3 イェルクィの密林 内海の泥と神

3-1 ツィア・ノリクィの街

 ベリルが案内してくれたその集落――いや、集落というよりは街、という風情のところは、ツィア・ノリクィという地名らしい。大きな市場があり、そこでは見たこともないような色の魚や、どうやって食べればいいのか分からないほど硬そうな木の実が売られていた。神都の通貨は使われておらず、物を手に入れる手段は物々交換のようだ。


 沼鳥を降りて、街の様子を眺める。市場こそ物々交換のようだが、至って都会的だ。俺の故郷のルユトク村よりずいぶんと栄えているように見える。


 ベリルのところに、ツィア・ノリクィの街のリーダーと思われる男性が現れて、なにやら話している。その男性もダークエルフで、ベリルはなにやらいろいろ喋ると、クオーツ先輩を引っ張っていき、「ユウ・ユー!」と力いっぱい言った。その瞬間拍手が周りから巻き起こった。


 もしかしたらベリルはクオーツ先輩を婚約者とか恋人とか紹介したんじゃなかろうか。見るとシルベーヌ先輩が赤面している。どうしたんです、と声をかけると、

「完全に『愛人』っていうていよ、あの雰囲気」と恥ずかしい顔で言った。事態を飲み込めないクオーツ先輩はポチ目できょときょとすると、

「ユウ・ユーってなに?」と、ベリルに訊ねた。


「ユウ・ユー、こいびと」ベリルは単純にそう説明する。その瞬間、クオーツ先輩は表情を尖ったものにして、シルベーヌ先輩のところにつかつかと近寄り、

「なんとかこいつらに勘違いすんなって教えて」と言った。シルベーヌ先輩も、仕方なく出ていって、

「ユウ・ユー、シウォー」と言った。「シウォー」というのは簡単に言ってNOという意味らしい。街のリーダーはハハハと笑ってベリルの背中をぶったたいた。


 笑うという仕草は本当に全世界共通なんだなあ、ろくに言葉も通じないのに。しみじみと思う。同じことを前も思ったはずだが、しかしそれにしても、どこの民族も感情の表現はほぼ同じである。


「面白いのー。クオーツが男に迫られて困るなど」サザンカ先輩がケタケタと笑った。クオーツ先輩が怒った顔で、

「言葉も通じねー相手に好きだとか付き合ってくれとか言われても困るだけだし!」

 と、強い口調で言った。


「さて、腹ごしらえといくかの」


「無視するなし! でもお腹空いたね」クオーツ先輩、意外とシンプルなのであった。シルベーヌ先輩が、ベリルに二言三言、なにか話しかける。ベリルはどや、という顔をして、

「うまい、フ・ト・サグル。うまい、トト・サ・レ、おしえる」

 と、よく分からない料理の名前を挙げてみせた。ついていくと、小さな食堂についた。まだ若そうな女将さんが、小さな子供をおんぶして料理していて、給仕はこれまた若そうな旦那さんだ。どっちもダークエルフで、肌はつやつやと黒い。


 ベリルが「フ・ト・サグル」と「トト・サ・レ」を五人前注文した。出てきたのは、なにやらどろっとしたものが椀に入ったものと、鶏肉をスパイスをまぶして焼いたものだ。どろっとしているほうが「フ・ト・サグル」で、鶏肉のスパイス焼きが「トト・サ・レ」のようだ。


「いっただっきまーす!」そう言ってサザンカ先輩がいきなり鶏肉に噛みつく。分厚いもも肉にはたっぷりとスパイスがかけられていて、見るからに辛そうだが、大丈夫なんだろうか……と思っていると案の定サザンカ先輩はひどくむせた。


 俺も「トト・サ・レ」に手を付ける。ひと口齧るとしびれる辛さだ。なんの香辛料を使っているんだろう。トウガラシやコショウではなさそうだ。分からないが、辛い。


 シルベーヌ先輩が「フ・ト・サグル」をさじですくってひと口食べる。


「あ、これおいしい」シルベーヌ先輩がなにかを褒めるのは珍しい気がして、俺も「フ・ト・サグル」をひとさじすくって口に運ぶ。なにか甘味のある、コメに似た味の果物が使われた粥のようだ。「トト・サ・レ」で口から火を噴きそうになっていたので、「フ・ト・サグル」の甘味はとてもありがたかった。俺たちが食べている様子を見てサザンカ先輩がけほけほ言いながら椀に手を伸ばす。


 「トト・サ・レ」をひと口食べたら椀の粥をひと口食べ、粥を飲み込んだら「トト・サ・レ」を食べる。それをひたすら繰り返して、どうにか辛すぎる「トト・サ・レ」を食べ終えた。お代を払おうにも通貨という概念がないので、荷物から砂糖を一袋取り出す。女将さんはわんわん泣く子供そっちのけでそれをとると、小さく頭を下げた。


 すっかり夕暮れである。密林の夕陽は木々に隠されて消えていく。


 食事をして腹いっぱいになったので、宿屋を探すことにする。ベリルに、「やどや」と言うと、ベリルは陽気にサムズアップを向けてきた。案内されたのは、古くてぼろっちい印象の小さな宿屋だ。宿泊費は砂糖二袋で明日の朝ごはんまで約束して、二階の部屋に通された。


