーの男性は俺たちに謝罪し、俺たちを夕飯に誘ってくれた。ありがたくお邪魔する。大きな家には、村のリーダーの子供だという双子の娘がいた。二人はクオーツ先輩にしきりに話しかけて、その服はどういうところで売っているのか、とか、その耳飾りはいくらするのか、みたいなことをつたない神都語で訊ねている。


「これはフツーに量販店で……そんな高いものじゃないよ、石に見えるのガラス玉だし」


「すごい、おしゃれ。いいなあ」


「きれいなガラス。この村、ガラスない」


「ま、ウチらが神都にここのこと持ち帰ったらさ、神都から地図を作りに来ると思うから。そしたら住民登録をして、神都に出てくるといいよ」


「ハハハハ……神都、この村、しらないのです?」


 村のリーダーは訊ねてきた。サザンカ先輩が、記録に残しているのは恐らく自分たちが初めてではないか、と伝える。村のリーダーは、

「ツィア・ノリクィ、神都の文化でさかえている。この村も、そうしたい」

 と、ちょっと悲しそうな顔で答えた。


 夕飯はきのうとほとんど同じメニューだった。娘たちがトト・バを作っているところを見たが、スパイス焼きというよりは揚げ物に近い印象だ。ルポカ・トルの脂を贅沢に鍋にいれて、それでトトウトをまぶした魚を揚げている。


「あの宿屋、ケチ。ほんとうのトト・バは、揚げてつくる」


 娘の片方がそう言う。なるほど、きのうのやつよりはジューシーそうだ。しかしジューシーなスパイス料理ということは、問答無用で辛いというわけで。


 出てきたトト・バは、油がじゅわじゅわと皮のところにしみていて、たっぷりのトトウトが下ごしらえの段階でこれでもかと使われている。それをフ・ト・ウートにはさんで食べる。またしてもチキ・タが出てきて、村のリーダーは「サ・フ・ユートウ!」と嬉しそうに言った。どうやら客人を招いての宴会という意味のようだ。


 トト・バをフ・ト・ウートと一緒に齧る。じわっと熱い汁が口の中に流れ込むが、それをフ・ト・ウートが少し吸って、そんなに辛くない。端的に言ってとてもおいしい。


 チキ・タを飲むと、口の中の脂気が流されて、とてもさっぱりする。


 それらをひとしきり食べたり飲んだりしてご機嫌になった我々は、そのまま村のリーダーの家に泊まることになった。

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