第14話 バンドマンの人生

 初セッションは順調に進んだ。

 ともすればリズム隊が、信長のプレイに引きずられそうになるが、亜美の歌声が信長の持つ毒と中和し、彼らもだんだんと慣れてきた。

 セッションの後半は、完全に自分のプレイを取り戻し、五人の音楽と言えるレベルに昇華させることができた。


 最後の曲は、動画の最期にあったミディアムテンポのバラードで、生で亜美の歌声を聴くことで、僕は再び身の内から湧き出す感動に魂を震わせた。

 今すぐにでも信長と変わって、プレイしたい衝動に突き動かされたが、自分が入って完成している演奏を、壊してしまう恐怖に負けて言い出せなかった。


 最後の一音が流れて、余韻に包まれながらセッションが終了する。

 すかさず信長は僕とスィッチした。

「良かったよ。久しぶりに自分に納得できたよ」

 ゲンがセッションの途中で脱ぎ捨てたTシャツを拾いながら、満面に笑みを浮かべる。


「しかし不思議な音だったな。きっとどこで誰が聴いても、お前の音だと分かるはずだ。すごい個性だよ。途中で初めてギターを弾く奴とは思わなくなったよ」

 カズもしきりに絶賛する。


 そんな二人を見ながら、吉永は満足そうに何度も頷く。

 亜美だけがプレイ中のテンションを維持したまま、無言で遠い目をしていた。


「せっかくだから、初セッションを記念して飲みに行くか」

 吉永がみんなに提案する。

「すいません。まだ十八なんでアルコールは」

「いいよ、食べ専で」

「分かりました。ありがとうございます」


「亜美ちゃんも一緒に行こう」

 吉永がまだボーっとしている亜美に声をかける。

「えっ、飲み会? うんいいよ」

 既に十時を超えているが、亜美の家はダイヤ街のスパゲッティ専門店で、二件隣が吉永の実家の不動産屋と、いわゆるご近所さんだ。

 とは言っても年が離れているから、正治がバンドに入るまでは、お互いによく知らなかったらしい。




 五人は駅近くの居酒屋に入った。席配置は、お誕生日席に吉永、その右隣に僕と亜美、左隣にゲンとカズが座った。

 僕と亜美を隣り合わせにしたのは、大学生同士なら話も合うだろうという、おじさんらしい配慮のようだが、亜美とは今日が初対面で、梨都以外の女性とほとんど話した経験がない僕には、かなり緊張する並びでもあった。

 社会人との初めての飲み会は、僕にはとても新鮮な発見が多かった。

 他の三人は夏らしく生ビールを飲んでるのに、ゲンだけが瓶ビールを頼んだ。

 それを見て相当のビール通だと思った。

「ビールお好きなんですね」

 と話しかけると、ゲンは急に悲しい顔をした。


「結婚しているバンドマンは肩実が狭いんだ」

 訴えるような口調だ。

 僕はそれと瓶ビールの関係がよく分からなくて、「はあ」と分かったような分からないような返事をした。

 するとゲンは勝手に説明を始めた。


「元は俺のドラムのファンだったくせに、将来の子供のために貯金しなきゃあと、家では缶ビール一本しか飲ませてくれない。しかも第三のビールだ」

 ゲンの口調はだんだん熱を帯びてきた。

 僕はもしかして触れてはいけない部分に触れてしまったのかと、急にドキドキしてきた。

「だから俺は本物のビールを飲めるこういう機会は、絶対に瓶ビールを頼んで、舌がビールの味を忘れてないか、確かめるようにしてるんだ」


 やっとつながった。

 僕を除く三人は、この話を既に知っているのか平然としている。

「大変だなぁ」

 学生では想像できない苦労を聞いて、思わず僕がつぶやくと、そのつぶやきを隣に座る亜美は聞き逃さなかった。


「ゲンさんの奥さんはいい人だよ。ゲンさんのドラムを心から愛して応援してる。バンドマンなんてやくざな道に、片足突っ込んでる人間と結婚するなんて勇気あると思うよ。今の話だって好きなことやってんだから、ビールなんて飲ませることないのに、貯金する傍らで一生懸命工面して、一本のビールを買ってるんだと思うな」

 亜美のシビアな意見はゲンの耳にも入る。


「亜美ちゃん、厳しいなぁ。まあ確かに俺には勿体ない嫁だと思うよ」

「おいおい、結局ノロケか?」

 カズがゲンの胸を叩く。

 三人とも楽しそうに飲んでいる。

 僕は今までバンドマンとは付き合いがなかったが、音楽をやってる人は楽しそうでいいなぁと、三人が羨ましくなった。


 会話は主にゲンとカズを中心に進んだ。

 吉永は笑顔を浮かべたままで、二人のやりとりを見つめていた。

 二人の会話が途切れがちになったとき、あまり話さなかった吉永が、しみじみとした口調で語り始めた。


「俺たちセミプロバンドは、結局メジャーデビューって夢を追いかけながら、現実との狭間で悩みながら生きている。ゲンは嫁さんの理解の中で続けているが、俺とカズは現実の負担が大きくなるのが怖くて結婚もできない。いつかは割り切らなきゃいけないと分かってるんだけどな」


 吉永の表情を見て、ゲンの顔が引き締まる。

「タクが夏フェス迄って限定付きにも関わらず、慎哉を連れて来たわけが、今日プレイしてみて分かったよ。今度こそ、決着をつけるんだな」

 決着という言葉を聞いて、カズも表情を変えて吉永の方を向いた。

 それまで和気あいあいとしていた場に、重苦しい空気が漂った。


 その空気を引き裂くように、吉永がゲンの問いに答える。

「ああ、正治のときのようなしくじりはもうしない。慎哉と渾身のライブを演ったら今度こそ活動停止だ。俺は親父の後を継ぐために、本気で宅建の勉強をする。ゲンもカミさんと一緒に実家に戻って工務店継げよ。カズだって本当は子供が好きで、保育士の資格取ったんだろう。次は六十超えて引退してからジジイバンドでもやろうや」


 なんだかすごい場面に立ち合ってしまった。

 戸惑う僕が後ろを振り返ると、信長が満足そうな顔で見下ろしていた。

(こういうのがねらいだったの?)

(うむ、まだ燻りにすぎないが、この火は夏フェスに向けてどんどん大きく成る)

(そんな火を煽ってどうする気?)

(大炎の中で人は本当の姿を晒す。それを見て、人の本質を見極めるのだ)

(悲しいじゃないか。どうしてわざわざ見たいのか、よく分からない)

(人は必ずこの問題に直面する。必ずだ。ぬしがどんなに避けようとしても、避けきれるものではない)


 信長が何を言っても、僕には納得がいかない。この人たちの人生を変える存在と成るのは、自分には重すぎると思ってしまう。


「ねぇ、三人はまだ飲んでいくでしょう。私は明日早いし、慎哉君は飲めないから、二人でそろそろ帰るね。うち近くだから送って」

 亜美がまだまだ飲み足りなそうな三人に帰ると告げた。

 最後は僕に向けた言葉だ。

「ああ、気をつけてな。明日また練習だから連絡するな」

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