第21話 ボーカリスト
「慎哉はやっぱりウーロン茶を飲むの?」
「当然です。未成年ですから」
亜美の質問に梨都が答える。
間に挟まれた僕の心は、二人の火花で火傷しそうになる。
僕はライブの打ち上げ会場にいた。
ライブハウスから少しだけ商店街に入ったところにある居酒屋だ。
親衛隊とも言えるコアなファンがいつも手配してくれるらしい。
打ち上げはファンも参加する。
シャークスの十六年の活動は、多くのファンを生んだ。
朱音は帰ったが、梨都と研人はしっかり参加していた。
「皆さん、今日はありがとうございました。おかげさまで悔いのないプレイができました」
吉永が神妙な顔で感謝を述べる。
いつもと違うトーンに、甲田という名のこの打ち上げの幹事が、心配そうに口を挟む。
「お終いのような言い方ですよ。次も頼みます」
それを聞いて吉永の顔は更に強張る。
「お終いなんです。我々シャークスはこのライブを最後に、活動を停止します」
その場に集まったシャークスファンの人々は、吉永の言葉に動揺した表情を見せたが、泣いたり叫んだりはしなかった。
おそらく、そろそろこのときが来ると、予期していたのだろう。
甲田が憤然と立ち上がる。
「みんな、残念な報告から始まっちゃったけど、シャークスのラストライブに我々は居合わせることができたんだ。光栄に思って今日は飲もう!」
甲田の言葉に吉永は言葉に詰まり、深々と頭を下げる。
会場に集まった人々から拍手が巻き起こった。
暖かい拍手だと僕は思った。
(ふむ、まだまだだな)
(何が?)
(吉永が破壊を宣言したが、創造は行われず、調和だけがここを支配している)
(そんな。今日ぐらいは円満に進めばいいじゃないか)
信長からの返答はなかった。
この議論は不毛ということか。
「ねぇ、慎哉は夏フェス終わったら、ギターやめるんでしょう。そしたら、この人たちとも付き合いなくなるわよね」
梨都は亜美に聞こえるように訊いてきた。
「他の人たちと付き合いが無くなっても、私とは続くわよ」
「どうして? このバンドはなくなるんでしょう」
「慎哉と私の関係は、バンドとは関係ないわ」
「それってどういう意味?」
「慎哉が私を無理やりこの世界に引き戻したの。だから責任取ってもらわないと」
「意味分かんない」
僕の頭越しに二人の女のバトルが続く。
本当は二人とも僕の一言が欲しいのだが、自分が拒否されることも怖いから、敢えて僕の意見を求めない。
僕はその状況に甘えて黙っていたが、いつ自分に回って来るか分からないので、冷や冷やしながら肩身の狭い思いでいた。
「夏フェスのメンバー探してるんだって?」
背後からの声に僕が振り向くと、長身で彫りの深い顔をした男が立っていた。
「はい」
僕は二人の会話から逃げたいから、思わず立ち上がって返事した。
「俺の名前は
彰が右手を差し出して来たので、僕は迷わず握手した。
「アキラじゃないか」
甲田と話し込んでいた吉永が、彰に気づき嬉しそうに立ち上がった。
「もしかして、ホークアイのアキラさんですか? 僕、去年の夏フェスのステージ見てました」
研人も嬉しそうに立ち上がった。
「もしかして慎哉と組むのか。よし、細かい話になりそうだから、向こうで話そう」
世話焼きおじさんのように段取りを進める吉永に、急き立てられるように僕は席を立った。
すると、梨都と亜美も同時に立ち上がる。
「え、君たちも話を聞くの?」
「当然です」
「あの僕もいいですか」
恐る恐る研人も同席をお願いした。
困った吉永は、居酒屋の店員に頼んで、新たに五人分のスペースを作ってもらった。
「ホークアイ抜けたって本当だったんだね?」
「ええ、修二とちょっとやりあっちまって」
「吉永さんと、彰さんはお知合いなんですね」
「ああ、何を隠そう。俺たちシャークスは彰の楽器系の師匠だ」
「何で彰さんは、吉永さんたちに楽器を教わろうと思ったんですか?」
「君は質問が多いなぁ」
彰は呆れ顔だったが、目はまだ笑っていた。
「それで高階さんは慎哉のバンドに入ってくれるんですか?」
