第17話 ライブ前夜

 ライブは明日だ。

 最後の練習は、来る前に予想したような重苦しさはなかった。

 むしろ吉永さんを始め引退を宣言したメンバーは、昨日よりも口数が多くて、明るくなったように感じた。


 対照的に亜美は、昨夜が嘘のようにおとなしくて口数が少なかった。

 亜美は酔っぱらって、感傷的になっただけだろうと、無理やりでも思うことにしたが、陰りのある表情は脳の奥に残る。


 特別に意識しないようにしているのに、何度も我慢できずに彼女の顔を盗み見てしまう。

 昨日よりも今日の方がきれいに見える気がする。

 こんなに美人だったのかと、感動してしまうほどだ。


 僕は、昨日のことは忘れろ、と自分に言い聞かせた。

 このまま、練習につきあって、明日は力いっぱい演奏する。それで、このバンドとはさよならだ。


 終わったら夏フェスのメンバー募集に集中しよう――そう思って練習に臨んだ。

 ところが……


 一曲目から、みんなのテンションの高さが異常だ。

 もし生霊でなくて生身でこの部屋にいたら、呼吸ができなくてきっと失神するだろうと、僕は思った。


 特に亜美の気合の入り方は昨日とは比べ物にならない。単語の一音一音に魂が込められていた。

 まるで、特定の誰かに対して、自分の歌声でハートを鷲掴みにしようと、挑んどいるような歌い方だった。


 二曲目に入る直前に、横目で信長を見る。

 亜美は昨日の信長の台詞を忘れてない。

  ――私の歌はどう?

  ――心に響く?

  ――あなたは満足したの?

 全てが昨日の信長の注文に対する亜美の答えなのだ。


 五曲目に入った頃には僕は頭がクラクラして来た。

 亜美のテンションはまったく衰えない。

 それどころか、ますます鬼気迫るような迫力が増していた。

 亜美の執念と兄に対する思いの強いさが、僕を圧倒する。


 七曲目が始まるとき、僕はあることに気づいた。

 真剣な顔でプレイしていた吉永たちが笑っている。

 決して彼らのテンションが落ちたわけではない。

 明日のラストプレイに向かう上で、全ての力を出そうと意識して、持てる技術の全てを注いでいる。


 だけど……


 心に残った全ての情熱を降り注いで演奏しているのに、それでも信長と亜美に追いつけない。

 高いレベルに成れば成るほど、自分が越えなければならないハードルの高さが、よりはっきりと見えてくる。

 やがてそれはどんなに高く飛んでも越えられない高さだと気づく。

 その結果が彼らの笑いだった。


 ラストの曲に入った。

 昨日、あんなに心が震えた曲が、昨日よりも格段に演奏レベルが高いのに、僕の心にまったく響かない。


(こんなの僕は満足しない。もし信長が満足したと言っても、全否定してやる)


 僕は理由もなく怒っていた。

 誰に怒っているのかは分からない。

 ただ怒りの感情だけが、心を支配していた。


(分かっている。余もこんなものでは満足はしない)


 演奏中にも関わらず、信長の声が聞こえる。

 僕のフラストレーションを察した言葉だった。


(今の不満に思う気持ちを、ぬしも弾いてみて表現したみたらどうか?)


 信長の提案に僕は答えなかった。

 もちろん弾く自信はなかったし、

 それなのに弾かないときっぱり否定することも、なぜかできなかった。


 僕は頭がおかしくなっている。

 みんなのラストステージはどうなってしまうのか――不安がどんどん大きくなる。


 違う、みんなを心配してるんじゃない。

 亜美のことを考えている。

 二人で演奏したい。

 心と心が触れ合って、絡み合って、一つに成りたい。

 その感情は何なのか、自分では分からない。


 ライブで演る予定の曲を全て弾き終えた。

 まだ時間はあるが、もう一度演ろうとは誰も言わない。

 しかし満足したわけじゃない。

 これで終わりにしていいはずはないと、全員の目が語っていた。

 しかし「もう一回」とは誰も言えなかった。


「今日はこれで終わりだ」

 信長が終わりを口にすると、全員がその言葉にあがらえずに、帰り支度を始めた。


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