第20話 クライマックス

 吉永が次はラストナンバーであることを告げる。

 例のバラードだ。

 亜美が僕に信頼の眼差しを向ける。

 正治が作ったこの曲の完璧な再現こそ、亜美がこのライブで一番求めているものだ。

 これまで信長はこの曲を弾くたびに、そのリクエストをパーフェクトに満たしてきた。

 自分は……


 ゲンのドラムが始まった。

 カズのベースが参加する。

 次がギターとボーカルだ。

(信長、代わって!)

 僕はもう一度信長にスィッチを求めたが、何も返事はない。

 信長はどうしてもこの曲を僕に任せたいようだ。

 不安以上に、胸の中にたぎる思いが僕を後押しする。

 僕は腹を決めた――信長の言葉に従い、思いを吐き出すと。


 亜美と僕が参加した。

 歌いながら、亜美が僕の顔を見る。

 僕の裏切りを感じて、戸惑いと悲しみに満ちた目だ。


 構わない!

 僕は己の感性を注ぎ込むのを止めなかった。

 ボーカルとギターが違った感性をぶつけ合う。

 亜美は正治への賛歌を歌い続け、僕は……


 オーディエンスにも、ギターとボーカルのバトルが伝わった。

 バトルが生み出すエネルギーが、オーディエンスの心にエキサイティングな感動を絞り出した。

 二人の行方が気になって、一音たりとも聴き逃がせない緊張状態が続いた。


 いよいよラストに向けた転調フレーズに差し掛かる。

 スケールが切り替わった瞬間、亜美のボーカルが変わった。

 正治を偲び、あの人はこう弾いて私はこう歌った。

 これまでの亜美のボーカルは正治が残したソウルに囚われ、その素晴らしさを主張し、聴く者を無理やりその世界に引き込むものだった。


 新しい亜美のボーカルは生者のための歌だった。正治の思いを届けながらも、今生きてそれを感じられる喜びで染め上げ、この曲を生への賛歌に変容させていた。

 僕のギターが亜美の新しいボーカルをアシストし、その世界観を大きく広げる。

 もう、正治の亜美ではなく、亜美は亜美として大きく輝き、僕は亜美のパートナーに戻ってギターをかき鳴らす。


 バンドメンバーだけでなく、観客も含め、この新しいハーモニーに乗って一体になっている。

 そう思った僕の心に一つだけ、一体に成り切れない魂が流すシグナルが飛び込んできた。

 直後に、観客席で泣いてる梨都が僕の目に映った。

 僕たちが織り成すハーモニーに感動しながらも、大きな不安が入り混じって、他の観客のように無心で生を感じられない。

 そんな梨都を救いたくて、僕はギターを弾きながら、亜美から心を移して、梨都の心に寄り添おうとした。

 二人の目が合う。

 思いが伝わったのか、梨都の顔に笑みが浮かんだ。

 いつもの梨都が見せる綺麗な笑顔だった。

 梨都が幸せに浸ったことを確認して、再び亜美の心に寄り添う。


 曲はラストに近づいていた。

 亜美はもう何が起きても動じない。

 生を歌い上げる強い信念が亜美の歌声の柱になって、その場にいる全員の思いが乗ってもびくともしない。

 最後の一音まで一人もこぼすことなく曲は終わった。


 今日一番の拍手に包まれながら、吉永は観客に別れを告げ、ステージを下がる。

 アンコールの声が止まない。

 亜美が僕の首に両手を回して耳元で囁く。

「もう、放さないわよ。あなたが私をお兄ちゃんの世界から引き戻したんだからね」

 僕は背中がぞくっとした。

(助けて、信長)


 僕の願いは虚しく、信長に無視された。

 亜美は僕の首に両手を回したまま、じっと僕を見つめる。

「私はもう、独りでも歌えるけど、決してあなたを離さない。ギターをやめてもいいから、私の側にいて」

 僕は亜美の求愛に恥ずかしくて顔が真っ赤になった。

 吉永さんたちは聞こえてるはずなのに、僕たちを無視してる。

 亜美の唇が近づいてきた。

 唇に感じる柔らかい感触が、僕の脳を痺れさす。

 今度こそ、生まれて初めてのファーストキスを、僕は亜美に奪われた。


「さあ、アンコールだ。もう一曲行くぞ」

 その言葉と共に信長とスィッチして、僕は生霊になった。

 フゥー

 僕は大きなため息をついた。

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