 木造の建物の床に、なにか家畜の毛で編んだ敷き物が敷かれている。天井からは薄布の、ちょっとしたテントみたいなものが下がっている。


 これはなんだ、とベリルに訊ねると、「サ・ギ・ヤ」と腕を見せてきた。毒虫に刺された痕があり、ぼこっと腫れている。俺たちも服が薄いところが結構虫にやられて腫れていた。毒虫と言っても死んだりするような猛毒ではないらしい。


「あー、なるほど。サ・ギ・ヤって毒虫に刺されるって意味で、要するにこの薄い布は虫除けなわけね」と、シルベーヌ先輩が納得の顔をした。


 ベッドなどはないので、完全なる雑魚寝のようだ。てんでに自分の荷物を枕にして、その敷き物の上に転がった。じめじめと暑い。


 なにやら変な夢を見て若干うなされ気味に目を覚ますと、密林地帯の東の果てから、ゆっくりと太陽が昇ってくるところだった。薄布を通して、明るい南国の太陽を見る。


「雨かな」と俺はつぶやいた。この密林の気候ではどうだかわからないが、ルユトク村は朝晴れていると昼ごろから雨が降りだすのが普通だったからだ。


 窓辺に、一羽の鳥が止まっているのが目に入った。アルナ先輩から手紙のようだ。俺はそっと虫よけの薄布を抜けて、鳥の足にくくられていた手紙をとった。


『そろそろツィア・ノリクィに着いていると思って連絡した。こちらの新聞では、証しの灯し手たちがトイラ土漠を抜けるための手続きが難航しているという状況が報じられている。無理せず、しかしなる早で進んでほしい。旅路の無事を祈る』


 それだけの手紙だったが、急いだほうがいいというのは変わらないようだ。しかし、中央学府探検部は、ただ先を急いで未踏地を進んでいくだけの存在ではない。あくまで、学術的に、各地の風習や食べ物について知っていく必要がある。


 どうしたもんだろ。そう思っていると腕に小さな羽虫が止まり、くちばしのようなものを俺の腕に突き立てようとした。思いきり叩いて潰す。血がぶちゅっと飛び散った。こんな小さな羽虫に刺されてあんなひどい腫れ方をするのか。密林は恐ろしいところだ。


「おー? ゼレミヤ、お前もう起きとったのか。年寄りみたいに朝が早いのう」


 サザンカ先輩があくびをして虫よけから出てきた。手紙を渡す。


「あ、おはようございます。アルナ先輩から手紙が来てます」


「なになにふむふむ。証しの灯し手どもがトイラ土漠の前で足止めを食らっておるのか。きひひひ……あがいても遅い。先にエポリカ火山に着くのは儂らじゃ」


 どこから来るんだろう、この無根拠な自信は。


「どうします? 急いで出ますか?」


「そうは言ってもこの街でも調べることはいろいろあるでな。どんな食品が当たり前なのかとか、どんな酒が飲まれているのかとか、どういう神をあがめておるのかとか……四日滞在できる予定じゃし、のんびり行こう。証しの灯し手がトイラ土漠を越えるのはまだまだ先じゃよ」


「なんでですか」


「そりゃあ、神都の政治家たちは、証しの灯し手たちをまるで信用しておらんからじゃ。要するに言ってしまえばならず者に世界を探検する権利を与えただけだからの。読み書きもできるか分からんような連中に世界征服の片棒を担がせるのに拒否感のある政治家が多いのじゃよ」


 なるほど。そういう話をしていると、クオーツ先輩とシルベーヌ先輩も起きてきた。


「おはよー」クオーツ先輩がゆるい口調で挨拶してきた。シルベーヌ先輩はあくびをして、

「きょうはここら辺の神話とかについて調べてみようと思うのだけど」と提案してきた。


「構わんよ。儂は儂で、あのえらく硬そうな果物をどう食べるのか調べたい」


「ウチは建築物の構造かな……ここの建物、どこもすごくおしゃれだし」


「え、で、でもそんなバラバラで言葉通じますかね。ガイド一人っすよ。シルベーヌ先輩がいくらかここいらの言葉を話せるっていっても厳しくないすか」


「ゼレミヤ、あなたちゃんとここいらの人の言葉聞いてた? 名詞こそ複雑なウィ語だけど、よく聞いてると案外神都の言葉も通じてるわよ」


 シルベーヌ先輩に注意されてしまった。


「まあそう責めなんでもよかろ。ゼレミヤは儂らを心配してくれたんじゃし。それに初めて訪れた土地での単独行動が危険なのは変わらんしな」


「じゃあやっぱり団体行動しかねーんじゃね。それぞれてんでに調べたいこと調べながらの団体行動ってやつ」クオーツ先輩がそう言い、きょうは調べ物をして過ごすことが決まった。


 俺たちが話していると、ベリルも起きてきた。現地ガイドなのにのんびりしすぎだ。ベリルが起きてくるなり、シルベーヌ先輩がベリルを捕まえて、

「ユウユウとユウ・ユーの違い、ちょっと教えてもらえない?」と訊ねた。ベリルは、

「ユウユウ、かたおもい。ユウ・ユー、こいびと」と答えた。どうやら少し発音に差があるらしいのは俺の耳でも聞き取れた。


 なるほど納得の顔をするシルベーヌ先輩を見て、勝手に納得せんでくださいと思った。

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