第29話 選択


「武蔵境の駅から大学まで歩いてると、リアウィンドにドクロマークのシールが貼られた黒いバンがいきなり止まって、そこから知らない男が降りてきたんだ。それから俺たちの方に近づいてきて、いきなり殴られた。」

 隆道が一生懸命、梨都が攫われたときのことを説明しようとしている。

 目が腫れて、唇が切れていて、痛みは相当あるはずだ。


「相手は一人か?」

「いや、運転していた奴がいるから二人だと思う。俺たちを殴った男は梨都の方に寄って、暴力に対して抗議する梨都も殴った」

「梨都も殴られたのか?」

「そう、梨都はそのまま道に倒れて、ぐったりして、車に連れ込まれた」


 完全に誘拐だ。


「どうして警察に知らせなかった?」

「この紙を置いていった」


 研人が汚い字で何か書かれた紙を差し出した。


 ――警察にはチクるな。チクったら女がどうなるか保証しない。


「何だこれ」

 僕は頭の中がパニックになった。


(落ち着け、そなたが焦っても、何も解決しない)

 信長の声がした。

(どうすりゃいいんだよ?)

(隆道と研人にもう少し状況を確認しろ。例えば犯人の顔に、本当に心当たり無いか? いずれにしてもそんな紙を用意していると言うことは、計画的犯行だろう。でなければ男を二人も連れた女を狙うはずがない)


「隆道、研人、梨都が攫われたときの状況を、もう一度思い出してくれ。例えば殴った男の人相とか着てる服とか」


 僕が真剣な表情で二人に訊くと、さっきから黙っていた研人が口ごもりながら答え始めた。

「髪は染めてなくて、なんかもじゃもじゃして、アフロパーマみたいだった。唇にピアスしてたような気がする。目が細くて鼻は大きかった。背は僕と同じぐらいで、でもがっしりして、こう厚味のある身体って感じで」


「権藤だ」

 後ろで黙って聞いていた彰が叫んだ。

「知ってるの?」

「ああ、この前オーディションに乱入した長野のダチだ。パンチの長野とアフロの権藤はつるんでよく悪さをしている。車も黒いバンでドクロのシールが貼ってある。間違いないだろう」


「そう言えば、運転していた奴はパンチだった気がする」

 隆道はあの日の乱入男の一番の特徴を思い出して叫んだ。

「どうする。警察に知らせるか?」


 彰は僕の顔をじっと見た。


「それしかないんじゃ……」

「ステージなら気にするな。仲間の方が大事だ」

「どこにいるのかだって分からないし」

「メタルウォーリアーズの玉田に訊けば、きっと奴らのアジトも知っている」


(お前が行くんだ、慎也)

(何言ってるの? あんな危ない奴から梨都を取り戻すなんて無理だよ。警察に任せた方がいいに決まってる)

(梨都はお前の女だ。お前が行くのが当然だ)


 僕は焦りで、脇の下が冷たくなっていた。

 踏ん張ってないとめまいがして倒れそうだった。

 こんな非日常的なできごとに遭遇するなんて、呪われていると思った。


(余が導いたのかも知れない)

(えっ、どういうこと?)

(余の怨霊としての負のエネルギーが、奴らを呼び寄せたのかも知れぬ)

(じゃあ、梨都は巻き添えになったの?)

(かも知れぬ)


 僕の心はその一言で決まった。

 何の罪もない梨都を、こんなことに巻き込んだのが自分の責任としたら、自分が助けに行くべきだ。


「警察には知らせない。彰さん、玉田さんのところに連れて行って)


 玉田は昔は仲が良かったらしく、長野のことはよく知っていた。

 長野は権藤が高校を退学に成ってからおかしくなったらしい。


「権藤の奴、最近はよく親の買った廃工場を根城にしてるらしい」

「場所は分かる?」

「ああ、今地図をマーキングして送る」

 長野はスマホでMAPに印をつけて送って来た。


「じゃあ、行こう」

「待て、バンドのメンバーと事務局に断ってからだ」



「えっ、出演をキャンセル?」

 事務局の西川が驚いて声を上げた。

「あのオーディションで、乱入者に立ち向かった、勇敢な女が攫われたんだ。仲間を助けに行くのは当然だろう」

 彰の語調は強かった。

 西川と対峙が続く。


「分かった。ホークアイのステージを繰り上げて、今日は早めに終わらせよう」

 西川が折れた。


 僕は亜美と目が合った。

 諦めたような悲しい目だった。

「ごめん」

 僕が頭を下げると、亜美は無言で首を振った。


「じゃあ、行こうか」

 彰が僕を促す。


 彰は正門と反対側に走り出す。

「どこに行くの?」

「駐車場だ。車で来ている」



 彰の車は一見、コンパクトなファミリーカーに見えた。

「意外だな。もっと過激な車かと思った」

「これで、意外と高性能なんだぜ」


 確かにシートに座ると、着座位置が、普通の車より低い気がした。

 さらに、走り出すと明らかに今まで乗ったことのある車と違う。

 車の性能なのか運転技術なのか、慎也の知識では詳しくは分からないが、車の発進がえらくスムースで、曲がるときには車の中心を軸にして駒のように回る。

 車のお尻が外に出て、前部がぐいっと切りこむような不思議な感じだ。


 シートが包むような形状で、シートベルトがしっかり身体を固めてくれるので、横に振られずにすむ。

 シートベルトの恩恵を生まれて初めて感じた気がした。


 彰は街乗りとは思えないスピードで、車の間を縫うようにして走る。

 本当なら怖くて目を瞑ってしまうような走り方だが、彰の運転だと逆に快感さえ覚えてしまう。


 車はあっという間に東八道路を抜け、野ヶ谷通りから深大寺に入った。目指す廃工場はもう目の前だ。

 工場の駐車場には、リアウィンドにドクロマークが張られた黒いバンと、バイクが六台停まっていた。


「じゃあ、行こうか」

 彰が車から出る。

 僕は、いつの間にか信長とスィッチしていた。


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