第19話 ライブ開始
僕はメーク用の鏡を見ながら、自分が自分であることを確認する。
信長の怨霊と会ってから、僕の日常は様変わりした。
元から人前に出るのが好きではなく、高校時代も品行方正で成績が良いだけの目立たぬ人間だった僕が、新歓の事件以来人嫌いになって引き籠っていた。
そんな生活も悪くはないと思っていたのに、いくら怨霊に憑依されたからと言って、平然とこの場所にいることが信じられなかった。
「緊張しているのか?」
声をかけてくれたのは吉永だった。
鏡に映った自分の顔を見ながら、そんな風に見えるのかと疑問を感じながら、振り向いて笑う。
「大丈夫ですよ。ステージに立てば落ち着きますから」
ステージに立つのは信長だ。
僕自身は自分の姿が大勢の目に晒されると思うと、緊張で何も考えられなくなって、プレイする信長をただ見守るだけに違いないが。
「たいしたもんだな。昨日みたいなことがあったのに、さっきのリハは躊躇なしに挑むようなギターをぶつけてくる。俺について来いと主張しているようにさえ感じたぞ」
信長が生来持っているリーダーシップがそうさせるのか、そう言えばマスクデータの影響力もチート的に二百にしてた。城攻めを行えば囲んだだけで、相手が降伏するレベルだ。
そんな信長のプレイを見ていたら、今の僕は緊張してるように見えても当然だ。
「だが、プレイをしてるときの慎哉とずっといたら、一緒にいることが息苦しくなるかもしれないな。今みたいな顔を見せてくれると、正直ほっとするよ」
「あっ、いえ、すいません」
年上の吉永にそこまで言わせて、騙しているようで申し訳ない気持ちに成った。
「いや、こちらこそ申し訳ない。ライブ前に情けないことを言っちゃったな」
吉永は申し訳なさそうに頭を掻く。
「慎哉、こっちに来て」
亜美に呼ばれたので、立ち上がって隣に座る。
「ねぇ手を握って」
みんなの前で恥ずかしかったが、誰も僕たちを気にしていない。
思い切って、膝の上に置かれた亜美の手を、両手でそっと包むように握った。
細い手が震えていた。
亜美は目を瞑って、手を握られたままじっとしている。
しばらくそのままでいると、手の震えが止まった。
「ありがとう。もう大丈夫」
僕はそっと亜美の手から両手を離した。
「開演一分前です。スタンバイでき次第、ステージに出てください」
進行のお姉さんが開始を告げる。
「用意はいいか?」
吉永が皆に声をかける。
「OK~」
「任せろ」
てんでに意思表示する。みんな問題ないようだ。
「よし、じゃあ行こう」
その言葉を合図に信長にスィッチした。
吉永を先頭に、ステージに出ていく。
客席から拍手が飛んだ。
拍手はだんだん一定のリズムを刻み始め、ポジションに向かう足取りが軽くなる。
客席は暗く、ステージに当たる照明が眩しくて客の顔が良く分からない。
僕は信長から離れ、角度を変えて客席を見た。
前方のスタンディングエリアに梨都の顔を見つけた。
来てくれたんだ――僕はすっかり安心した。研人と朱音の姿も確認できた。
客席は満杯だ。最後方のカウンター席も全て埋まっている。
客層は男女半々といったところか。
年齢層はやはり若者が多いが、三十代と思われる客も一定量存在した。
ごく少数だがスーツ姿の客もいた。
初めてライブに来て、僕はライブのお客さんは、映画館や演劇の舞台に来るお客さんと違うように感じた。
同じ期待感でも、映画や演劇は楽しませてもらう期待感だが、ライブは自分も参加できる期待感に満ちている。
「今日は俺たちのライブに来てくれてありがとう!」
吉永のMCが始まった。
「見て分かる通り、インストバンドに戻っていたシャークスに、歌姫が帰ってきました。そして今日はゲストギタリストも参加しています。彼は明峰大の夏フェスに出たいのに、メンバーが足りないそうです。今日のライブを聴いて、心にグッと来たら、彼に声をかけてみて」
