第6話 罠を暴け
「ところで、別荘の話だがお父上もいらっしゃるのかな?」
梨都は突然のフリに明らかに狼狽して、反射的に答えた。
「います」
「そうか、それは楽しみだ。もし時間が取れるなら法を志す者として、企業法務について教えを請いたいと思ってな」
梨都の父親は都内でも有数の弁護士事務所のシニアパートナーだ。
有名企業の顧問弁護士として辣腕を振るっている。
「慎哉君も弁護士志望なの」
「そなたは違うのか?」
「ううん。司法試験という難問はあるけど、父と同じ弁護士に成りたいと思っている」
「であるか」
信長は厳しい眼差しから一転、包み込むような慈愛に溢れた眼差しで、梨都を見つめた。
「ともに頑張ろう」
このとき僕は奇跡を見ている気がした――信長が人々を魅了する瞬間だ。
『ともに頑張ろう』、この言葉に隠された『やればできる』という信長の確信、そして信長についていけば、自分も『やればできる』。
人々を目標に向かって駆り立てる劇薬のような信長の牽引力。
一度触れてしまったら、麻薬のように再び求めてしまう。
梨都は完全にそれに魅了されてしまった。
「ずーっと一緒に、お願いね」
梨都がこれまで見せたことのない切なそうな表情を見せた。
彼女はもう逃れられない。
梨都が魔法にかかったことは、僕だけでなくその場の全員が認識した。
あの女王キャラの梨都があがめるような目で信長を見ている。
僕は隆道の顔が醜く歪むのに気づいた。
「私たちも法律家志望は同じよ。忘れないでね」
信長が支配した雰囲気を和らげようと、朱音が梨都に冗談っぽく話しかける。
しかし梨都は信長の顔を見つめたまま、「分かってるわ」と上の空で答えた。
朱音がやれやれという顔をして、今度は積極的に僕に話しかけてきた。
朱音が加わったことで、梨都が信長の気を引こうと、どれだけ自分が弁護士に成りたいか熱っぽく語り出す。
片や朱音は、僕の両親の仕事や、趣味の話を聞いて来る。
お互いに相手がどんな話をしているかはお構いなしだ。
二人の方向性の違う話が、信長の統率力で不思議なハーモニーを奏でる。
こんな不思議な会話見たことがないと、僕は驚いてしまった。
梨都と朱音のまったく違う内容の話が、信長の恐るべき会話能力で違和感なく、融合され、まるで三人の会話は一つにまとまってるように見える。
僕は目の前で起こっている奇跡を、ずっと堪能していたいと願った。
二人が夢中で話しかける中で、信長の左手が動いて、ウーロン茶の入ったグラスに向かう研人の右手を抑えた。
全員の視線が研人の右手に集中する。
その手には液体の入った小瓶が握られていた。
信長は左手で研人の右腕を抑えたまま、右手で小瓶をもぎ取る。
「また姑息な手を使いおって」
研人の顔が蒼白になる。
「瓶の中身は利尿剤か下剤を水に溶かした液体だろう。新歓コンパのときもこれを使ったのだな」
詰問する信長の目には、魔性が帯びている。
とぼけることもできずに、研人は力なく頷いた。
僕は自分の痴態の真相を始めて知った。
「どうしてこんなことをしたの」
梨都が軽蔑の感情を込めて研人を責めた。
「隆道の指示だろう」
信長に見つめられて、研人は否定せずに「そうだ」と呟いた。
慌てて反論しようとする隆道に、ゆっくりと信長が視線を向けた。
途端に隆道も言葉を無くして項垂れる。
「この男はそなたに惚れていたのだ。だからそなたに近づく男に、何度かこのいたずらをしたのだろう。失禁しないまでも、相当ひどい尿意を催して、口説こうとする戦意は失われるからな」
「そんな……」
自分が原因だと聞いて梨都が絶句する。
「これは刑法で言えばれっきとした傷害罪だ。法律を学ぶお前たちがこんな罪を犯してどうするのだ。だが今回はもうよい。不問にしよう」
隆道と研人が驚いて顔を上げる。
「今度のことは梨都、そなたにも責任がある」
「私に?」
「そうだ、そなたは自分の行動が周囲へ与える影響を自覚している。当然、長い間一緒にいた隆道の気持ちも知っていたはずだ。一度くらいは告白だってされているだろう。だがそのとき、はっきりと拒絶せずに希望を残したはずだ。隆道の凶行の真の原因はそこにある」
梨都は思い当たるふしがあるのか、顔に動揺が見られた。
「そんなこと言われても……」
「そうだ。だから私はそなたたちを許すと言っているのだ。これは人間の業が成したことだ」
三人は項垂れた。
その姿を見て、生霊の慎哉は信長は間違っていると思った。
「今日はこれでお開きにしよう。梨都、別荘に行くのを楽しみにしているぞ」
そう言って信長は何事もなかったように立ち上がった。
(お金を払わないと)
そのまま立ち去りそうな信長に、慎哉が慌てて声をかける。
「今日は俺がみんなの分、奢ります。本当に申し訳ありませんでした」
隆道がそう言って伝票を持って会計に向かった。
「であるか」
そう言って、信長は出口に消えた。
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