第11話 ギターに呼ばれて

「すごい」

 研人が思わず賞賛の言葉を口にした。

 吉永が簡単にチューニングを終えて、本格的に弾き出すと、この価格帯のギターとは思えないぶ厚い音がスタジオを覆った。

 右手のピッチと左手のコードチェンジが絶妙で、聞き覚えのあるリフに躍動感を与えている。途中スキッピングやスウィープなど複数のテクニックが織り交ぜられ、最後はライトハンドで華麗に引き上げた。


「マイケルのビートイットですね」

 研人が頬を紅潮させて原曲の名を叫んだ。

「ああ、インスト用に俺がアレンジしたものだ」

 吉永は少し息が荒くなっていた。試し弾きにしては、かなり気合を入れて演奏したようだ。

「弾いてみるか」

 吉永は信長にギターを渡した。


「ねぇ、大丈夫なの?」

 梨都が小声で研人にささやく。

「初めてだって言うし、音出すだけでも難しいと思うよ」

 研人は、自分の苦労を思い出しながら答えた。


 信長は何回か弦を押さえピックを弾いた。

 その手つきは、とても今日初めてギターを弾くとは思えない鮮やかなものだった。

 吉永はおやっという顔で信長を見る。


 ギターをいじって手応えを感じたのか、信長は吉永のチューニングを半音下げ、先ほど聴いた吉永の曲を弾き始めた。

 最初のリフを聴いて、吉永の顔色が変わる。リズムは軽快だが、音のぶ厚さで信長が出す音は、先ほどの吉永のそれを上回っていた。


 リフが終わり、ソロパートに入って、今度は島田の口が開いた。

 とにかくピッキングが速いのだ。

 演奏はフルピッキングとプリングを繰り返している。

 左手の速さも右手に負けてない。


 圧巻は締めのタッピングだ。

 速いだけでなくタッピングされる音色に妖しさが滲んで、聴いてると心が騒ぎだすような音だ。

 演奏が終わっても吉永は感想が口から出なかった。


「すごい、慎哉君ホントに初めて弾いたの?」

「ああそうだ。指が痛い」

 広げた左手の指の腹には血が滲んでいた。

「痛そう」

 梨都が眉をしかめる。


「天才だ」

 ようやく、吉永から声が出た。

「す、すごいよ君。初心者にしてはうまいとか、そんなレベルじゃない。プロにだってこれだけ弾ける人はそう多くない」

 島田が興奮している。

「お前、プロ目指した方がいいよ。俺とは次元が違う」

 吉永が敗北を認めた。


「プロに成る気はない。あくまでも夏フェス出場だけが目標だ」

「どうしてだ、こんなに弾けるのに」

「仕事として成り立つかどうかは、巧さだけではないことは、お主のレベルならよく分かるだろう」

 信長の指摘に吉永は、夢から冷めたような顔をした。


 信長は音曲の世界で、笛や鼓が一番上手い者が必ずしも頂点に立てない様子を、何度も見て来た。大半の聴衆オーディエンスは素人だ。ハイレベルの音を聴いても、技巧の差はほとんど分からない。

 現に吉永や島田はこんなに興奮しているのに、研人や梨都はそれほどでもない。初めてなのにこんなに弾けるなんて、と驚いてるだけだ。


 スタジオ内の興奮が収まらない中で、研人がじっと吉永の顔を見ながら言った。

「あの、もしかしてシャークスの吉永さんですか?」

「そうだ。君は俺のことを知っているのか?」

「ええ、吉祥寺と下北のライブハウスで、二度ほどシャークスのライブを聴きました。吉永さんのギター、メロディアスで大好きです」

「ありがとう。でも所詮セミプロレベルさ。そうだ、慎哉君もライブハウスに出演してみないか。吉祥寺の箱なら多少顔が利く。夏フェスへの練習にもなるはずだ」

「メンバーが集まったおりには、お願いします」


 吉永と島田は二度目の驚きの表情を見せた。

「まだ、メンバーの当てがついてないのか?」

「君のレベルに合う学生なんてそういるもんじゃない」

「まあ、メンバーのことは一晩よく考えて、探してみます。それよりも、ギター選びを続けたい」


 信長は全員が今年の夏フェス参加を危ぶむ中で、一人平然としていた。

 その姿を見て、島田がようやく信長の来店目的に合わせて動き出した。

「ああ、そうだね。君のレベルに合うとすると……」

 島田を先頭にスタジオを出て、ギターの並ぶコーナーに向かった。


「これなんかどうだろう。フェンダージャパンのストラキャスト60sだ。ネックの塗装はしっかりしてるし、トレモロブロックも大きい。何よりも音がぶ厚いから君にぴったりだと思う」

 僕は値段を見て、激しく首を横に振る。

 九万六千円!

