2-2 先輩たちとの遭遇

 奥に行くと、「女湯 男湯」という風呂屋みたいなのれんがかかっていた。なんだこれは。誰かがふざけておいたとしか思えないし、そののれんがかかっているのはひとつのドアだ。どっちか左右に分かれているとかそういう感じではない。そのまま進む。見たときは正直番兵と噓つき番兵のロジックでもあるのかと思ったがそういう知恵試しはないようだ。


 噓の噓を言わせる、という有名な知恵試しは本で読んだが、さすがに中央学府の学生には当たり前すぎたのだろう。とにかく進んでいくと、なにやら見るからにぼろっちいドアに突き当たった。


 そこには、「探検部 部室」と、汚い字の表札がかかっていた。


 俺は、「やったぜ!」と声を上げて、そのドアを力いっぱい開けた。


 ドアを開けて入ると、桃色の髪をおかっぱにした、愛らしい見た目の、一見性別不明の人が、静かにソロバンをはじいていた。やったぜ、と声を上げてしまったことをちょっと恥じる。


「――新入部員かい?」


 そう訊ねられて、「あ、はい」と答える。その性別不明の人物はソロバンをはじく手を止めて、

「いまは部長が留守なんだ。おなか減ったって言って出ていったから当分戻ってこないよ。きみ名前は? 正直番兵と噓つき番兵を突破してくるとなるとそこそこ頭はよさそうだけど」


「ゼレミヤと言います……正直番兵と噓つき番兵、いなかったですけど」


 性別不明の先輩は頭痛を催した顔をして、

「――サザンカのBBAめ。出入りがいちいち面倒だから番兵システム停めていったな。ちきしょう」と、可愛いくせに案外口の悪いのを披露した。


「あ、ごめんね、いきなり悪態ついてるの聞かせちゃって。僕はアルナ。院の一年生だよ」


 おお、院生。分厚い眼鏡からは知性の光が感じられる。


「よくたどり着いたね、だいたいの人が危険物倉庫でヤバいと思って諦めるらしいけど」


「だってあんな見え見えの噓あります?」


「見え見えだったか。生半可な気持ちでくるとね、本当にヤバいもの置いてあると思うらしいよ。危険物倉庫、さすがに中央学府規模になると呪術兵器なんかもあったりするから」


「じゅじゅつへいき?」


 俺がそうオウム返しすると、アルナ先輩は目を回した。


「知らないの? 人間を呪ってグチャグチャの塊にしちゃう兵器だよ。村ひとつ焼き払うのに一分かからない兵器だよ!」


 中央学府にはそんなヤバいものがあるんですか。勉強になります。そう言うとアルナ先輩はまた頭痛を催した顔をして、

「まあそれくらいの蛮勇が、探検部の部員に求められる資質だけど……」

 と、ため息をついた。椅子にかけるように勧められたので座り、アルナ先輩は椅子から降りて、見たことのないオレンジ色のお茶を出してきた。


「これ、イシュトマから取り寄せてるお茶でね。頭痛と鼻詰まりによく効くんだよ」

 ガラスのカップをしみじみとみる。なにやら甘い香りがする。頭痛も鼻詰まりも患ってはいないが、ずっとひと口すすると甘くて優しい味がして、少ししてからぴりっと酸っぱい味もした。イシュトマ王国は北のほうにある、神都勢力に従わない国家だ。


「うまいっすね」


「それはよかった。それで、本気で探検部に入りたいの?」


「そっす。俺、中央学府にきてカルチャーショックを受けて、どうせ死ぬなら華々しく死にたいなあと」


 素直に、なにでカルチャーショックを受けたのか説明する。アルナ先輩はアハハと笑った。


「気持ちは分からないではないよ。周りがどんどん進んでいくのに置いていかれるのは、悲しいことだからね――中央学府は、みんな『意識』の塊だからね。でも本当は、君みたいに純粋に『知識』を求める人間だっていてもいいはずなのに」


 なんだか、心がスッキリする話だった。


「歓迎するよ。ようこそ探検部へ。探検部は来るもの拒まず去るもの追わずの部活だ。とりあえず部長がいないから、ハッキリしたことは言えないんだけど」


 アルナ先輩はお茶をすする。


 探検部部室は、奇妙な安心感のある部屋だった。窓はなく閉塞感があるが、しかし部屋にはお茶の甘い香りが立ち込めていて、あちこちに置かれた先輩方のお土産と思われる得体のしれない民俗資料、仮面だとか木彫りの像が存在感を放っている。かなりゴチャゴチャしているが、そのゴチャゴチャした雰囲気がとても居心地がいい。


