1-4 アリアクのザラメ婆様
やっぱりエトク平原の景色は単調である。
途中シェタク川を渡る時、車を引くトカゲはざばざばと泳ぎ、車はぷわぷわと浮いた。こんなふうになっているのか。合理的だ。俺が中央学府に入学したとき、俺がトカゲ車に乗ったのはシェタク川を渡ってからだ。俺の故郷、ルユトクは川岸の村である。
シェタク川――エトク平原の民は「シェタクの大河」と尊敬を込めて呼ぶ――を渡っても、エトク平原の景色はびっくりするほど変わらない。村を通りかかるたびにグーが立ち並び、子供や年寄りが水路で水浴びをしている。のどかだ。
そしてトカゲ車には大量の物資が積まれているため、神都からメルクに向かったときのような速度が出ない。かなり遅い。いったい何なんだ、この物資は。
「そりゃあ神都名産の機械織りの布やら神都の書物やらだよ」と、行商人。
書物と布なら遅くても仕方あるまい。どっちも重たいからだ。
オオトカゲはしつけ方がわるいのかギーゴーと声を上げながら進んでいく。とてもだるい旅路が三日ほど続き、どうにかアリアクにたどり着いた。すっかり夕方になっていた。
トカゲ車に乗っている間に中央学府のアルナ先輩に鳥で連絡して、アリアクの人々に連絡を取ってもらっている。すんなりいくだろう、とトカゲ車を降りた。
アリアクは古いグーと民家が並ぶ、いかにもエトク平原の田舎といった風情の村だった。子供たちも上半身裸が当たり前で水遊びをしていて、大人も田畑の仕事を終えて戻ってきたところ。これから女たちが煮炊きして夕飯、というタイミングだ。
「あんたがたが中央学府から来た学生さんたちかい?」と、村長にへたっぴな神都語で質問された。そうですと答えると、まあ食えと食事に参加させられた。
米をリュクの汁で炊いたものだ。炊くとき一緒に大きな川魚を加えてある。リュクの甘酸っぱい香りが食欲をそそる。ひと口食べると川魚の白身が柔らかい。魚からでた出汁で、米全体が味付けされており、ものすごくおいしい。
「ふむ旨いのう。これはなんという料理なんじゃい?」
「グーグー・ク」と、村長。料理自体に名前はないらしい。
基本的にグーグー・クというのは「ごちそう」という意味で、宴会を意味する「グーグー・ジ・ク」は、「ごちそう」という言葉に酒を表す「ジ」が入ったものだ。
酒も出てきた。今度はリュクと米をいっぺんに発酵させたもので、ぷくぷくと泡立っている。飲むと喉がすーっとする。うまい。
すっかりグーグー・ジ・クを楽しみ、詳しい調査は明日からすることにした。
村長の家に泊めてもらう段取りも整っていて、メルクと同じく薄っぺらい布をかけて寝た。メルクの村より気候はわずかに暖かい。
翌朝、ニワトリの声でたたき起こされた。この村ではニワトリを飼っているらしい。俺の故郷のルユトクではニワトリは飼われていなかった。なので俺は神都で初めてニワトリを見たクチである。
家を出ると小さな女の子がニワトリの卵を拾っていた。それを母親に渡すと、なにやら祈りの言葉を唱えてから鍋に卵を割り入れた。じゅうっと音がして、それに干潟で採れる海藻から作った調味料をぱっぱっと振りかける。
アリアクは海や干潟からは比較的遠いはずなのだが、どうやら海のほうから交易のようなことをしているらしい。完全に閉ざされた土地というのは基本的にないのだな、と俺は思った。
朝食は焼いた玉子に調味料を振りかけたものと、きのうの「グーグー・ク」の残りの握り飯だった。どちらもうまい。海藻から作った調味料は海の香りがする。
海藻から作った調味料の名前を訊きだそうとシルベーヌ先輩がやっきになっていたが、結局うまいこと話が伝わらなかった。エトク平原出身の俺が聴いていた感じでは、どうやらこの海藻から作った調味料はつい最近発明されたもので、干潟の村では神都式の「海の素」という名前がついているようである。
