第30話 救出
彰は躊躇なく工場の入り口から中に入る。
八人の男が、ライトやベッドの準備をして、AVの撮影に使うようなセットを準備していた。
梨都は準備している男たちの隣で、アフロパーマの男と一緒に、くたびれたソファに座らされていた。男はハンディカメラを片手に梨都の顔を撮っている。
「へへ、殴られて傷がついちまったが、かわいい顔してるな。細いが出るとこ出てるからいい絵が撮れそうだぜ」
下卑た笑いを見せる男を、梨都はきっと睨んでいる。
「悪さするのもいい加減にしろよ」
彰がたまりかねて、警告を発した。
「あれあれ、どうしてここが分かっちゃったの?」
この前は気後れして引き下がったパンチの長野が、彰に向かって余裕のある表情を見せた。
人数を頼むにしても、何かあると僕は警戒した。
(信長、何かおかしいよ。あいつらこの前より余裕がある)
(お主もだいぶ鋭くなったな。まあ、仕掛けはしれてるがな)
「舐めた口聞いてるんじゃねぇぞ」
彰は長野の態度に切れたみたいだ。
勢いよく近づこうとすると、長野が銃のようなものを取り出した。
ボウガンだった。
「おっと、待てよ。身体に穴があいちゃうよ」
彰はボウガンを見て立ち止まる。
「卑怯だぞ」
「もう、拳でゴンゴンやり合うのは飽きちゃったんだよ。高かったんだよね、これ」
人は相手より絶対的有利な武器を持つと、気が大きくなるというが、まさに今の長野がその状態だ。
ボウガンの持つ凶悪な力に酔っている。
(フッ、何を出すかと思えば)
この絶対的な武器を前に、信長は心の中で笑ってみせた。
「彰、ちょっとどいてくれ」
信長は床に落ちていた五十センチぐらいの細い鉄パイプを手にして、彰の前に出た。
「慎也、どうする気だ」
彰が心配して声をかける。
「まあ、まかせろ」
信長はこの状況で、全く動じずに、無造作に前に進む。
「この野郎、それ以上近づくと撃つぞ」
長野はボウガンを見ても動じない信長に、先ほどまでの余裕が消え、慌て気味に威嚇した。
「いいから早く撃て」
信長は煽るように射撃を催促する。
「てめぇ」
長野は信長に向けて狙いをつける。
「やめてー」
梨都がパニックになって叫ぶ。
信長がおかまいなしに進むと、三メートルぐらいに間合いが詰まったところで、長野は耐えきれずに引き金を引いた。
(あっ)
慎也は思わず叫んでしまったが、矢は信長を頭上高く逸れて、工場の壁に突き刺さった。すごい威力だ。
長野は外れたことに気づいて、慌てて二の矢をセットしようとするが、間に合わず信長が目の前に来た。
「素人がそういうものを使うときは、刀を突き刺すぐらいの距離で使うものだ」
信長は鉄パイプで、ボウガンを握る長野の右手を強く叩く。
鈍い音がして長野の右手が折れた。
ボウガンが床に落ちる。
信長はボウガンに気合いを込めて、鉄パイプをたたきつけ、これを破壊する。
「さあ、どうする」
信長の殺気に長野を始め、六人の仲間が完全に戦意を無くした。
漫画で見るような、武道の達人が気で圧倒する絵そのものだった。
「おまえふざけるな、それ以上こっちに来たら、この女の顔に一生消えない傷をつけるぞ」
権藤が口から泡を飛ばして、梨都にナイフを突きつけた。
「梨都、不本意だが、お前の一生を余にくれ。顔に傷が残ったら、余が責任を持ってお前を愛し続ける。アフロの男よ。お前には余が知りうる限りの、生まれたことが後悔するような痛みを与える」
圧倒的なカリスマ性が周囲に漂う。
梨都はコクンと承諾の印を示した。
権藤は信長の冷たい視線に射すくめられて、恐怖が心を支配した。
ナイフを床に落として、「アワワ」と叫びながら、頭を抱えて信長の視線を逃れる。
信長は梨都の手をとって、顔の傷を調べた。
「腫れているが、それほど酷くはないな」
信長の蹴りが権藤の顔に飛ぶ。
