1-2 メルク村の手習い場
酒盛りは次第に歌で盛り上がり始めた。
しかしメルク村で歌われていたのは、神都の流行歌で、楽器も神都のものだ。恐らくシルベーヌ先輩の想像するエトク平原ではない。エトク平原の伝統の歌はないのですか、とシルベーヌ先輩は村長に訊ねた。
「伝統の歌かあ。もう何十年も歌われていないなあ」
「これは文化消滅の危機よ」と、シルベーヌ先輩はへろへろに酔っぱらった顔で鋭く言った。文化消滅の危機て。そんな大げさな。そう思っているとシルベーヌ先輩は大真面目で、
「エトク平原にはエトク平原ならではの豊かな文化があった。それが消滅するということは神大陸から文化がひとつ無くなることよ。言語が、風習が、神話が失われる。これはまずいわね」
はあ。文化のことはよく分からないが、そんなことよりとりあえず宿屋がないので村長の家に泊まらせてもらった。
翌朝頭痛で目が覚めた。飲みすぎたのだ。俺は薄い、草を編んで作った、神都の毛布と同じ用途であるぺらぺらの布から這い出して、まずは水浴びをすることにした。
エトク平原ではだれでも、朝起きたら川や用水路で水浴びをする。久々にエトク平原式の水浴びができるのが嬉しくて何度も水をかぶる。とても気持ちいい。
「オワーッ股間を隠せ股間を! ゼレミヤお前露出狂だったんか!」
クオーツ先輩がそう叫ぶのが聞こえた。クオーツ先輩は黒い肌のとがった耳まで真っ赤にしている。
「あ、わりっス。今服着ます」
「あばばばばば……そんな当たり前に川で水浴びすんなし……」
服を着る。見るとほかの村人は特に水浴びをしていない。
俺は村長に、
「川で水浴びする風習は廃れたんですか?」と訊ねた。村長は、
「年寄りや子供はやるけど、若者から幼い子供の親くらいの世代は恥ずかしがることが多いね」
と答えた。
どうやらメルクではエトク平原の文化がごっそり失われているらしい。街道沿いの村だ、神都の文明がどんどん入ってくるのだろう。俺の住んでいたルユトクとは全然違う。
「なにがどーなってこんなに文化がぽいぽい消えてるのかしら。分からないわ。……もしかしたら、村の手習い場に問題の根源があるのかも」シルベーヌ先輩は難しい顔をした。
「手習い場、ですか」
「手習い場って要するに初等学校でしょう? 初等学校をはじめとする学校制度って、神都の法令で動くじゃない。だから神都の文化が嫌でも流れてくる。よし、手習い場に行ってみましょう。なにか、この文化が失われていく理由が分かるかもしれない」
朝食に、きのうの煮物の汁をかけた米の飯を食べる。うまい。
四人して朝食を食べ終えるころ、子供たちがわらわらと布にくるんだ荷物をかかえて手習い場に向かうのが見えたので、子供たちについていく。
手習い場につくと、神都式の服装をした教師が、黒板を磨いていた。
「あの、すみません。神都の中央学府から参ったものです」
俺がその教師に声をかける。教師は女だ。振り返ってびっくり、俺が初等学校のころ世話になった先生だった。確かヨキ先生といったか。転勤でここに来たのだろう。
「――ゼレミヤくん! すっかり立派になって……中央学府に入ったって言うのを風の噂に聞いて、とても嬉しかったのよ。ところでどうしてここにいるの? 一年生ならまだフィールドワークはないでしょう」
「いえ。俺探検部に入ったんです」
そう言った瞬間、ヨキ先生は眉をきりきりと吊り上げ、俺をきっと睨むと、
「なんでそんな、村の人たちの期待を裏切るようなことをするんですか!」
と、わめくように怒鳴り散らした。よく意味が分からないのでどうしてです、と聞くと、
「中央学府探検部は、留年しても楽しく面白おかしく暮らしたい不良生ばかりです。村の人たちは、ゼレミヤくんがきちんと学んで、四年で卒業するか院に進むかして、村に光明をもたらしてくれることを期待しているはずです。探検部なんて中央学府に入ったことを棒に振るだけです。そんなことは『証しの灯し手』にやらせればよいのです!」
すごい剣幕で長台詞をとなえると、ヨキ先生は先輩三人を眺めまわして、
「どうせガールハント目的で入部したんでしょう」
と、冷たい口調で言った。先輩たちは少し考えてから口を開いた。
「そもそも、なんで『証しの灯し手』をそんなに見下してんの? この世界はまだ生まれて四〇〇年しか経ってなくて、『証しの灯し手』は人類の生息できる土地を探すという崇高な任務についてる人たちじゃね?」と、クオーツ先輩。
