第2章 バンドフェスティバル

第9話 信長の野望


 信長は不満だった。

 佐伯慎哉に憑依してから一週間、意のままに操れるよう身体を鍛え、現代の知識をウィキペディア並みに身につけた。

 後は現実の人間ドラマを通じて、人間の本質をじっくりと見極めたいだけなのだが、肝心の慎哉が行動力不足で、起伏のない平穏な日々がダラダラと続けている。


 信長は、生まれながらにして人を振り回す才能に恵まれた梨都に、慎哉との恋愛を通じて、周囲を巻き込んだ愛憎劇を期待していた。

 しかし、その目論見は見事に失敗に終わった。


 信長は梨都に対する隆道のドロドロした恋心に、最初から気づいていた。

 慎哉の痴態も隆道が仕組んだものだと推測していた。

 毒殺当たり前の世界にいたのだ。

 隆道が慎哉に一服盛ったことなどお見通しだ。


 しかし、隆道だけを責めたのでは、人間ドラマは生まれない。

 人を振り回している自覚のない梨都に対し、罪の意識を感じるように演出し、自ら主役を演じた。

 生まれて初めて罪を糾弾され、打ちのめされた梨都に救いの手を差し伸べ、慎哉にすがらせることによって二人を結び付け、隆道を始めとした、梨都に思いを寄せるクラスメートからの反発を呼び込むつもりだった。


 ところが、隆道はあっさり信長に恭順してしまった。

 しかも慎哉があまりにも純真でかつ、自分の魅力に関して疑り深いところがあって、梨都が本当に好きなのは信長だと、気づいてしまった。

 かと言って、慎哉は梨都を奪おうと頑張る気配はない。

 信長が梨都の心の裏側に潜む、無意識の優越感を暴露したため、慎哉はとても太刀打ちできないと退いてしまったのだ。

 結果、慎哉は相変わらず行動がヘタレのまま、梨都も慎哉に信長の影を追うままで、二人の仲は一向に進展しない。


 もうこの計画は無期限停止だ。

 信長は新たな火種を探すことにした。




 二人でケヤキ並木を歩いて以来、梨都はいつも僕の側にいた。

 離れるのは、授業が違うときと、家に帰ったときぐらいだ。


 しかし、一緒にいて気づいたのは、第三者がいるとき、梨都は僕に信長のパフォーマンスを求めているということだ。

 信長のような男が自分の前では、無力な僕に変貌する。そんなベタな古典的少女漫画の世界を、梨都は求めているのだ。

 いわば独占欲の変化形だ

 

 梨都がそんなに成るほど、信長が発揮したパフォーマンスは素晴らしかったようだ。

 確かにあの目を見たら、信長の支配を逃れることは難しいだろう。

 彼は人間離れしたチート能力を持っているのだから。


 今日も僕は学食で梨都と共にいる。

 別に二人きりでいるわけではないのだが、隆道が宣言通り僕たちの邪魔をしないように周囲をけん制する。

 それは僕にとってはありがた迷惑なのだが、普段の僕はそれすら言えないヘタレなのだ。


「慎哉はサークルには入らないの?」

 何の意図があるのか、梨都が唐突にサークルの話をふってきた。

「高校までは水泳やってたけど、ここの水泳部は体育会しかないでしょう。レベルもオリンピック級だし」

「テニスとかは?」

「ちゃんとやったことないしな」

「そうね。やっぱり入らなくてもいいと思う。サークルってみんな人間関係を求めて入るようなもんだから、慎哉君が他の人に関心が行くと心配だし」

 梨都は自分で振っておきながら、結局いつもの通り外の世界を閉じた。

 

「おっ、夏フェスのCMだ」

 隆道が立ち上がって、学食に設置された七十インチ×四面構成のデジタルサイネージに向かう。

 僕はつられるように隆道の後を追ったので、梨都も慌てて僕の後を追う。


 サイネージモニターには、中庭に設置された特設ステージ上で一組のバンドが演奏する映像が流れていた。映像の上部には『明峰バンドフェスティバル』とタイトル表示されていた。

「明峰バンドフェスティバルって何?」

 僕はノリノリで身体を揺らしている隆道を横目に、梨都に映像の説明を求めた。

「十一月の学園祭に並ぶ、明峰大の名物イベントよ。オーディションで合格した学内バンドが、八月の頭に二日間にわたって、中庭の野外ステージでライブをするの。通称『夏フェス』って呼ばれてる」

 クラシック派の梨都はあまり興味ないのか、感情のこもらない声で事務的に説明する。


 代わって朱音が熱く語る。

「付近の大学生や中高校生まで集まって、結構人気のあるイベントよ。出演したバンドにはスカウトの声もかかるって話よ。梨都は高一のときに行っただけだけど、私たちは三年間通ったんだよ」

 このイベントのファンなのが良く伝わってきた。


(ホー、祭か)

 背後の信長が興味深そうな声をあげた。

 本来傾奇者で祭り大好きなのだろう。


「モニターに映ってるのは、ホークアイってバンドで、一年のときから三年間ずっと人気ナンバーワンなんだよ」

 宝生研人が珍しく熱くなっている。

 このバンドに相当はまっているようだ。


「ねぇ、もういいでしょう」

 梨都がつまらなそうに口を尖らしている。モニターの前から動かない僕の腕を掴んで、元いたテーブルに無理やり引き戻す。

 隆道たちはずっとモニターに釘付けになったままだ。


「もう私にはあの魅力はよく分からない。騒音にしか思えないし」

(確かに音質が良くないし、あまり惹かれる音ではないな)

(野外録音だから仕方ないよ。学生が用意した機材だし。きっと生音を聞いたことがあって、音をイメージできる者でなければ、録画から伝わってこないのは無理はないと思うよ)


 僕が高校時代にバンドに嵌っていた、友人の言葉の受け売りを口にした。

 信長は僕の言葉には何の関心も示さず、モニターを凝視していたが、何事か思いついたのか珍しく顔を綻ばせた。

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