蹴り飛ばされた権藤は、もんどり打って床に倒れた。
「さあ彰、梨都を病院に送ったら、ステージに戻ろう」
「えっ」
「まだ十分ラストステージには間に合うだろう」
彰は一瞬驚いたが、すぐに笑顔が戻った。
「お前って奴は」
梨都を伴って車まで戻ると、信長が僕とスィッチした。
車を走らせようとする彰に、梨都が言った。
「お願い、ドラッグストアに行って。こんな傷、薬塗って絆創膏貼っとけば、なんとかなるわ」
梨都は病院に行くことを拒否した。
「駄目だよ。ちゃんと医者に診てもらわないと」
「あら、慎也が言ったんじゃない。腫れているけど、そんなに酷くはないって」
自分ではなく言ったのは信長だと思ったけど、それは言えない。
幾多の戦場をくぐり抜けた信長なら、打撃でついた傷の具合は見ただけで分かるのかも知れないけど。
僕が心配そうな顔をすると、梨都は真剣な表情で頼む。
「どうしても慎也のラストステージが見たいの」
彰はニヤニヤしながら、どうするのかと言わんばかりに、慎也の顔を見ている。
「分かった。じゃあ、ドラッグストアに向かおう」
「OK!」
彰はドラッグストアに車を走らす。
店に着くと、梨都は傷薬と、四角い大きな絆創膏を買ってきた。
「薬を塗って、絆創膏貼って」
僕は梨都に頼まれ、ウェットティッシュで指を拭いて、薬を梨都の頬に塗る。
触ると痛そうな顔をするが、痛いとは言わない。
仕上げに絆創膏を貼った。
梨都は鏡を見ながら、「ありがとう」と告げる。
車は再び学校の駐車場に滑り込んでいく。
もう梨都の心配ばかりしていられない。
「大丈夫だ。ホークアイのステージは始まったばかりだ」
彰の言うとおり、ステージから聞こえる曲は、オーディションでも印象的だった、ホークアイのオープニングナンバーだ。
「慎也、応援してるよ」
梨都の目が潤んでいる。
学校に着いて、気が緩んだのかも知れない。
僕は再度テンションを上げた。
予定調和(76,000)
事務局の西川は、彰と慎也が無事に帰ってきた姿を見て、顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
「大丈夫ですか? 次のステージいけますか?」
「問題ない。面倒かけて申し訳ないが、頼む」
西川は彰に向かって笑顔を見せ、急いでステージスタッフに連絡を始めた。
それを見て、ステージに立てるのか気を揉んで待っていたバンドメンバーは、彰が何も説明しないうちから、万歳と叫んでいた。
梨都は学校に着いたらすぐに隆道たちと合流した。
隆道と研人も、権藤に殴られて、顔が腫れていたが、手当は絆創膏だけでいいと、ファントムのライブを楽しみに待つ。
ステージ上では、ホークアイが集まった観客を熱狂させていた。
僕はそんな観客の姿を見ながら、シャークスのライブで見た観客との違いに気づき、熱狂に対して違和感を感じた。
僕が難しい顔で観客を見ていると、彰が気づく。
「どうした、何か心配事か?」
「いえ、心配ではないんですが、お客さんのノリがなんとなくですが、シャークスのときと違った気がして」
僕が正直に思ったことを言うと、彰だけでなく、メンバー全員が僕に注目した。
「すごい、初めてなのに分かっちゃうんだ」
「やっぱり、君は天才だな」
「まあ、俺がベースを弾くバンドのギタリストなら、これぐらいはな」
みんなが口々に褒めてくれるのだが、なぜ褒められるのか分からなくて、僕は逆に困った顔になった。
「困らなくていいよ。みんなお前の感性に驚いただけさ」
「でも、どうして違う気がするのか分からないんです」
「今の観客は予定調和の中で、盛り上がってるだけなんだ」
「予定調和?」
「そう」
そう言って、彰は試すように僕を見た。
(皆、頭で考えて盛り上がっているだけだということだ)
信長の声がした。
(どういう意味?)
