第7話 深夜の電話


(勝悟、お主の身体はもう少し鍛えた方が良い。今のままではいざというとき、わしも力を発揮できん)

 衝撃の飲み会を終えて部屋に戻ると、精神的疲労でぐったりしている僕に向かって、信長が放った第一声がこれだ。

(ちょっと待って。今は、何をする気にも考える気にもなれない。もう休みたいよ)


 もしかしたら知らなかった方が良かったかもしれない。

 仲が良さそうに見えた付属校出身の四人。

 その仲間に成れたらと憧れたときもある。

 自信満々に見えた態度の裏側で、嫉妬にまみれた醜い攻撃性が隠されていたなんて……

 僕の人間不信はさらに根深いものに成りそうだ。


(何を甘えたことを言っておる。わしの家中でも、醜い足の引っ張り合いは日常茶飯事だった。だからすぐにピンと来たのじゃ。秀吉や光秀は、あのような嫌がらせにはびくともしなかったぞ。うっ、光秀……)

 明智光秀の名を口にして、本能寺を思い出したのか信長が話を中断してくれた。


 確かにあのゲームには家中での人気といったマスクデータがあって、ゲーム当初は古参の柴田勝家や丹羽長秀は家中の協力が得やすく、新参の秀吉や光秀は苦戦するようにできている。

 秀吉や光秀がそれに耐えて活躍したのは、ゲーム中での話だ。

 生身の人間としては、現実を目のあたりにするとやはり堪えるし、気力を吸い取られてしまう。


(まあ、良い。人間関係に疲れたなら余計じゃ。そのままではお主の魂のストレスが、脳や身体に悪影響を与える。生霊になって、しばらく休んでおれ)

 言葉が終わった瞬間、僕は生霊に成って身体を失った。

 信長は体育用のジャージに着替え、ジョギングシューズを履いて夜の街に出て行った。


 美しい――僕は信長の走る姿を見て、美しいフォームに素直に感動した。

 武力百五十は、運動能力に影響するのか、信長の魂が操る僕の身体は、マラソン選手のように躍動感に溢れた走りをしていた。まだ筋肉や心肺機能が追いついてないので、スピードこそ足りないが、走る姿だけ見たら世界記録でも出せそうな気がする。


 信長はそのまま四十分間走り続けた後、腕立て伏せなどの筋トレを行い、最後に入念にストレッチを行ってから帰宅した。

 汗で重くなったジャージを脱いで洗濯機に放り込み、そのままシャワーを浴びてから部屋着に着替えた。


 トゥルル ルルル、トゥルル ルルル

 スマホが着伝音を発した。

 ライン電話がかかってきた。発信者は隆道だった。

 戸惑う僕に断りもなく、信長は電話に出た。


「どうした」

「あの、隆道ですが、今電話いい?」

「かまわん」

 信長は無造作に承諾したが、僕は今頃何の話だと訝しんだ。


「新歓のときといい、今日といい、本当にごめん。俺、とんでもないことをしたと思って、どうしても謝りたくなって電話した」

「それはもう許すと言った」

 信長はあっさりと許したが、僕の気持ちは複雑だった。

 これからの人生において、あの屈辱的なできごとを忘れられるとは思えないからだ。


「いや、俺のやったことはそんな簡単に許されていいものじゃない。それだけは今日十分に身に染みた。ホントはあそこでお前を許さない、警察に突き出してやるとか言われた方が、気持ち的にはずっと楽だった」

「なぜだ?」

 確かになぜなのか知りたい。


「俺はあっさり許された代わりに、これから一生お前のあの目を意識して生きていかなきゃならない」

「忘れろ」

「忘れられるわけない。だから、ここに誓う。俺はお前のために何かする。そうだ梨都との間を取り持つ」

「いらぬ」


 あまりにもあっさりした信長の返答に、隆道は絶句した。

「用件が終わったなら切るぞ」

「待て、待て。そうだよな。今更俺なんかが何か言ったら逆効果だよな。じゃあ、他のことでもいい。俺は何かでお前に貢献する。それも自分で十分だと思うまでやり続ける。嫌だと言ってもやるぞ」

「分かった。では切るぞ」


 信長はあっさり隆道の電話を切った。

 信長は何とも思わないのだろうが、僕としてはうんざりだ。

 あの勘違いが激しい隆道に、まとわりつかれるのはうざったい。


 しかし、今の電話のおかげで、一つの事実に気づいた。

 それは信長が裏切られる理由の一つだと思う。

 確信はないので、今は言わないが、これで憑依から逃れられるかもしれない。


 さすがにもう寝るのかと思ったら、そのままパソコンに向かい、昨夜と同じく現代についての知識を学習し始めた。びっしりと文字が詰まった画面を数秒見ただけで、まるでコピー機のように、すぐ次の画面に切り替えていく。

 知力二五五は伊達ではない。きっと読むというよりも、写真を取るように画面全体を記憶していくのだろう。


 この時点で信長の学習スピードに僕はついていけなくなり、生霊なのに意識が途切れ始めた。先ほどの美しいフォームを鑑賞したせいか、心に燻っていたモヤモヤが消えている。逆に幸せな気持ちに浸りながら、意識を無くした。


 目覚ましのベルで意識が戻ったとき、僕は身体に戻った状態でベッドの中にいた。

 起き上がって振り向くと、信長はいたが目を閉じたまま何も言わない。

 もしかしたらさすがに魂が疲れて、昨夜の僕のように意識を無くしているのかもしれない。


 運動したせいか筋肉痛は残っているが、頭はすっきりして内臓の調子もいい。こころなしか血行もいいような気がする。

 昨夜の運動のおかげだろうが、僕にはもう一つ別の考えが浮かんだ。


 人の疲れには、脳も含んだ身体の疲れと魂の疲れがあることを、昨日体験した。

 これは仮説にすぎないが、魂が健全な状態なら身体の負担も少なくなるのかもしれない。

 半ニートに成ってから経験したことのない体調の良さに、大学に行くのにも抵抗が薄れた気がする。


 カーテンを開けて窓の外に目をやると、今日はあいにくの雨だった。

 梅雨の時期だから仕方ないが、今日は自転車は使えない。

 バスに乗るのは苦痛のはずだが、不思議と今日は平気だった。

 昨日と違って授業は二限目からなので、比較的ゆっくりできる。

 音楽をかけて余裕をもって支度し、少し早いが九時に家を出た。

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