 とても手が出る値段じゃない。


「あれは」

 信長が指さした方向には、銀色のボディに黄色いネックのストラキャスターが置かれていた。ギターのプレートには「アメリカンオリジナルシリーズ50s」と書いてある。

 値段は二四万円と記されてあった。

 僕は慌てて信長の前に出て止めようとするが、信長は無視する。


「あれは中古だよ。それに前の持ち主が事故死したいわくつきのものだ」

 島田の説明を聞いて、梨都が顔色を変える。

「ダメだよ、慎哉君。そういうのやめた方がいいよ。お父さんが前に言ってたよ。事故車は縁起が悪いから人気ないって」

 どうも梨都の頭の中では車と楽器が同列に成っているらしい。

 皆が梨都の発言にひいてる中で、誰にも見えないが、僕だけが大きく頷きながら同意している。


 しかし信長には誰の意見も耳に入らないようだ。

 ただ指さしたギターを、じっと見つめている。

「あのギターには他のにはない意志を感じる」

「キャーやめて慎哉君」

 梨都は思わず叫んでしまった。


 研人と島田は悲鳴こそ出さないが、気味悪そうな顔をした。

 僕はさすがに自分が今生霊に成っている手前、意志を感じる云々には特に取り乱しはしかった。ただ値段が値段だけにこれを買われたらどうしようと困った。

 僕には甘い父だが、相談もしないでニ四万円のクレジット明細を見たら、カード没収されかねない。


 そんなみんなの思惑を無視して、信長は曰くつきのギターに近寄り、左手を伸ばしてネックを握った。

 そのまま持ち上げ、ピッキングフォームに入る。

 その姿勢のまま、実際には弾かないで上を見上げ、そのまま動かなくなった。


「素晴らしい。このギターに詰まった音が、ギターをこうして握ると流れ込んで来た。元の持ち主の思いが残っているようだ」

「ヒー」

 信長のオカルトめいた言葉に、梨都だけではなく研人まで悲鳴をあげた。


 ただ信長だけでなく、僕にもこのギターから何か伝わってくる。

 深呼吸のポーズのように、目を瞑って手足を伸ばした。

 どこまでも落ちていきそうな深い悲しみと、無数の小さな喜びを感じた。


 吉永は先ほどから無言で目を見開いて、信長を凝視している。

「お前本当にそのギターに何か感じるのか?」

「ああ、何かギターというより魂が奏でる音を感じる」

 もはや梨都と研人は恐怖で声さえ出ない。

 島田がはっとしたように吉永を見る。


「店長、もう一回スタジオ貸してくれ」

 吉永はそう言って、持参したギターケースからギターを取り出した。

 信長が今手にしているのと色違いのストラキャスターだ。

 吉永は手招きで信長をスタジオに呼ぶ。

 島田が入ってアンプに再び火を入れる。

 梨都たちも見極めないと怖いのかついてきた。


「おれがワンコーラス弾くから、ツーコーラス目は感じたままに入って来てくれ。じゃあチューニングが済んだらすぐ始めよう」

 信長はチューニングを始めた。

 吉永は自分もチューニングをしながらその姿を目で追い、何を思うのか目を細める。


 チューニングが終わると、吉永はDTMにSDカードを差し込んだ。

「じゃあ行くぞ」

 シンセドラムも加わって、吉永の演奏が始まる。

 研人は聞いたことがあるみたいで、ワンフレーズ目をきいたとき、顔が輝いた。


 繊細なアルペジオのイントロから、高速リフが続く。

 豪快でハイウェイを疾走するような爽快感のあるメロディが流れる。

 次のフレーズで、マイナースケールにb5が混ざって、ブルースの雰囲気が入り、ソロに続く。

 ギターソロ部はクラシック的な要素が入り、バイオリンのように音が渦巻いて上昇していく。


 ワンコーラス終わったのか、最初のリフを繰り返しながら、吉永が目で合図する。

 信長は一度聴いただけで、先ほどの吉永とも違う弦飛びのテクニックなども織り交ぜながら、主旋律を弾いた。いつの間にか吉永はサイドに回っている。

 二人のギターは何度も絡みつくように音を合わせ、そしてまた離れていく。ときおり信長はアドリブを加え、更に音が滑らかでぶ厚くなっていった。

 いよいよソロパートに来ると、吉永はリズムを奏でるのみで、代わりに信長のギターが竜巻を起こすかのようにうなりをあげる。


 弾き終わると、吉永は泣いていた。

「それ、俺の相棒のギターなんだ」

 それ以上、誰も言葉を発せず、静けさがスタジオ内を覆った。

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