2 なんで俺たちは未踏の地をゆくのか

2-1 入部のきっかけ

 沼鳥は一定の距離をあけて走っているので、先輩たちとおしゃべりすることはできない。しかし器用にでこぼこを乗り越え沼地を泳いで進んでいく沼鳥は、密林の移動手段としては最適だ。


 俺は、見たことのないこんがらかった木の生えているのを眺めながら、ぼんやりと、中央学府のことを思い出していた。


 俺はルユトク村で初めて中央学府に進学した。ルユトク村はこの間まで滞在していたエトク平原にある小さな村だ。村人は手習い場に行くくらいの学問しか身につけないのが普通だったが、俺は学問が楽しくて仕方のない変わった子供で、手習い場に通う歳でなくなっても、手習い場で本を読むのが大好きだった。みんな初等学校で辞めるなか、俺は中等学校に入った。


 そこで、中等学校の先生に、隣村の高等学校に進んだらどうか、と言われた。もう高等学校に通い始める歳から半年経っていたけれど、高等学校でも俺は成績が一番良かった。


 高等学校をちゃんとした成績で卒業するにあたって、高等学校の先生に「中央学府に行ってみないか」と勧められた。俺の家は貧しいのでそれはムリです、というと、奨学金というものがあるのだと説明された。奨学金は中央学府から学生に支払われる、学生の暮らしをまかなうお金で、奨学金を貰うと中央学府の学費はタダになるのだという。俺は勉強がしたくて、それを受ける審査に応募し、試験を受けてみることにした。


 結果、奨学金は通り試験も通り、俺一人ぶんの食い扶持を家から減らして神都に出ていけることになった。家族は普通の働き手が欲しかったようだったが、しかし村から初めて中央学府に行く子どもが出たのだから、と喜んでもくれた。


 で。


 中央学府で、俺はものすごいカルチャーショックを受けるのである。


 中央学府にたどり着いた俺は、勉強ができることにワクワクしていた。もっと難しい数学の問題を解けること、もっと難しい古い言葉を学べること、そういうことにとてもとても、ワクワクしていたのだ。しかし、中央学府は手習い場や高等学校とはぜんぜん違った。


 学生の一人一人が、学ぶ「目的」を持っていたのである。


 寮で同じ部屋になったアザブというやつは、神都生まれ神都育ちの都会っ子で、機械工学を学び神術機械を作る技術者になることを目指していた。ほかにも、言語を極めて文章を書く仕事に就きたいだとか、数学を極めて宇宙の成り立ちを紐解く仕事に就きたいだとか、とにかくみんな、「なりたいもの」があったのである。


 俺はショックだった。


 村で一番頭のいい俺が、ただ「お勉強」をするために中央学府に入ってしまったのだ。


 俺は勉強したい、という以外に中央学府に入る理由を持っていなかった。なにかを極めたいとか、こういう仕事に就きたいとか、そういうことをなんにも考えないで、ただ勉強がしたい、という子供みたいな考えで中央学府に入ってしまったのである。


 衝撃だった。入学後の自己紹介ののち二日寝込んで、起きてきて二日飲んだくれた。頭痛に苦しみながら、こんな格好悪い、田舎者だとすぐばれる程度の人間だというのが恥ずかしくて、そのまま寮の部屋で首を吊ることまで考えたが、やっぱり死ぬのは怖かった。


 授業にも出ず、ベンチに腰掛けて暗い顔をし、昼になって学食のパンを食べ、また暗い顔をし……というのを数日続けて、さすがに同じ部屋のアザブに心配された。アザブは校舎表門で配っていたという部活動のチラシを俺に渡してくれた。


 園芸部。ボードゲーム部。美術部。弓道部。郷土史研究会。漫画同好会。どれも惹かれなかった。俺の精神エネルギーはかなりすり減っていて、楽しいと思えることがなにもなかったのだ。こんなんじゃいけないと思いつつ、チラシを次々眺めていくと、