梨都が一人冷静に話を前に進めようとした。
「うん、まあ話してみていい感じだったら入ってもいいかなと思った」
「慎哉のどんな話が聞きたいんですか?」
弁護士志望だけ会って、梨都の質問は本筋から外れない。
「そうだなぁ。なぜ夏フェスに出たいのか? まずはそれかな」
「まずということは次の質問もあるんですね」
「君は質問者の自由も固めるタイプなんだな。まあいい。次の質問は最初の質問の答えによっては訊かないから」
彰は梨都とのやり取りを決して嫌がってはなかった。
むしろ楽しんでるように見えた。
(信長、ちょっと代わってよ。こんな質問答えられないよ)
言い終わると同時に、僕はいつもの身体が軽くなるような感覚がした。
「なぜ夏フェスに出ようと思ったか? それがお主の知りたいことだな」
僕の雰囲気が変わって、彰は目を輝かせる。
「その目だ。君は誰?」
「佐伯慎哉だ。何をおかしなことを言っている」
「ああ、ごめん。あまりにも雰囲気が変わったんでつい」
彰が謝罪し、周囲はほっとした。
ただ、生霊の僕だけは動揺が止まらない。
姿形に囚われず、自分の感性を信じて行動する男。僕と信長にとって彰は今、最も危険な男に感じられた。
「面白い。教えてやろう。夏フェスに出るわけを。音楽は人の心を裸にする。普段抑えているむき出しの感情が、何の飾りつけもなく表に出る数少ない機会の一つだ。その様子を見たいだけだ」
本当は見た先に信長の真の目的があるのだが、誰もそれには気づけはしない。
だが、僕の予想は裏切られた。
「同じだ。俺も音楽を通して人の感情が見たい。別にこれで食っていけなくてもいい。ただ、もっと大勢の感情が噴き出した後が楽しみなんだ。放火みたいなもんかな。きっと君も同じなんだね」
感動する彰を見て、信長がニヤリと笑う。
その笑顔を見て、僕はああこの二人は同類なんだと理解した。
引き合うべくして引き合った二人。
「もしかして、彰さんが修二さんと離れた原因って、それですか?」
さっきから黙っていた研人が、意を決したように口を開いた。
「他の奴は俺と修二の音楽性の違いだと思ってるが、そんなのいくらでも克服できる。だがこれは音楽をやる上での目的の違いなんだ。そんな二人が、同じ道を歩けるわけないだろう」
「修二さんの目的は何なんですか?」
「あいつの目的はメジャーデビューだ。それが全てに優先する」
研人は彰の話について行けなくなった。
「音を止める覚悟の問題だ」
信長が珍しく説明を始めた。
「研人も聴いたであろう。今日のアンコール前の最後の曲で、音が変わった瞬間を」
「ああ、確かに」
研人が何かに気づいたのか激しく頷いた。
「あのときは俺も驚いた。もしかしたら亜美が歌うのをやめるかと思った」
吉永はそのときの思いが蘇ったのか、首をすくめた。
「音を止める覚悟とはああいうものだ」
「どうして、音を止めようと思ったの」
研人が不思議そうに訊くが、信長はもう説明に興味を失ったのか答えない。
「あの曲に限って言えば、亜美は正治さんの亡霊をお客さんに押し付けていた。それでは心の扉は開かない。俺にはあの曲の途中で、亜美が過去を振り切って生きようと叫ぶ姿に変わったように感じた。すると、自分がしたいことが堰を切ったように心に溢れた。だから慎哉君に声をかけたんだ」
彰は説明の形をとりながら、信長に自分の気持ちをぶつけた。
信長は何か考えていて、無反応だった。
信長が何も語らないので、黙って聞いていた梨都が口を開いた。
「いいわ。これで夏フェスのボーカルは確保したわけだし。彰さんもバンドは夏フェス迄でいいのよね」
「俺はかまわない」
「慎哉もいい?」
信長は梨都の問いには答えず、亜美の方を向いた。
「亜美、そなたも一緒に夏フェスに出ろ。ツインボーカルだ」
梨都の顔色が変わる。
新たな波紋がそのとき生じ、僕は再び心が痛み始めた。
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