「それにゼレミヤの人生を、なんであんたが決めるのじゃ? ゼレミヤは村に光明をもたらすことより、未踏地を歩き世界の形を知ることを望んだのじゃぞ?」と、サザンカ先輩。
「そもそも、初等学校の教師って、高等学校出てればなれるんでしょ? 自分より学歴あるひとが楽しそうにしてるのが腹立たしいだけなんじゃなくて? サザンカ、このヨキ先生ってひと、中央学府にいたことある?」と、シルベーヌ先輩。
「創立から三十八年、ずっと新入生の顔と名前を覚えておるが、このヨキとかいう人は見たことがないのー」
ヨキ先生は顔を真っ赤にして、目をばちばちしながら、
「――それで、わざわざこんな学歴のない人間になんの用ですか」
と卑屈な口調で言ってきた。
「わたしたちは、エトク平原の文化を収集しています。しかし、このメルクでは、それは次第に失われて、もう『古い言葉』みたいな表現になっていますし、古い歌を知る人もいません」
「それがどうしたんです? 古いものは駆逐されるべきでは」
はあーわかってねーなー! の顔をして、シルベーヌ先輩はさらに言う。
「この初等学校で、なにか、本来あるべき文化の駆逐が行われているということですか?」
「行政は、神大陸全体の文化の底上げを行わねばならない、古い俗習は排除する、と決めているので、我々公務員はそれに従うだけです。それがなにか?」
「それがどれだけ価値あるものを失っているか、考えられたことはないのですか?」
「俗習に価値なんてないでしょう」
そんな押し問答をしているところに、バラバラと子供たちが入ってきた。
「先生、アロ!」
「アロ!」子供たちは口々にそう叫んでいる。アロ、というのはエトク平原で使われる挨拶の言葉だ。時間を問わずいつでも使える。
「アロなんて汚い言葉を言ってはいけません」
ヨキ先生はそう言った。俺が初等学校に通っていたときと同じ口調。
「小さい子供は祖父母の世話をうけて育つので、どうしても古い言葉が消えないんです」
「なるほど。考えはわかりました。それでは失礼」
シルベーヌ先輩が、くるりとヨキ先生に背を向けて歩き出した。俺たちも手習い場を出る。
「これだから国は愚かなのよ」シルベーヌ先輩はため息をつく。村長の家に置いてある荷物から、ノートを取り出して記録していく。
「この調子じゃ『大きな卵』の伝説を調べるのは難しそうね……次の村に期待するしかないかも」
大きな卵。俺もうすぼんやり、小さいころ祖父から昔咄として聞かされた記憶がある。内容はあんまり覚えていないが、宇宙は卵から始まった、という話だった気がする。
「おいゼレミヤ。あれはなんじゃ? 旨そうな木の実がなっておるな」
「あれがリュクです。そのまま食べても酸っぱいだけっすよ。それに村の財産なので、勝手に食べると叱られます」
「そうかー……ほかに何か食べられるものはないのか? あの、畑に落ちておる魚は?」
「あれは食べられない魚っスよ。小さすぎて身がないから、畑に肥料として撒くんです」
「そうかー……ここには美食というものがないんじゃなー」
サザンカ先輩は、どこまでも食いしん坊なのであった。死なずの鳥の話を聞いた時、「生き血を飲むと不老不死になるのであれば、鳥本体を焼いて食えば神になれるのでは」とかなんとか言いだして、それでこの探検の出発が決定されたのであった。
「きのうのリュクで煮た魚が美食っす。当たり前に出てきたんでピンとこないかも分からないですけど」
「ほー! あれが美食かー! 確かに魚はうまかった。脂の乗った魚を甘酸っぱく煮ることで酸味が魚臭さを消していたし脂のにじんだ汁もうまかった」
「あと昨日出てきた酒も完全にご馳走です。米の酒は特に」
「確かに、神都のビールとはぜんぜん違う味であったの。美味であった」
サザンカ先輩とそんなことを話していると、いつの間にかシルベーヌ先輩とクオーツ先輩の姿がない。それぞれ調べたいことを調べているのだろう。その日の昼食に米の飯と魚の焼いたやつを食べて、それからそれぞれの研究成果を話した。
シルベーヌ先輩は、村中の年寄りに声をかけて、「大きな卵」について聞き込みをしたらしい。しかしまともな成果はほぼ上がらなかったという。
クオーツ先輩のほうは、高床式倉庫であるグーの構造や、村の暮らしについて、いろいろな人に訊いて回ったそうだ。水は豊かだが雨の少ない土地、というのが興味深い、と語った。
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