第27話 夏フェス一日目
僕は梨都と夏フェス一日目の午後の部を見ていた。
バンドの最後の音合わせは夕方から行なう予定だ。
もう、何も問題は無い。
チームワークも日がたつにつれて強くなっていった。
亜美はインコンプリートを僕が演奏するようになってから、少しずつ態度が変わっていった。
深く、より深く演奏に集中し、僕と魂を通わすことに集中している。
それは余計な雑念を全て振り払い、音楽家として理想の音作りに向き合おうとする、アートに愛された者だけが見せることのできる姿に思えた。
そんな亜美の姿に刺激され、他のメンバーの音に対する集中力も増して、バンドが生き物のように、一つの方向を目指して進み始めている。
相変わらず信長は何も語らないが、僕はインコンプリートの世界を突き詰めていく中で、自分の本当の望みが何か理解し始めていた。
「ねぇ、あのグループ、もうカラオケものまね大会じゃない。おかしい」
ステージ上で某坂系アイドルの歌をカラオケで歌っているグループを見て、梨都はクスクス笑っている。
今日の梨都はパステルピンクのキュロットパンツに、大きめの麻のTシャツという軽装だ。短い丈のパンツからすらりと伸びる、形のいい脚が僕の目には眩しく映る。
よく知ってるノリのいい曲に合わせて、梨都の身体も自然に動き出している。
小さいけど形の良さそうな胸も揺れて、僕は悩ましい気持ちで胸が塞がる。
いつもは美人だけど、どこかとげとげしさを感じる梨都が、なんだかフワフワして柔らかそうに見えた。
「慎也たちは明日の三時からだよね」
「そう、ラス前のステージだよ」
「とりはやっぱりホークアイなんだね」
「実績から言っても当然だろうね」
オーディションの後で、二日目の演奏順が決まった。
トップバッターは九時からで「スカイダイブ」、二番手は十一時から「ジェットストリーム」、三番手は十三時から「メタルウォーリアーズ」、そして四番手は僕たち「ザファントム」、そしてラストが「ホークアイ」だ。
時間は目安で、観客が盛り上がってアンコールが止まらなければ、時間はどんどん後にずれていく。
近隣との関係で九時には終了しなければならないが、毎年制限ギリギリまでやるのが恒例となっている。
「できるだけ前で観るから、私を見つけてね」
「分かった。約束する」
僕は少なくとも、自分が弾くインコンプリートのときだけは、梨都と目を合わせようと、心の中で誓った。
夕方になると梨都は研人たちと合流して、僕は一人で吉祥寺に向かった。
夏フェスに向けた最後の練習だ。
明日を最後にザファントムは解散し、僕は音楽活動から解放される。
思えば信長の気まぐれで始まったバンド活動だが、僕にとって一生分とも思えるぐらいの人間ドラマに遭遇した。
どことなく後ろ髪引かれる思いもあるが、音楽は魔力を秘めている。この世界にどっぷり浸かる前に、本業である法学生の世界に戻った方が無難そうだ。
最後の練習は、シャドウズのライブ前夜に比べて、緊張感が高まる割には順調に進んだ。
それは彰のバンドマンとして傑出した能力によるところが大きい。ボーカルだけではなく、あらゆるパートに精通した彰は、アドバイスが具体的で分かりやすいし、問題が起きても自らの力で答えに導く実力があった。
僕はこんな人が本当に音楽活動を諦めるのかと、少しだけ残念な気がした。
「絶対にゆるさねぇ」
長野は精神の高ぶりを持て余して、飲んでいた缶ビールを、使用されずに幌がかかっている機械に向かって投げつけた。
缶ビールは機械に当たって大きくはねて、飲み残しのビールを流しながら床に転がった。
「落ち着けよ。そんないらつくと禿げるぜ」
長野のいらだちを茶化したのは、中学時代からのワル仲間の権藤だ。こいつは長野以上にクレイジーで、人を殺す以外の悪さは一通り経験している。
親はそれなりの資産家で、中央線沿線の土地を、幅広く扱う不動産会社を経営している。
明峰大附属中学に入学し、高校までは長野と同級生だったが、女性への暴行が発覚して退学になってからは、何もせずにフラフラと遊び回っている。
エセロッカーの長野とは、今も付き合いがあり、親の会社が倒産した工場を買い取って、今は寝かしているこの場所を勝手に遊び場にして、昼間から女を連れ込んで酒を飲んだりしていた。
「修二と彰にやられたんだろう。あの二人に正面からぶつかるなんてお前らしくもない。やるなら殺すぐらいの気合いを入れないと、逆に返り討ちされるのは分かってるだろう」
権藤はニヤニヤしながら、長野をあおった。
たしかに権藤は人を殺してもおかしくないぐらい、性根の腐ってそうに見える。
「あいつらもむかつくが、今はもっとむかつく奴がいる」
「うん? いったい誰だよ」
「彰の新しいバンドに関係しているらしい、三枝梨都という女だ」
「女? どんな女だ」
女と聞いて権藤が急に興味を露わにした。
「むかつくぐらい正義感の強い女だ」
「いい女か?」
「ああ、見た目はな」
「じゃあ、制裁しよう。ここに攫ってきて、おもいっきり遊んだ後で写真を撮れば、もう俺たちに逆らえない」
権藤はもう攫ったときのことを想像して、下卑た笑いを浮かべていた。
「やるか。あの女が攫われれば、奴らも夏フェスどころじゃなくなるからな」
「そうそう、修二と彰をやるなら、正面からじゃなくて、こういう嫌がらせでネチネチやる方がいい」
「女として生まれてきたことを後悔するぐらい、いろんなことをしてやる」
長野の暗い目に黒い炎が灯っていた。
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