第18話 亜美の思い

 目覚めの良い朝だった。

 昨夜のセッションはまさに正治がいたころの音作りの再現だった。

 慎哉のギターについて行けるのは私だけ、どんなに頑張っても他のメンバーは置いて行かれる。

 そして、全ての曲を弾き終えた後、慎哉は練習の終了を宣言した。

 何もかも正治と同じだ。


 以前、正治になぜ一度でやめるのかと聞いたことがある。

 バンドのためにはもう少し音作りに付き合った方がいいと思ったからだ。

 ところが正治は笑いながら亜美に、ユニークな説明を始めた。


「物凄いスピードで前に進む乗り物に乗ったら、始めは振り落とされないようにしがみつくだろう。でもだんだん余裕が出てきて、その上に立ち上がるんだ。でもバランスを崩して振り落とされる。そこですぐにまた乗っても振り落とされるから、考える時間が必要になるのさ」


 それを聞いても亜美は釈然としなかった。

 そんな亜美の様子を見て、正治はこうも言った。


「考えないで、また乗ってしまったら、立つことを諦めてしがみついてしまう。そんな状態の音がいいと思う?」

 次の日に成ると、不思議と正治の言った通り、みんな個性を出しながらも、正治について行った。


 きっと慎哉も正治と同じ天才なんだ。だから同じ発想で、他のメンバーに考える時間を与えたんだ。

 そう考えるとますます慎哉が手放してはいけない存在に思えてくる。

 やっと出会った正治の身代わり。しかも今度は血がつながってないから、結ばれることができる。


 亜美はライブ会場に行く前に入念に化粧を始めた。





 ついにライブ当日の土曜日がきた。

 会場は吉祥寺の雑居ビルの地下一階にある『ブルーダイヤモンド』というライブハウスだ。スタンディングで二百五十名のキャパが有るらしい。

 前売りは順調に捌けて、なんと用意したチケット二百枚が、全て完売したと聞いている。

 シャークスの人気の高さが窺える。


 開演は十八時で、会場オープンは十七時半だ。

 昼の部もあるらしいが、十四時には準備を開始していいと言われている。

 段取りは全く分からないが、いれば何かの役に立つだろうと、みんなと同じ十三時半に着くように会場に向かった。


 昨日の練習が終わってから、信長は何も語らない。

 駅の階段を登る足がえらく重く感じた。

 電車に乗って、西荻窪に着いたところで、膝に力が入らなくなり、普通に立ってるだけなのに、スポンジの上に立ってるような不安定な感じがした。

 吉祥寺に着くと、会場までの道程みちのりがやけに遠く感じる。

 背中に背負ったギターケースのベルトが肩に食い込むような気がした。


 ブルーダイヤモンドがあるビルの前には、五分前だというのにもうみんな集まってた。

 慎哉の姿を見つけて、亜美が小走りでやって来る。

 今日はライブがあるせいか、特別綺麗な気がする。

「もう、みんな来てるよ」

「うん、みんな地元だものね」

 何となく昨日終わり方が気に成って、僕の口は重かった。


「もうみんな大丈夫みたいよ。早く演奏したいって、みんなうずうずしてる。慎哉の思った通りね」

「ホント?」

「うん」

 亜美の様子を見る限り、あんな終わり方だッとのに、みんな立ち直ってるみたいだ。

 それに僕のおかげだなんて言ってるということは、僕以外は信長の意図が分かったっていうことか。


 向こうでは吉永とゲンさんが、元気よく手を振っている。

 どうやら解決してるっぽい状況に、僕は戸惑いを隠せない。

(予想通りだ)

(予想してたの?)

(ああ、思い込みが強くなりすぎて、心と身体のつり合いが崩れることはよくある)

(そうなの)

(それでも経験の数は、立ち直りの速さにつながる。過去から本来の自分の姿を思い出して、修正するべきを見つけ出すことだ)


 プレイもしないくせに自分一人で思いつめていたのかと、僕は恥ずかしくなった。


「あの約束は、今日のライブが終わるまで忘れるね。今日の結果を見て慎哉が決めて。好きよ」

 こんな人通りが多い中、亜美は僕の頬にキスをした。

 向こうで吉永たちが、はやしている様子が見える。

 歩いている人たちも好奇の目で僕たちを見ている。


 僕はボーっとして動けずにいた。

「今の何?」

 背後から声がした。

 振り向くと梨都が立っていた。

 その後ろには研人と朱音の姿も見える。


 僕は必死で言い訳を考えて、最悪な選択をした。

「友情のキス……」

「最低!」

 梨都は涙ぐんでいた。

 クルリと背を向け、反対方向に歩いていく。

 朱音が慌てて後を追う。

 研人が申し訳ないと謝るように、顔の前で両手を合わせて、梨都の後を追った。


 次々に起こるアクシデントに、僕の頭はパニックを起こしかけた。

「なんか悪いな。まあ、モテモテということで、気を取りなおしてリハをしよう」

 いつの間にか、心配した吉永がすぐ傍まで来ていた。

 僕はありったけの回復エネルギーを心に注入して、会場に向かった。




 信長とスィッチし生霊の状態になってから、ずいぶん時間が経っている。

 僕は会場でのチューニングが、こんなに長くかかると初めて知った。

 単なる音程の調整だけでない。会場の特性と自分たちの音を合わせるために、音階、エフェクター、エコーなど、様々な組み合わせを試している。


「じゃあ、時間があるから二曲ほどやってみるか」

 ほぼチューニングが終わったので、最終確認として吉永が提案した。

「どれをやるの?」

「オープニングのジェット・トゥ・ジェットと、ラストのバラードナンバーファイブをやろう」

 吉永の提案に全員アグリーした。

 亜美から聞いた話では、バラードナンバーファイブは、正治が五番目に作ったバラードなので、そう呼んでるらしい。


 ドキドキしながら最初の音を待つ。

 ゲンのドラムが切れのいい音をたたいた。信長のギターがすぐに後を追う。イントロの高速リフにカズのベースが絡む。イントロが終わると、すぐに亜美のボーカルと吉永のギターが参加した。

 今日は気のせいかみんなの音が同じ方向に突きぬける感じがする。

 そのうちに亜美のボーカルと信長のギターが、セクシーに絡み合い始めたことに気づく。


 高いテンションを保ったままジェット・トゥ・ジェットは終わり、バラードナンバーファイブが始まる。

 今日は初めて聞いたときと同じように、胸にこみ上げる熱い何かを感じる。

 僕は自分の心の中に、信長とは違う表現を欲する感情が生まれていることに気づいた。

 その感情はどんどん大きくなり、何かきっかけが生じれば、心の外壁を突き抜けて外に漏れそうな気がした。

 僕は自分が怖くなって、無理やり心を閉ざした。

 気がつくとリハが終わり、信長とスイッチしてステージに立っていた。


「後十分で会場オープンだ。気合い入れていくぞ」

 吉永の激に応えながら、プレイヤーの控室に戻る。

 僕の心には、バラードナンバーファイブで生まれた感情がまだ消えずに残っていた。

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