「中央学府探検部 部室にたどり着く猛者を待つ」というチラシが混ざっていた。


「……アザブ。探検部ってなんだ?」


 俺はそうアザブに訊ねた。アザブはちょっと考えて、

「『証しの灯し手』みたいなことをする部活らしいよ」と答えた。「証しの灯し手」といえば、神都に組織されて世界の果てを探す職業で、実質無法者みたいなやつらのことだ。


 そんなことを、中央学府の学生がやっているのか。


「部室にたどり着く猛者を待つ、っていうのはどういうことなんだ?」


「あー……よく知らないけど、探検部の部室って部室棟じゃなくて、別のところにあるらしくて、たどり着くだけでも大変だっていう噂だよ」


 アザブはそう答えて、俺を無視して羊皮紙を広げてなにか書き始めた。羊皮紙と言ってもルユトク村で見るようなものでなく、きちんと神都規格に切りそろえられたものだ。


 俺は考えた。「証しの灯し手」というのは無法者で、剣や弓や石火矢を使って眷族と戦うのも仕事のうちだ。俺は村で一番勉学ができるだけでなく、剣の腕も一番だった。


 どうせ死ぬなら華々しく死にたい。俺はそう思い、探検部の部室を探してみることにしたのである。


 講義なんかぜんぜん行かないで、探検部の部室について聞き込みをした。どうやら中央棟の奥にあるらしいということが分かった。中央棟は大講堂があり、入学式や卒業式をするほかに、年に一回学長先生のながぁいお話を聞かされるそうだ。とにかくそんなことはどうでもいい。いまは探検部だ。探検部に入って、俺は俺の「なりたい自分」を探したいと思った。


 中央棟をうろうろしていると、白髪頭の壮年男性に声をかけられた。


「授業にも出ないでなにをしているのかね」

 きっと偉い先生なんだろう。俺は少し考えてから、

「俺はルユトクから来ました」と、ここまでのあらすじを説明した。


 男性はふむふむと俺の話を聞いて、「そこまで生き急ぐことないんじゃあないのかね。探検部に入らなくてもなりたいものを探すことはできるはずだ」と、やんわりと探検部行きをブロックしてきた。


「でも、俺は探検部のチラシを見て、勇気をもらったんです」


「勇気、か」男性は煙草に火をつけた。中央学府の関係者で煙草を喫う人を初めて見た。


「俺みたいなダメなやつでも、探検部ならきっと――役に立てると思ったんです」


「……役に立つとか、立たないとか、そういう文脈で人生を語ってはいけない。人は一人一人、尊厳をもって生きる権利がある。それを、探検部で無駄に使ってしまうのが、果たしていいことなのかね?」


 さすがに中央学府の関係者は頭がいい。俺はしばらく、それを上回る答えを考えて、

「俺は、俺にとっての尊厳は、新しいものを見つけることです」

 と、そう答えた。男性は煙草の煙をふうと吐き出した。


「それなら生物学や機械工学を学んでも、新しいものは見つかるんじゃないかね?」


「……なんていうか、俺は、……回り道をしたくなくて」


「回り道……なるほど。なかなか賢いな、君は。探検部に入れてしまうのが惜しいくらいだ」


 男性は煙草を持った指を鳴らした。神術で煙草が消えた。


「探検部は留年上等退学上等でやっているアナーキーな部活だ。行って青春を無駄遣いしないように気を付けたまえ。私の同期も一人、いまだに学生をやっていてね――教授になっても構わない歴を持っているのに、世界中の旨いものを食べて回りたいという理由で探検部の学生をやっている。そういうふうにならないように。ちゃんと卒業してしかるべき職に就くように」


 男性は、長いローブをひるがえして去っていった。


 ぽかん、と、アホみたいに口を開けてひとりその場に残る。探検部部室を探すのはまだ途中だ。中央棟の奥へと進んでいくと、「危険物倉庫」という部屋があった。怪しい。危険物、たとえば薬学に使う眷族の体だとか、神術機械に使う特殊な部品だとか、そういうものがあるのは分かるが、しかしなんでそれが大講堂と学長室と事務室が主の中央棟にあるのか。あるとしたらそういう学科の実験室の近くにあるのではないか。明らかに怪しい危険物倉庫をそっと開けてみる。


 いまにも雪崩を起こしそうな書籍の山があった。どの本もデタラメに面白そうだが、一冊でも取ったら崩壊して埋められてしまうだろう。そっとそこを抜けて奥に向かう。

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