1-7 エトク平原を出る
毒が消えたとはいえまだ若干寒気もするし、本調子ではないのだが、スープを飲むと体が温まった。この野菜は神都のネギとかニラに近いもので、ト・クと呼ばれていた。俺の故郷では、神都の白菜に近いものを、年寄りたちがト・クと呼んでいたので、ト・クはだいたい野菜、という扱いでいいようだ。
「はー……すっかりお世話になってしもうたのう」と、サザンカ先輩が村長にぴょこりと頭を下げる。村長は照れくさそうな顔をして、
「ウーズを倒してもらった。村の戦士が何人も怪我して畑や田ができなくなった。ありがとうはこちらがいわねば」
と、そう言った。その後、誰かが酒を持ってきて、盛大な飲み会になった。歌ったり踊ったりわあわあ騒いで、みな疲れてぱったりと寝てしまった。
その晩俺はひどくうなされた。まだ毒が消え切ったわけではないようだ。次の朝起きると、サザンカ先輩が噛んでいた元気の出る葉っぱを、村長に渡された。
「それ噛むと、ウーズの毒がうすれる」
そういうわけでその葉っぱを嚙んでみる。口の中でしゅわしゅわして、ずしんと重かった頭が少し軽くなった。うなされていたのもだんだん忘れていく。でもこれ中毒性とかないんだろうか。
翌朝、魚の入った粥を食べ、村長やザラメ婆様、村の人たちに礼を言い、俺たちはつぎの目的地に向かうことにした。ちょうど、未踏地から運ばれてきた果物の市が立っていて、たくさんの商人たちが集まっていた。誰か連れていってくれる人はいないものか、訊ねて回る。
「未踏地と言っても、神都の『証しの灯し手』がいってないだけで、あんがい普通に行ってるみたいじゃね」と、クオーツ先輩が言う。シルベーヌ先輩が頷き、
「だってここから先、イェルクィの言語体系の本が出てるくらいだもの。もちろん公式なものではないけれど」と、キョロキョロする。
イェルクィ。俺たちの目指す次の土地の名前。
なんだかワクワクした。シルベーヌ先輩が丁寧に、集まっている商人に声をかける。ぜんぜん聞いたことのない言葉だ。後から聞いたらその言葉はウィ語というらしい。
市にいる商人たちは、半分がクオーツ先輩とおなじ、肌の黒いエルフだ。エルフは高潔で優雅で理知的、というイメージだが、しかし肌の黒いエルフはクオーツ先輩を見ればわかるようにただのギャルかギャル男、でなければいわゆるパリピである。
「うーんなかなか連れてってくれるって人はいないわね」
シルベーヌ先輩が難しい顔をした。歩いて移動することになるのだろうか。イェルクィは密林地帯で、歩いて移動するのは骨が折れる――と、シルベーヌ先輩が読んだ言語の本にあったらしい。なにで移動するのかと言うと、沼鳥と呼ばれる、走るのも泳ぐのも得意な鳥に乗るのだそうだ。
沼鳥は本当に乗り物として重宝されているらしく、市では沼鳥を売っている人が結構いる。路銀に余裕があれば買っていって乗るのだが、しかしそれができても村にたどり着くのは難しいだろうし、そもそも路銀がない。俺たちは中央学府の学生なので、学校の有志の寄付で活動しているのだ。
どうしたものか話し合っていると、一人のエルフが声をかけてきた。クオーツ先輩を見て、
「ユウユウ」と、イェルクィの言葉で話しかけてくる。なぜかシルベーヌ先輩が赤面した。
「なに赤くなってんのシルベーヌ。なんて言ってんのこいつ」
「ナンパよ! これ間違いなくナンパよ、『ユウユウ』って『かわいい』とか『愛しい』って意味よ! 破廉恥な!」シルベーヌ先輩がデカい声でそう言う。エルフの男はハハハと笑って――笑うという動作は世界共通なのだなと思った――、クオーツ先輩の肩に手をかけると、
「沼鳥、乗るか?」と、下手な神都語で話しかけてきた。クオーツ先輩はぱっと肩にかけられた手を払って、
「ここにいる、四人。みんな乗れるか」とゆっくり言った。
「できる。沼鳥、売れ残った」エルフは肩をすくめる。やった、移動手段ゲットだ。
「ツィア・ノリクィまで」と、シルベーヌ先輩が言うと、その若い、俺とあまり変わらない年齢に見えるエルフは頷き、「イェルクィ、どこでも、つれていく」と答えた。
おおやったあ。現地ガイドゲットだ。
現地ガイドに名乗りを上げたエルフは、ベリル、と名乗った。本名はクリソベリルというらしいのだが、エトク平原のように神都語が馴染んだ土地だと「クリソ」が「クソ」に似た音に聞こえてしまうので、通りがいい「ベリル」という名前を使っているらしい。
出発の支度をしていると、村長におんぶされてザラメ婆様が現れた。俺たちに頭を下げ、
「ユグルトゥ」と、感謝の挨拶をしてきた。
「い、いえ、こちらこそ――ユグルトゥ。ザラメ婆様がいなかったら、俺は死んでいました」
「ユグルトゥ。ザラメ婆様のおかげでたくさんのことが分かりました。もう『大きな卵』、いや『コー・ミ』のことはザラメ婆様がいなかったら分からなかった」と、シルベーヌ先輩。
「ユグルトゥ。ウチらみんな、ザラメ婆様が好きだよ」と、クオーツ先輩。
「ユグルトゥ。この村は飯がうまかった」と、サザンカ先輩。
「――この大陸の学問のために、命をかけて旅をする学生さんのことを、私はずっと忘れませんよ。これからも励んで、よい学問を修めてください。道は険しいかもわかりませんが、ずっと無事を祈っていますよ。コー・イーン・ミ」
ザラメ婆様が丁寧にそう挨拶する。俺たちも頭を下げ手を合わせるエトク平原式の挨拶をする。みなで「コー・イーン・ミ」と別れを惜しんでから、退屈そうな顔をしたベリルのほうに向かった。俺が荷物をかつぐ。重たい。
「ほー! 沼鳥というのは鞍を置いて乗るのか! 馬みたいじゃな!」
「うわー……これスピード出たら怖そう」シルベーヌ先輩はそう言っているが、クオーツ先輩がひょいと乗ってみると、沼鳥は少しぴょんぴょんしてから結構な速度で歩き出した。早さとしてはトカゲ車とあまり変わらないだろう。
「はやくいこーよ! ほらほら!」
クオーツ先輩が楽しげにそう言うので、シルベーヌ先輩もサザンカ先輩も沼鳥にまたがる。俺もよいしょ、と沼鳥に乗るが、重かったらしく沼鳥は「ギギギ」と不愉快そうに鳴いた。それでも沼鳥は、ぐっと踏ん張っている。結構重たくても平気なようだ。
「ついてこい」
ベリルがそう言い、先頭を走りだす。よく見ると沼鳥はルーズなロープでつながれていて、一列で走って進むことができるようだ。
しばらく慣れない揺れに目を回しつつ、俺たちは未踏地イェルクィの密林へと進んでいった。その先になにがあるのか、とてもワクワクしながら。
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