今から夏フェスに向けてメンバー募集と聞いて、客席から軽く失笑が漏れる。
事情を知ってるとすれば、明峰大生だろう。
「OK、じゃあ始めようか。ジェットトゥジェット」
客席から爆音のような歓声がステージに届く。
ゲンのドラムが音を刻み始めてもそれは止まらなかったが、信長のギターがイントロを奏でたとき、一瞬静寂が訪れた。
アルペジオが終わって、リフに入った途端、静寂はオープニング以上の爆音に変わった。
まだボーカルも始まってないのにヘッドバンキングしている者もいる。
亜美のボーカルと吉永のギターが入ったとき、音の厚みが一挙に増して、前の客は右手を振りかざして、リズムに合わせて前後に振り始めた。
嵐のようなボーカルパートが終わり、ギターソロが始まったとき、客の声が止んだ。
信長の超絶テクに魂を抜かれたように見入っている。
二曲目はソルジャートゥフォーチュナー。
信長のギターを際立たせようと、吉永がわざわざ入れ込んだ曲だ。
この曲で客は、信長が本物であることを確信した。
観客の期待が信長に集中する。
三曲目と四客目は、吉永の書いたオリジナル曲だ。
吉永らしい明快な主張が際立つグッドソングだ。
古くからのシャークスファンは、タクと連呼し吉永を称える。
五曲目と六曲目はポピュラーなロックナンバーから、リビングオンアプレヤーとファイナルカウントダウン。
友達に誘われて、初めてシャークスのライブに来た客も、耳に馴染んだ曲でようやくコアなファンのテンションに追いつく。
曲が終わると吉永のMCが入る。
「サンキュー、サンキュー! 暖まって来たところで、メンバーのソロパートをアピールしたオリジナルをやります。ダッドランアラウンドザシティ」
ゲンの叩きつけるようなドラミングが始まった。続いてカズのベースが入り、ドラムとベースの掛け合いが続く。
ソロパートの前に亜美のコーラスと二本のギターが入り、厚い音を聞かせた後に、ゲンのドラムのソロパートが続く。
ゲンがエネルギッシュにビートを刻み、歓声がステージを包む。
バンドのムードメーカーだったゲンの十六年間の思いが詰まったようなパフォーマンスだった。
続いて、カズのオリジナル曲が始まる。
時にはゲンのドラムに合わせ、また時には吉永のギターに寄り添い、常にバンドのつなぎ役として役割を全うしてきた男は、実は陽気なファンキーベーシストだ。
ソロパートのグルーブ感は、観客のうねりを誘った。
僕はプレイヤーとオーディエンスの不思議な一体感に驚いていた。
プレイヤー側がソウルフルに演奏すれば、オーディエンスも心を震わせ、ダンサンブルなビートに対しては、身体が自然に踊りだす。
気持ちがつながる高揚感は、生霊の僕の魂も引き寄せられるような勢いがあった。
今、曲が進んで亜美のソウルフルなボーカルを、より一層際立たせるバラードに変わった。
オーディエンスは、踊るのを止めて、しっとりと粘りつくような歌声に、しっかりと心を震わせている。
生身の身体でないのがもどかしい。
僕の魂に一つの感性が生まれようとしている。
それは曲が変わって、再び激しいロックナンバ―になっても消えなかった。
ダンスナンバーでも、R&Bでも消えない確固たる僕の主張が連呼している。
生身の身体が欲しい、この場のみんなに自分の魂を届けたい――それは僕の祈りとなった。
突然、信長が僕とスィッチした。
(えっ、どうなってるの?)
(お主も、ライブに参加するんだ)
(無理だよ、弾いたことないし)
(大丈夫だ。身体が既にテクニックは覚えている。今お主の中に生まれている感性をぶつけるだけでいい)
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