「これ神都に持ってったらいい値段で売れるんじゃね?」と、焼いた玉子をモグモグしながらクオーツ先輩は言う。なるほどたしかに神都名物の揚げイモに振りかけたらうまそうだ。
「玉子がこんなに旨いとは思わなんだ。ここのニワトリはなにを食べておるんじゃ?」
サザンカ先輩の質問をシルベーヌ先輩が通訳し、村の奥さんに訊ねる。
俺でも聞き取りづらいくらいの強いクー語訛りだった。聞き取れたところによるとニワトリのエサは「メ・ク」、つまり米。おそらく人間の食べられない古い米を与えているのだろう。
食事のあと、シルベーヌ先輩は村長に「大きな卵」を知っている人はいないか、と訊ねた。
「大きな卵。ザラメ婆様が知ってる」村長は神都語で答えた。案内されたのは、村のずっと奥にある、大きな家だった。大きな家とはいえ、エトク平原では家というのは雨をしのいだり寝たりするのに使うだけで、神都のように四六時中家の中にいるわけではない。だからこの家を大きくするというのに違和感があるのだが、どうやらザラメ婆さんというひとは、いわゆる「口寄せ」とか「巫女」とか、霊能力のある人で、敬われておりこの大きな家に住んで身の回りを若い人たちが世話をしているようだ。
「失礼します」ザラメ婆さんの家に入る。薄暗いのが基本のエトク平原の家だが、中には魚の脂を使った灯りが点されていて、明るいがちょっと魚臭い。
建物に入って、その奥に小さく座っている有角人の老婆が、この村でいちばんの尊敬を示さねばならない相手だと俺は判断した。頭を下げ手を合わせ、「アロ・イーン」と挨拶する。ほかの探検部のメンバーも同じように頭を下げる。
「いまどきの若い人にしては、ずいぶんと感心に古い言葉を知っているね」
と、老婆はびっくりするほど流暢な神都語で言った。若いころはザラメ様と呼ばれていて、かつては村中から「アロ・イーン」と挨拶されたものだ、とザラメ婆様は語った。指には石をはめ込んだ指輪をつけ、首にはきらきら光る首飾りをつけている。これは海で採れる貝を細工して作ったもののようだ。
「なぜそんなに神都語がお上手なのですか?」と、シルベーヌ先輩はザラメ婆様に訊ねた。
「子どものころ、手習い場にあった神都語の本を夢中で読んだのよ。言葉を知ることは世界を広くすること。一生村から出ないことになったけれど、いまやっと、こうして役に立った」
ザラメ婆様はそう言い、若い従者になにか茶菓子を用意するように申しつけた。
「訊きたいことはなにかしら?」まるっきし神都の奥様の口調である。
「えっと、『大きな卵』について、伝説を教えていただきたいのですが」と、シルベーヌ先輩はそう言って小さく頭を下げた。ザラメ婆様は、
「『大きな卵』は、クー語でしか説明できないところもあるけれど、それでいい?」
と訊ねてきた。シルベーヌ先輩は「問題ありません」と答えた。
それとほぼ同時に、皮をむいて干したリュクと、玄米茶が出てきた。それをつまみながら、大きな卵の伝説を聞く。ザラメ婆様はリュクに手を伸ばす前に、「ユグルトゥ・イーン・キ」と、古い言葉で「いただきます」と言って、リュクをかじり始めた。
神都は単純に言うと一神教の土地である。神々、というものは邪教とされ、もちろんこの世界は「不完全なる創造者」の作った世界であると信じられている。俺みたいな地方出身の人間でも、手習い場で「不完全なる創造者」の教えを聞かされるので、その土地土地の神々のことは分からない、という若い人は多いのだ。
でも俺も爺さんから昔咄として「大きな卵」の話を聞いたことはあるが、ハッキリ言ってよく分からないという印象しかなかった。それはおそらく俺の爺さんが神都語で言おうとしたからだろう。その土地土地の神々は、その土地土地の言葉で語られねば理解できないのだ。
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