(つまり、ホークアイの音楽は観客にあらかじめこういう曲だと予想を与えて、その内容を上手に披露して、観客は請われるままに予定された盛り上がりを見せてるだけということだ)
珍しく詳しく説明してくれた信長のおかげで、やっと僕にもピンと来るものがあった。
「分かったよ、彰君。ホークスの音楽は、観客がみんな同じ反応をするんだ。ここで恋する楽しい曲、ここで失恋して悲しい曲といった具合に、あらかじめすり込まれた反応を、頭で判断しながら盛り上がってる」
「正解!」
さすがに彰は驚いたようだ。まさか僕がヒントなしで答えを出すとは思わなかったからだ。
「シャークスのときは違った。恋して楽しい曲でも、怒りを表す人もいたし、激しいロックナンバーで皆の気持ちをハイテンションにするような曲なのに、気持ちよさそうに優雅に聴いている人もいた。演奏しているこっちは、観客の反応が様々でハラハラするけど、聴いてくれていることは伝わってくるから、今よりも一体感を感じた」
僕は思ったことを一気に説明した。
説明し終わってハアハアと呼吸が乱れた。
「一つの音を聞いてもその人の状況や、精神状態で反応は変わるはずなんだ。音を頭で理解するんじゃなくて、身体で感じれば絶対にそうなるはずだ。でも今のホークアイの目指す音楽は違う。この曲はこういう曲なんですと解説付きで客に届けて、反応しやすいように上手に演奏する。俺はそれが嫌でホークアイを抜けた」
そう言った彰は悲しそうな顔をした。
「まあ、ほとんどのミュージシャンって、そういう音を作らないと売れないもんね」
「そうだね。だから俺は欲求不満に成るぐらいならと、ミュージシャンに成ることは諦めたんだ」
ここで亜美は首を捻った。
「ホントにそうなのかなぁ。正治はそんなことお構いなしだった。彰だってそうなんじゃないの?」
亜美の疑問に、彰は嬉しそうに答えた。
「今日は俺、ちょっぴり期待してるんだぜ。お前たち二人で、そうじゃないことを俺に教えてくれよ」
「そんなこと、できないよ」
彰の期待に僕はすかさず否定した。
亜美は咄嗟に、僕の手を取って、じっと顔を見つめ始める。
僕が息苦しくなって下を向くと、もっと顔を寄せて、おでこを当てた。
「大丈夫。私も期待してる」
亜美が話すと吐息が僕の鼻孔をくすぐり、甘酸っぱい気持ちに成る。
僕は観念した。
「やれるだけ、やってみる」
信長は何も言わないけど、僕はトライすると約束してしまった。
相変わらず亜美には引きずられてしまう。
渋川が割って入ってきた。
「亜美、彰だけじゃなくて、俺も同じように悩んでいる。俺の中にその道を追求する資格があるか、今日のステージで確かめるつもりだ。もし確信が持てたら、俺と一緒にバンド活動を続けてくれ」
求愛なのかバンド活動をしたいのか、よく分からない申し出だが、亜美は笑って承諾した。
「ただし、慎也より本物でなきゃ駄目よ」
なんともきつい条件がついた。
そういう他人の人生を左右する条件項目に入れられるのは、なんだか辛い。
ステージを前にして、二人して変なプレッシャー駆けるなよって抗議したくなった。
そんな僕の姿を見て、リチャードが嬉しそうに叫ぶ。
「オー、浮気ですね! 梨都にいいつけなくちゃ」
違うだろう、と思ったが、何だかうまく抗議が口から出ない。
ドタバタしている内に、ステージ係の人が僕たちを呼びに来た。
「ホークアイそろそろ終わります。ザ・ファントムの皆さんスタンバイお願いします」
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