「ちきしょうBBAども、どこまでお昼食べに行ってるんだ……?」


「BBAども、ってことは年上の女の先輩がいるってことですか」


「うん。探検部の主なメンバー。サザンカっていう、中央学府設立の年から中央学府にいるマジモンのBBAと、そこそこのBBAのクオーツとシルベーヌっていうのがいる」


 中央学府設立の年からいるって、もう教授になる年齢では。俺はとても呆れて、ついでにさっきのローブの男性を思い出す。ローブの男性についてアルナ先輩に訊ねると、

「うーん。スタキス学長じゃない?」との答え。


 学長って、そんなすごい人が当たり前みたいに俺に話しかけてきたのか。


「スタキス学長はサザンカとはドのつく腐れ縁だからね。何度も、そろそろ卒業して教える側に回ってくれないかって打診されてるらしいんだけど、サザンカは四十年生を過ぎるまでは卒業する気はないって突っぱねたんだ」


「四十年生」白目になる。


 というか、中央学府設立の年はたしか三十八年前なので、そんな昔に女の人が中央学府に入学していたということに驚きを隠せない。俺の故郷では、手習い場にいくのは男ばかりで、女は家事労働のために家に残るのが当たり前だった。


 それを言うと今度はアルナ先輩が白目になった。


「なにそれ、いつ時代なの?」


「神都では女が学問するのは普通なんです?」


「男女関係なく勉強するのは当たり前だよ」


 すごいところに来てしまったものだ。そう思った。


「おぉいアルナ! お前の言っとった食堂、盛りがショボかったぞ! おもわずご飯お代わり自由を底が見えるまで食べて店員さんに睨まれてしもうたではないか!」


 幼い女の子の声。ドアのほうを振り向くと、小柄な狐耳の少女が入ってきた。その後ろには、見事な巻き角の有角人の女の人と、ダークエルフの巨乳美女。


「そりゃサザンカの食欲が異常なだけだし。アルナ悪くねーし」


 ダークエルフがそう言って肩をすくめた。どうやらこの獣人族のちまいのがサザンカ先輩らしい。サザンカ先輩はぷりぷり怒りながら入ってきて、俺に気付いた。


「……お? 新入部員か? とれとれピチピチの一年生か?」


「あ、は、はい。ゼレミヤといいます。よろしくお願いします」


 頭を下げる。サザンカ先輩は俺の顔をまじまじと見て、「よい面構えじゃな」とつぶやいた。


「して、アルナ。こいつはどこに配属するんじゃ?」


「事務方には向かないと思うから、サザンカたちが連れていってよ」


「は? こんなすぐ死にそうなのを?」

 と、有角人の先輩。すぐ死にそうってなかなかひどい意見だ。俺は、

「剣の腕には自信があります」と答えた。すると有角人の先輩は、

「脳筋じゃない」とひどいことを切り返してきた。脳筋て。


「あのねえシルベーヌ、そもそも中央学府に入れてる時点で脳筋じゃないんだ。文武両道大いに結構ってやつじゃないのかい」


 アルナ先輩の言葉から察するに、どうやら有角人の先輩がシルベーヌというらしい。


「そうは言ったって頭が悪そうですぐ死にそうな顔してるじゃない」


 あんまりな扱いである。その根拠はなんですか。そう訊ねると、

「カンよ。勝手なイメージというやつね」

 と身も蓋もないことを言われてしまった。勝手なイメージで頭が悪そうですぐ死にそう扱いをするとは、なかなかひどい先輩である。


 まあ、村で一番勉強ができるとか、村一番の剣士だとか、そういうのがなんの役にも立たないのは、中央学府に来て痛いほど味わっている。確かにすぐ死にそうというのは、俺は世をはかなんで探検部に入って、華々しく死にたいと思ったわけだし、脳筋というのも、中央学府の意識の高い学生の間で一人だけ「お勉強」をしたいという理由で中央学府に入ったわけだし、どちらも確かにその通りかもしれない。


 しょげていると、ダークエルフの先輩が、

「そんな落ち込むなし。シルベーヌの口が悪いのは昔からだからね。あたしクオーツ。よろぴく」と、元気に挨拶してきた。見た目の印象通りの口調だ。


「あ、はい、どもっす」


「儂はサザンカじゃ。前人未踏の四十年生を目指しておる」


 すごい人だな。俺はサザンカ先輩にも頭を下げた。


「ねえアルナ、本当にこれ連れてかなきゃないの? なんだか不安なんだけど」


「それを言うならシルベーヌ、君の力は索敵くらいのもので戦闘中は『眷族』の動向を探るぐらいしかできないじゃないか。君よりずっと実戦向きだと思うよ」


「まあそうだけど――本当に大丈夫?」


「いーじゃんシルベーヌ、剣士ってことは前衛が増えて戦いやすくなるんじゃね。ありがたいじゃん」クオーツ先輩がニコニコしてそう言う。


「でもまだ実力というものを見てないわよ」


「シルベーヌは後輩に容赦というものがないのう。どこかで軽く腕試ししてみるかの」

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